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魔女の遺産

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 結婚式の前に、二人で魔法の鏡が見たいと言い出したのは、王子様の方でした。
「白雪姫。あなたはなんでも質問に答えてくれる鏡を持っているという。もしそれを上手に扱う事ができれば、私たち二人の国はさらに栄えることだろう。それに、結婚式の仕度もはかどるに違いない」
「え、ええ。そうですわね」
 未来の旦那様のお願いです。白雪姫は鏡が飾ってある部屋に王子を案内しました。
 王子は、鏡にかけてある布をとりはらうと、さっそく質問を始めました。
「鏡よ、鏡。世界で一番腕のいい仕立屋は誰だ?」
「王子様。それはルリウスという男」
「なるほど。では結婚式の衣装はその男に作らせるとしよう。では次の質問だ。鏡よ、鏡。世界で一番腕のいい料理人は誰だ? 誰に結婚式の料理を作らせようか?」
「王子様。それはハンスという男」
 こんな調子で、世界一の結婚式の準備は進められました。
「おお、そうだ。一番大事な質問を忘れていた。これを確認しなくては」
 チラリと白雪姫をのぞき見て、王子は少しいたずらっぽく笑いました。
「鏡よ、鏡。白雪姫が世界で一番愛している男は誰?」
「まあ!」
 驚いて声をあげた白雪姫に、王子は得意げに言います。
「いいではないか。これで私の姿が映れば、教会での誓いよりも強い愛の証明になる」
 鏡の表面がゆらゆらと揺らめきます。今まで映っていた二人の像が滲んで、ただの色の渦になりました。
 鏡の動きが進むにつれ、それを見守る白雪姫の顔が白くなっていきます。
 そのうち、色の渦がぼんやりとした一つの人影になりました。人影は、どうやら茶色の服を着ているようです。
「おかしいな。私は茶色い粗末な服など着たことはないのだが」
 人影は、やがてしっかりとした形になりました。毛皮の上着をまとい、弓矢を携えた年若い狩人の姿に。
「王子様。それは、狩人でございます」
 王子様の頭に姫から聞いた話が甦ります。
 彼女の継母は、白雪姫を殺した証拠としてその心臓を持ってくるように、と恐ろしい命令をこの狩人に下したのでした。しかし、白雪姫を哀れに思った狩人は、鹿の心臓を代わりに継母に渡したのです。
 それは恐ろしい賭けだったに違いありません。もしその事が魔女の后に見抜かれたら、狩人は殺されてしまったでしょう。いえ、それならまだいい方かも知れません。何せ、相手は冷酷な魔女。死ぬよりも辛い苦しみを与える方法をいくつも知っていたに違いないのですから。けれど狩人は命がけで白雪姫を助けたのでした。
 一方、王子様は何をしたでしょう? 確かにキスで白雪姫をよみがえらせましたが、それだけです。そもそも、そのキス自体あまりにも白雪姫が美しかったからついしてしまっただけで、彼女を毒リンゴから救おうとしたわけではありません。
 けれど、理由はどうあれ、王子のキスで救われた白雪姫に、命の恩人からの求婚を断わる事ができたでしょうか。
「あの、王子様、これは……」
「どうやら、私はあなたを花嫁にする資格はないようだ」
 しどろもどろになる白雪姫に、王子はやさしく微笑みました。

 白雪姫を残し、静かに部屋を出た王子は、溜息をつきました。
 しかし、その溜息は失意の溜息ではなく、安堵(あんど)の溜息だった事に、誰が気づいたでしょう?
「どうせ、こんな事だろうと思ったよ。よかったよかった。これで結婚しないですんだ」
 実は、白雪姫と部屋へ入る前、王子は一人で鏡の前に立ったのでした。そして、この質問をしたのです。
『鏡よ、鏡。世界で一番美しいのは誰?』
『それは白雪姫。今の所は白雪姫』
 鏡は答えました。
『しかし、それも後三年のこと。三年経ったら、城下町のエリルーが成人を迎える。そうなれば彼女が一番の美人。世界で一番の美人……』
「白雪姫は魅力的には違いないが、どうせなら世界で一番美しい女を妻にしたいからな。三年したら、城下町に使いをだそう。正式な結婚をする前にあの質問をしておいてよかった。ただ、白雪姫の国が自分の物にならないのが惜しいけれど……」

作品名:魔女の遺産 作家名:三塚 章