カーテンの影
ふと気付いたら、僕は落ち着いた暗がりに包まれていた。目を落としていた日誌の上にも、邪魔にならない程度の影が落ちている。ふと目を上げると、担任教師が右手でカーテンを引きながら僕を見下ろしているのがわかった。騒がしい喧騒の中にある昼休みの教室、窓際の席で、汗が浮かぶほどの日差しを受けとめながら学級日誌を書いている、そんな生徒のことなんて、だれが気に留めるんだろう。
世の中には珍しい教師もいるものだ。
「ありがとうございます」
体裁を保つ意味しかない謝罪の言葉を吐いた。感謝の言葉には、皆等しく感謝の意が宿るのか。一概にそんなことが言えるのか。甚だあやしいものだから、必要以上にありがとうだなんて本当は言わない方がいい。その分なにかが疲弊し、消耗するだけでしかない気がする。
「まだ昼休みなのに、日誌か」
「放課後は時間がないので」
「なんだ、お前も塾とか行ってんのか」
「いえ、」
言葉がそこで途切れた。後を継がせる言葉がどうしても思いつかなかった。どうしてここで否定なんかしたのか自分でもよく分からなくて、咄嗟に程度の良い嘘さえも浮かばない質素な脳みそが恨めしくてならなかった。
教師は苦手だ。どうしても対等にはならないからだ。教え教わるという間柄はどうしてもイコールにはなり得ない。いま自分がなんだか落ち着かない気分になっているのも、「緊張」という二文字では片付けられない、片付けてしまいたくないと思ってしまう。
だったらこれはなんだ?
「朝野」
日誌に記入を終えたタイミングを見計らうように、目の前に立つ教師が発言する。僕の中の、何かを見咎めるように、何かを捕え、逃がすまいとするかのように。彼の目だけはどうしても見られない。真っ正面から線を辿るように伸びてくるその視線に立ち向かえたことなど、ない。
「夜遊びはほどほどにな」
ネオンの光る繁華街はどんなに秒針をまわしても堕ちていかない。輝きを、煌びやかさを維持するためだけにそれは機能し、人は、その恩恵を受けることを目的に闊歩する。
「今日はなぐらないで」
路地裏、どんなに涙を溜めてもその目は光らないほど暗いのに、彼女はさめざめと泣く。こんなどす暗いゴミのような陰の中で、僕が考えていることと言えば全く見当外れなことなのに、彼女は勝手に勘違いして勝手に泣いているんだ。
この影はちがう、と僕は思っている。
あの暖かい影ではない。
そしてあの教師が、あのとき僕に声をかけた理由も、わかる。
この影はあまりにも違う。
「ねえ、なぐらないで」
「なぐらないよ」
「ほんと?」
「だから消えてよ」
星さえあればよかった。夜になっても地上を照らすあの星さえあれば。暗闇に落ちた街は自ら照らす術を思いついて、だけど、それは余計なものまで照らし上げる羽目になる。
今日は右手が痛かった。
堅いシャープペンシルの柄の感触を思いだした。