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穏やかな悪夢

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檻の中にいた女は、今、処刑台の上で静かに笑っていた。
背後には槍を持った男達が佇み、周囲から起こる民衆の罵声に晒されて尚、女は微笑みを浮かべる。
周りなど目に入っていない、彼女の目に映るのは穏やかな空の青さだけだった。
「綺麗な空……」
彼女は青い花に包まれて眠る妹の首を思い出し、うっとりとした視線を空に向けていた。
幾度も罪人の血を吸ってきた禍々しい器具も視界には入っている。
その器具で今から自分の命が絶たれようとしていることも彼女は理解していた。
しかし、彼女にとってはもうそんなことはどうでもよかった。
すべきことは果たした、心残りもない。
もとより、妹を失い愛した男を手に掛けた時から、この世の未練など彼女にはないのだ。
背後にいる男達に促され、女は長い金の髪を片側に寄せ、木の台の前に跪く。
巨大な銀色の刃が日の光を受けて凶悪に輝いている。
彼女は変わらず穏やかな表情で、そっとその下に首を差し出した。
大抵の罪人達は恐怖に顔を歪め必死に逃げ出そうとするものである。
それをこのか弱い女性――いかに凶悪な犯罪者であっても女性には変わりない――は、自ら死へと向かう。
執行人たちは内心驚きながらも、何も言わずに彼女の首と手を固定する。
「何か言い残すことはありますか?」
彼女は固定されたままで苦しいだろうに首を振ってみせた。
その瞳は執行人を通り越し、民衆のその向こう、じっと彼女を見ている男に向かっていた。
桜色の唇が少しだけ開き、形だけで男に言葉を伝える。
唇の動きを見て何を言ったのか分かるわけではなかったが、男には確かに彼女の意思が伝わっていた。
 や く そ く
男が小さく頷くのを見ると、彼女は瞼を閉ざした。
彼女の頭上から鋭い刃が降り注ぐ。
ダンッ、と、鈍い音が響いた。
穏やかな笑みのまま、彼女の首は胴体と分断された。
金色の髪が流れ出した赤で染まっていく風景を男は静かに見ている。
青空に抱かれ死んでいく彼女は、酷く幸せそうだった。
愛という感情に縛られ翻弄された姉妹の最期は、奇しくも同じ姿だった。



「ヴェラ」
懐かしい声に呼ばれて、赤毛の女は振り返った。
今は亡き幼馴染の弟の姿を認めて、ヴェラは驚く。
「どうしたの!? 今までずっと帰ってこなかったのに!!」
非難するような言葉とは裏腹に、それを口にしたヴェラの顔は喜びに溢れている。
長兄を亡くし暗くなっていた彼の両親夫妻には、行方不明だった次男の帰還は吉報だろう。
今この時期に帰って来てくれたことをヴェラは神に感謝した。
それに今日は、全ての罪を背負った罪人が処刑されたのだ。
そう、ヴェラが殺した女さえも、彼女が殺したものとされているのだ。
ヴェラは罪悪感を抱えながらも、どこか安堵していた。
もう一生その罪を問われることはないだろう。
『犯人』は今日、ギロチンに掛けられて死んだのだ。
今日は本当に素晴らしき日だ。
「うん、ただいま」
男は離れていた年月を感じさせる、落ち着いた笑みを浮かべた。
ヴェラはその笑みに違和感を覚えたが、彼も成長したのだと自分を納得させた。
「これからはずっといるのよね?」
きっと彼は頷くだろうとヴェラは思っていた。
例え今頷かなくても、兄の死を知れば両親を心配して家に残るだろうと。
男は静かに微笑む。
「ああ、そうだ、兄さんが死んだんだってね」
まるで明日の天気の話をしているかのように軽い口調だった。
その顔には依然として穏やかな、穏やか過ぎる笑みが浮かんでいた。
そこで漸くヴェラは幼馴染の異常に気付いた。
「あの人に教えてもらったよ、兄さんが死んだ経緯を」
彼は微笑みをその口元に湛えたまま、肩に掛けていた鞄を漁る。
ヴェラは咄嗟に一歩後ずさった。
この空気は、身に覚えがあった。
「それでね、あの人に頼まれたんだ」
目的の物が見つかったのだろう、男は嬉しそうに布に包まれた何かを取り出した。
20cm程の長さの棒状のものに巻きついた布を、男は丁寧に外し始める。
姿を現したそれは、ヴェラにも見覚えのある、最も忌まわしいものだった。
「これを、持ち主に返しておいて欲しい、って」
銀色が光を照り返す。
大振りな刃の所々には、錆とも染みともつかない黒いものが付着している。
彼が持っているそのナイフの柄の色は、漆黒だった。
紛うことなきそれは、二人の命を刈り取ったものだ。
「あの人が言ってたんだ、あのナイフは私の家にあったものではなかった、って」
そのナイフの所持者をヴェラは知っていた。
当然だろう、それはヴェラが持っていたものなのだから。
そして目の前にいる男も知っているのだろう。
そして、ヴェラの予想が正しければ、彼の言う『あの人』とは……。
「私はここから出られないから、ってさ」
男は愛おしそうにナイフを眺めていた。
眩しいものを見るかのように目を細め、気まぐれに人差し指で刃の背を撫でる。
この男は真実を知っている。
罪を暴かれる恐怖感に、身を翻し走り出そうとしたヴェラの腕を広い手が掴んだ。
幼馴染の青年の手だ。
よく知った幼馴染なのだ、彼は。
それなのに、ヴェラは振り返ることも手を振り払うこともできない。
真実を知っているかを確認することが恐ろしい。
それ以上に、彼が怖い。
そして不意に思い出してしまった。
彼の笑みは、妹の首を抱えて歌う女が浮かべていたそれと酷似していたことを。
「だからこれ、返すよ」
突然、背中に衝撃が走った。
ナイフが刺さったのだと理解するまで少し時間が掛かったが、その間に彼はもう一度ナイフを引き抜き背中に突き立てた。
頭の中で衝撃が痛みに変換され、ヴェラは引き攣った悲鳴を上げた。
「俺、あの人のこと好きだったんだ」
誰に言うでもなく、彼はナイフを振るいながら呟いた。
身体に潜り込む度に、刃は赤黒く染まっていく。
呼吸器官を傷つけたのだろう、叫んでいたヴェラの口から泡交じりの血が吐き出された。
「綺麗な人でさ、こんな俺にも優しかったんだ。ちゃんと俺の話も聞いてくれて、俺が本当にアイツの弟だってわかっても、気遣ってくれて、優しくしてくれて……」
続けようとした言葉は動かしていたナイフと共に止まった。
ヴェラの体が地面に沈みこむ。
男は掴んでいた腕を放して、しゃがみこんだ。
「……もう死んじゃった?」
首筋に指を添えて脈拍を確認するが、やがて諦めたように男は立ち上がった。
残念そうに伏した女の体を見つめる。
だがすぐに興味を失った様子で、空を見上げた。
「さて、今度は何処に行こうかな」
家に戻るつもりはさらさらなかった。
兄の行為を咎めようとせず、その狂気にも気付けなかった両親の元にいてもどうしようもない。
男は血塗れたナイフを握っていた手をヴェラの体の上で放す。
自重と重力で、刃は半ばまで突き刺さり、止まった。
ナイフを包んでいた布で濡れた手を拭うと、男はゆったりとした足取りで歩き出した。
行く当てなどない。
だが、当分は気ままに歩き続けるのも悪くないだろう。
作品名:穏やかな悪夢 作家名:真野司