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さる

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玄関口には老人と、毛むくじゃらで寸胴のさるがいた。さるは知恵に満ちた大きな丸い瞳を持っていた。
話によれば、さるはもう随分と歳らしい。もう少ししたら眠りの周期に入るのだという。その前に私は挨拶をしておきたかったのだ。
私は大層重いですよ、とさるが言うので、私は試しにしゃがんでその身体を抱き締めて持ち上げてみる。大きな枕のような身体は、しかしなかなか持ち上がらず、どうしても膝が曲がったまま動かない。ははは、重いでしょう。ご無理をなさらず。さるは丸い瞳を細めることなく笑う。私は根性でさるを持ち上げて膝を伸ばし、そして直ぐに降ろした。確かに、とても重かった。そう言うと、さるはやはり笑ってばかりだった。

薄暗い教室の床には細かな結晶の欠片が様々な色に光を反射して散らばっていた。皆既に机にかじりついて、銅製の楕円の早見表で計っている。困ったことに、さると話していたら授業に遅れてしまったらしい。私は空いている席に着くと、結晶を拾い集めて作業に取り掛かる。遅刻をした私のところに教師がやって来て質問をするが答えられないでいると、隣の席の少女が使い古しのノートをそっと差し出してくれたので答えることができた。そのノートには小学校以来会っていない少年のテストが挟まっていて、表は満点に近いのに裏は零点だった。
授業が終わって、私はボールが飛び交う公園を通り抜け、その少年の家にテストを届けに行った。部屋の中には誰もいない。奥の部屋は少年の母親の仕事部屋らしく、ものが雑多に積まれている。物色しているとその母親が帰ってきて仕事を始めたので、私はばつが悪くなって部屋を出た。
リビングに行くと、少年の父親が随分とリラックスした格好をして、どうも、と挨拶をした。私は居心地の悪さを感じながら頭を下げてキッチンに逃げた。キッチンにはさるがいた。
さるは頭をぴったりと覆う帽子をかぶって、小さなかごの中で身体を丸めて眠っていた。眠りの周期に入り始めようとしているところだ。今なら起きてくれるかもしれない。どうしようもない感情に揺さぶられて私はさるの頭から帽子を取り払い、さるを起こして言った。
さみしいの。
そのときの私は、さみしい、の一言では到底表せないような、酷く様々なものが入り混じった心持ちであったけれど、結局私の口から出てきたのはこの一言だけだった。正確に言い表そうとすればもっと時間が必要だけれどさるの寿命は決まっていて、私の表現力は限界を超えていた。
私よりもずっと長いこと生きてきたさるは、丸く知恵に満ちた両目で私を覗き込むと微笑んで、その気持ち、わかります、と答えた。とても賢いさるには私の言わんとしていた心情、心の嵐が全て見えているのだった。
遠い海の、水底にいる友人に、私も会いたいです。
さるは丸い大きな瞳に遠い海を映そうとしていた。それは無理な話だった。私はさるを抱き締めた。さるだけは寸分違うことなく私の気持ちを分かってくれたことが、とても切なかった。
さるは優しいね、と私が言うと、どうしてですか、と抱き締められたままのさるが聞き返す。何故なら、さるは眠りにつこうとしていたところを起こされても厭な顔もせずに私の気持ちを分かってくれたから。私なんて無視して眠った振りをすれば良かったのに、と言うと、それもそうかもしれません、とさるは微笑んだ。そうでしょう、優しいね、と言いながら、けれど、もし、さるが眠った振りをしてしまったら、私はさるが死んでしまったと思い込んでしまうに違いないから、だからさるは眠った振りをしなかったのだと思った。
ここで眠りの周期に入ったら、さるはもう目を覚まさないかもしれない。
私はさるに元のように帽子をかぶせて別れの挨拶をすると、キッチンを出た。玄関を出ようとして、テストの持ち主の少年に会った。少年は小学生のままで、私をからかう文句を探していたけれど、私は一秒でも早くこの場から離れたかったので、テストを押し付けて玄関を飛び出た。
公園を走り抜ける。ボールが飛び交う。さるは遠い。
遠い海の水底にいるさるの友人は、もしかすれば、今からさるが行こうとしているところにいるのかもしれない。

(20090725)
作品名:さる 作家名:桜山葵