医者の若い男
だから、治療をさせてほしい。医者の若い男はそう言葉を結んだ。私は特に考えずに、いいよ、と頷いた。だって、その他に、もうしようがないのだろう? 私の身体が全部悪いのだろう?
すると、医者の若い男が突然大きく溜め息をついて、良かった、と表情を崩したものだから、私は驚いた。事実をとつとつと続けていたあの無表情が嘘のようだ。医者の若い男は続けてこう言った。嫌だと言われたら、どうしようかと思っていたんだ。
治療は、痛いの? 私が聞くと、医者の若い男はううん、と首を傾げて、痛くはない、けれど気持悪いかもしれない、と難しそうに言った。気持悪くても、身体が良くなるなら良いだろう。私は、いい、大丈夫、と答えた。
エレベーターで後輩達に会った。揃いの可愛らしいジャージを着て、素朴さの浮かぶ笑顔を私に向けている。彼女の頭を撫でて、私は囁いた。ごめんね、私は途中で降りなくてはいけないの。また、会ったら、ね。私の後ろで医者の若い男が居心地悪そうに佇んで、エレベーターの揺れに長身を預けている。
後輩達について共有スペースの部屋に少しだけ立ち寄った。後輩達は優しい声をきゃあきゃあと交じらせてジャージを着替える。かつての場所。私はそれを見届けて、医者の若い男と部屋を後にした。暗い廊下に、私と、医者の若い男の陰が、すうと薄く伸びる。
食堂では、旧知の男が席を用意してくれた。医者の若い男は私のすぐ隣に座った。
私はちらりと医者の若い男を見る。ふと、風船に緩やかに息を吹き込むように、丸く扇情的な妄想が頭をもたげた。私と、医者の若い男との、手で触ることのできるくらいの未来の話だ。医者の若い男の神経質そうな指、静脈の浮く手の甲、薄い関節、首筋、顔、髪、瞳、そういったものが一度だけ花火のように鮮明に私に現れて、瞬く間に崩れて風化する。私は溜め息をついた。医者の若い男を思うに、どこか哀しくてたまらなかった。この哀しみは医者の若い男がいなければ決して成り立たないが、医者の若い男とは隔絶された空間にのみ発生する、要するに、私に閉じこもる私への哀しみだった。
治療を終えて共有スペースを再び訪れると、気配を孕む静寂に満ちて照明も半分落ちていた。後輩達はきっとシーツに潜り込んで久しいだろう。食堂で席を作ってくれた男が、豆入りハンバーグを差し出してくれた。私はそれを笑んで受け取り、けれど、もう妄想なんてしなかった。風船はしぼみ、丸みも瑞々しさも失って咀嚼を繰り返す私の喉につかえている。
(100710 朝)