大きな猫16
「やっぱり、みっちゃんは賢いわ。おっちゃん、大助かりや。」
浪速の持っていた資料に、ざっと目を通して、沢野はニコニコと笑っている。もう、今日は帰ってもええからな、と、沢野は、そのまま、ビジホのチェックアウトをしてくるように命じる。沢野の秘書が同伴して、支払のほうは済ませてくる手はずだ。
資料を手にして、沢野と堀内は、そのクルマの横に並んで立っている。車内には、運転手がいるから、外へ出た。
「堀内、わし、みっちゃん送ってくるさかい、おまえ、荷物を確認してきてくれるか? 」
「え? わし? 」
「確認したら、どこぞへ雲隠れしといたらええ。」
くくくくく・・・・・と、沢野は人の悪い微笑を堀内に向ける。
「・・・・ったく、容赦のない。局へタレこむとは、えげつない。」
今日の午後、もしくは、明日の朝一番に、国税局の査察が、沢野たちの会社に入る。こっそりタレこんだのは、沢野だ。昨夜、浪速が帰ってから、社長の息のかかった人間が、そこにあった書類を運び出した。かなりの山奥で廃棄したのだが、沢野は、それを、きっちりと回収させてきた。それは、現在、その回収した便利屋が預かっているので、中身の確認をしなくてはならない。堀内に、その仕事は任せると命じたわけだ。
半年前から遡ること六か月分の書類の紛失と、役員や幹部たちの個人的支払の立替、金品のちょろまかし、などを、国税局へ匿名でタレこみ、多少の資料もつけておいた。それらが動き出す情報が流れたから、浪速に、本社を引っ掻き回させて、証拠もきっちりと掴んだ。
「おまえは、甘い。・・・・これで、あいつらの膿っちゅーか、溜め込んでたもんは、全部出る。お陰で、来期は、赤字になるやろう。どうや? 堀内、これで株は動かしやすくなったやろ? 」
「やることがえげつないを通り越して悪辣や。」
会社の資産を吐き出させることによって、会社の価値は、かなり下がる。そうなれば、株も安く買い叩けるという算段だ。体力がなくなった会社ではあるが、二、三年我慢すれば、それだって回収は容易い。金食い虫を一掃することができるからだ。
「ほほほほ・・・・緊急動議をかけられたなかったら、社長も株を動かすわ。おまえみたいに合併の度に、ちまちま株を操作しとったら何年かかるやわからへん。」
もちろん、社長や幹部たちが公金横領している証拠も、手元にある。これを、弁護士につきつけさせる、と、言えば、大人しく株の譲渡にも応じるしかない。特別背任罪で告訴されたら、社長と言えど、クビになるからだ。
「ほんで、あんたは左団扇か? 」
「そらそやろう。わしは常務。おまえより位は低い平取と同じや。」
最初から、沢野がその地位を請うたのは、こういうためでもあった。外部から見れば、沢野は、ただの閑職だと思われる。今回、査察が入っても、「わしは、ただのヒラ」で、押し通すつもりだったし、関西で雲隠れするつもりだった。実質の経営に参加していないものばかりで、査察に来る百戦錬磨の猛者の相手はできない。確実に、ミスをやらかして、税金をごっそりと追徴されるはずだ。
それらを、全部、計算して、沢野は、浪速を呼んだ。これを送り返すのに、沢野と堀内も一緒に帰京した、という理由も成り立つから、不在の理由にもなる。
「確認してから、一緒に帰ったらよろしいやろう。わしも同席しとる手はずですんやから。」
浪速を呼び出す前に、話だけは聞いていた堀内は、はみごにせんとってくれ、と、苦笑する。このえげつない沢野の行動力と計画性というものには、脱帽するしかない。水都は、事情も知らずに、いいように利用されているのに、気付かないほど手際がいいのだ。
「しゃーないなあ。ほな、どっかで・・・・・・せやせや、星ヶ丘の動物園はどうや? 」
「なんで、そないなとこ。」
「はははは・・・・・みっちゃんにコアラ見せたなったから。」
「はあ、さいですか。ほな、ちょっと行ってきます。」
堀内が、その場を離れて、タクシーを拾った。沢野のクルマには運転手がついている。だから、その場所へ出向くわけにはいかないからだ。たぶん、また浪速を山車にするつもりなのだろう。沢野が動かない分、堀内が動く。ここいらは、長年の仕事の付き合いで、阿吽の呼吸だ。
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「あれ? 堀内のおっさんは? 」
ようやく、荷物を運んできた浪速が、声を出す。
「堀内は、ちょっと野暮用や。さあ、みっちゃん、お仕事終わったから、沢野のおっちゃんと遊ぼうな。コアラ見ような? 」
「こあら? 」
「そうそう、近くに動物園があるんよ。ゆっくり、散策してお昼はヒツマブシにしよか?」
「ああ? わけわからんこと言うてんと、仕事せいよ、おっさん。」
「今日はええねん。みっちゃんを送ったる予定しかあらへんのや。せやから、おっちゃんと目一杯遊ぼうな。」
あはははは・・・・と、沢野は大笑いしている。また、このおっさんは・・・・と、浪速のほうは呆れている。唐突に連れ出されるのは、沢野に関しては毎度のことだ。だから、もう付き合うしかないこともわかっている。
「おまえ、今日はええわ。本社へ戻ってくれるか? そうでないと、堀内が、トランクになるさかいな。」
一緒に戻ってきた秘書に、そう命じることを忘れない。堀内までもが帰京する理由は、もちろん、浪速という愛人と過ごすためだと思われている。だから、同乗すると言ってもおかしなことではない。トランクに浪速の荷物を放り込んで、沢野は、「星ヶ丘」 と、行き先を運転手に告げる。堀内の愛人だから、沢野も可愛がっているのだと、運転手も秘書も誤解しているだろう。
・・・・・実際は、堀内と同じらいに貴重なコマやから大切に扱ってるだけなんやけどなあ・・・・・・
「動物園にコアラがおるんよ。だっこさせてもらおうか? 」
「はあ? いらんっっ。ていうか、あんた、ほんまに仕事せいよ。」
「あははは・・・・たまには、休まんとな。おっちゃん、もう年やさかい無茶できへんねん。」
ほんまに、もう・・・と、浪速は呆れて口を噤む。こうなってると、もう勝てない。どうやら、またクルマで送られるのだと理解して、内心で大きな溜息をひとつついている。