大きな猫9
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「なんや? これ? 真っ黒やんけ。」
「醤油が違うんや。卵つけたら、うまいから。」
すき焼き鍋が、真っ黒だったのには、驚いた。名古屋コーチンという鶏のすき焼きだと、堀内が説明してくれた。
「やっぱり、薄味の関西の人は、びっくりされるんですなあ。」
俺の隣りの総務部長が、俺の声に反応して微笑んでいる。だいたいが、俺より年上のおっさんで、東海と中部の部長が、俺と変わらないぐらいの年齢構成だ。
「すんませんなあ、鶴舞さん。うちの子、外へ出してませんよって礼儀もなんもありませんのや。大目にみたってください。」
「そら、堀内さんの噂の人ですからな。・・・・まあ、お近付きに一杯。」
ビールぐらいなら、まあ、ええか、と、グラスに注がれたものを飲む。返杯しようとしたら、鶴舞というおっさんは、いやいや、と、手を振った。
「申し訳ないが、今、ドクターストップがかかってましてな。この間、盲腸の手術したから、しばらく禁酒生活。」
下腹の辺りを擦りつつ、そのおっさんは笑っている。酒ぐらいしか楽しみがないのに、殺生なことだと言う。
・・・・・・・あれ?・・・・・・
なんだか、どこかで、繋がった。
・・・・もうちょう?・・・・・
ガヤガヤという喧騒を無視して繋がったことを思い出そうとしたら、横手から顎を掴まれた。そこから、温かいものが口に入ったが、それも無視だ。
・・・せやんか、一週間って言うたら、ちょうど、それぐらいや・・・・ほんで、あのキズ・・・・ただの怪我にしては、くっきり残ってると思たんよ・・・・・・・
さらに、騒ぎが大きくなったので、思い出したことを整理し終えて、意識を戻した。途端に、とんでもないことになっていた。堀内が俺の口を開けさせて、煮えたニワトリを食わせていたからだ。
「ああ? 」
「ああ、やない。ぼおーっとしとるから食わせてやったんやろうが。」
「やめろや。ガキやあるまいしっっ。」
「おまえは、いつまでたってもガキじゃっっ。」
ほれ、と、さらに、箸で野菜を詰め込まれる。考え事をしている時は、たまに、こんなことになるので、そのまんま食べる。だが、周りは、しーんと静まり返っていた。
「堀内、そういうことは、ふたりだけでしてくれるか? みな、びっくりしとるやないか。」
沢野が笑いながら、堀内の背中を叩く。堀内の愛人という噂を肯定させているようなものだが、当人たちが、そのつもりで振舞っているので、これでよかったりする。
「なあ、浪速君、きみ、こっちで働く気はないかな? 」
社長の栄が、目の前にやってきて、いきなり口を開く。
「はあ? 」
「本社なら、堀内さんと一緒に暮らせるし、給料なんかも、かなり上げられると思う。悪いことは、何ひとつないだろう? 」
「なんで、このおっさんと同居せなあかんのですか。三日と持ちません。・・・・俺、本社で働く気はありませんから。強制的に転勤とか言うことやったら・・・・・」
辞める、と、言おうとして、堀内に手で口を塞がれた。
「社長、そんな、一足飛びに誘うてもろては、困りますで? うちの子、奥ゆかしいんですわ。」
「専務、そう言う問題じゃなくて、本社の監査機能を考えたら、それが一番だと思うんだが? 」
「と、おっしゃっても、これは関西に置いておくほうがよろしいんやわ。月の半分は、あっちですさかいな。これが、こっちん来たところで、やっぱり月の半分しか一緒やない。わしからしたら、関西に置いておくほうがよろし。」
こちらの水は合わへんのですわーと、堀内が笑って、栄にビールを注ぐ。今回は、たまたま、監査させることになったから呼び出しただけだ、と、言い張る。
「しかし、堀内君、きみだって、浪速君が本社で補佐してくれるほうが、何かと便利ではないかね? 」
「いや、そんなに仕事ばっかりさせたら、夜の相手してくれまへんがな。矢場さん。」
副社長の矢場まで詰め寄ってきたが、これも笑い飛ばす。おまえらに、みっちゃんを使わせてやるもんか、と、内心でせせら笑っているが、それをおくびにも出さないのが堀内だ。この親族経営の遺物たちを追い出して、最終的に本社を関西に戻すつもりをしている。そのために、関西だけ関西で統括部門を作ってある。その要でもある浪速を、本社なんかに来させるわけにはいかないのだ。
「いちいち、べたべたすんなっっ、きっしょいんじゃっっ、おっさんっっ。」
水都の肩に後ろから顎を乗せて笑っている堀内は、水都に肘鉄を食らっても笑っている。
「まあ、この通りのじゃじゃ馬でしてな。あんたらでは、無理ですわ。・・・・・・ビール、飲み、みっちゃん。これ、高いエビスの限定や。」
机から、それを持ち上げて、水都のコップに注ぐと、大人しく、それを飲んでいる水都は、命じたから従っているように見えるが、実は、高くて限定でおいしいエビスのビールが、タダで飲めるということに反応している。それを知っているのは、堀内だけだから、他人様からすれば御しえているように思われるというのも計算のうちだ。
「みっちゃん、今日はおっちゃんと風呂入ろうな? 」
「あほかっっ、変態っっ。」
「恥ずかしがり屋さんやからなあ、みっちゃんは。」
「一回、賽の河原まで散歩でもして来いや、おっさん。」
いつもの会話なのだが、知らない人間には、浪速の言葉は強烈で、さすがに腰が引ける。まあ、飲め、と、堀内ががんがんとすきっ腹に飲ませたら、浪速は、すぐに酔っ払った。これでは冷静な話し合いなんて望めない。