アヴァロンは未だ遠く 2
屋敷は或人に家督を継がせんとするものと、郁人に味方するもので二分された。騎士団内でもそれは顕著で、測らずしてそれぞれ兄弟で或人と郁人の騎士であった洸とその兄らもまた、敵と味方に離れてしまったのだ。こころを痛めていたのは郁人だけではない。努力を重ねてもなお父に認められなかった或人の心痛は、推し量れるものではないだろう。
それでも父はかれら兄弟の、優れたほうに家督を継がせたがったのだ。かれ自身がそうやって東の大公の座を得てきたように。屋敷内での分裂は拮抗した。郁人が何度も父に訴えたところで許されることはなく、家督争いの決着を付けることとなってしまったのである。家督争いとは即ち、真剣での剣の勝負であった。
「…そもそも、おれが浅はかだった」
大公邸で行われるその争いの前夜、郁人は洸にそう零した。かれはひとしきり大公やら止めきれなかった父に憤っていたが、どこか、郁人が負けるわけがないと踏んでいたふしがある。安心しろ、大丈夫だ。そんなことを言っていたのを良く覚えている。
「おれが、凪と、仲良くなったから」
あの日、はじめて郁人が洸に国を出る、と言ったときから時を隔てずしてかれは帝都の学校に入学をした。そこで出会った皇子殿下と郁人は周囲の思惑とは違うところでお互いに似たものを感じ、親しく過ごしていたのである。
次の皇帝にもっとも近いかれと所縁を持ってしまった郁人は、ますます次期東の大公として魅力的な人間になってしまったのだ。
「友達つくるのが、悪いことなのかよ」
そう洸が言ってくれなければ、きっといつまでも自分はそれを悔いていただろうと、郁人は思っている。なんだか腹が立つから絶対にいってやらないが、郁人は幾度となく洸に救われていた。それはいつも洸がぼやいている、剣の腕の話ではない。精神面でだ。何があっても自分の味方だと思える存在に早くして出会ったことは、郁人にとって僥倖であった。かれが職務を全うせんとする優秀な騎士であったなら、と、時々郁人はうすら寒い気持ちになる。
そしてその日、郁人はそんなかれの騎士の、剣を磨く背中に呼びかけたものだ。
「…なあ、洸」
ついてきて、くれるか。何年もまえに口にした台詞を、この期に及んで吐こうとした。どこかでかれが頷くとわかっていて、そう言おうとしていた。
「俺の答えは、あの時となんにも変わってねえよ」
剣を磨く手をぴくりともさせずにそう言った背中を、まだ郁人はよく覚えている。かれの部屋が世にも珍しく片付いていることにも、小さなカバンがベッドの上に投げ出されていることも、果てはかれがこんな夜中に剣の手入れをしている理由にも気付いて、郁人は不覚なことに視界が滲むのを自覚していた。
「…おまえっていう、やつは」
辛うじてそれだけ零して、郁人はかれに背中を向けた。部屋にはもう置手紙まで準備してあるっていうのに、郁人はたった今愛したうつくしいこの国を、周囲の熱望を、棄てる決意をしたのだ。かれひとり、たったひとり傍にいてくれれば、怖いものなど何もない。そうこころの底から、思った。
無言のままにぐしゃぐしゃと郁人の髪を撫でて、それからそっとわななく手を握ってくれた掌の熱を思い出す。なんともなしに自分のてのひらを覗きこみ、郁人は軽く頭を振って、随想を頭から追い出した。子供たちの笑い声が、また明日の輪唱にいつのまにか擦り変わっている。もうそう待たずして洸も戻ってくるころだろう。
なんとなく腹が立ったので、帰ってきたら洸に唐辛子でもいれたカフェオレを淹れてやろうと思った。
作品名:アヴァロンは未だ遠く 2 作家名:シキ