彼岸花
ベランダは、たくさんの洗濯物に占領されて、歩けるだけのスペースもない。そこから眼下へ目をやると、彼岸花がたくさん、田んぼの土手に咲いている。
「あれ、昔、毒やから触ったらあかんって言われたんや。」
「ふーん、ほんまはちゃうんやろ? 俺、触ってたけど死んでないで。」
「本で調べたら、毒やのうてクスリやって書いてあった。まあ、あんまり効果のある薬にはならんかったらしけどな。・・・・・茎と根に毒はあるけど生で食わんとあかんらしいし、吐き気とか下痢くらいなもんやねんてさ。」
しかし、祖母は、まるで触ることで毒が回るとでも言うように、俺を戒めた。小さい頃だったから、俺も今みたいにひねくれていなくて、ちゃんと、それに従った。今でも触ったことはない。迷信ということではないが、あれは墓場に似合う花だ。毒があるから、土葬した遺体を動物が掘り出さないために植えられていた。そういう経緯があるから、彼岸花と呼ばれている。
「それ、誰に言われたん? 」
「・・・・ばあちゃん・・・・・」
「元気なんか? 」
「いや、もうおらへんよ。あの人がおらへんくなって、俺は家に存在する意味がなくなったからな。」
祖母が育ててくれている間は、それなりに家族というものが俺にもあった。それがなくなって、他の血縁者との繋がりが薄いことに気付いたのだ。別に、おかしいということはなかったが、どうしても、馴染めなかった。家族であるための儀式のような食事なんてものも興味がなかった。育ててくれた祖母には申し訳ないが、俺には、家族という関係が育たなかったらしい。
「可愛がられてたんやな、おまえ。」
唐突に、俺の頭を撫でて、俺の旦那は、ぽつりとそう言った。
「ん? 」
横に同じように立っている俺の旦那は、微笑んでいた。
「せやないか、それぐらい心配してもろたってことやろ? ばあちゃんは、目に入れても痛ないって思ってたんとちゃうか? 」
「せやろか? 」
「せやなかったら、おまえ、俺と、ここで暮らしてないやろ? ちゃんと人を好きになれるんは、そういう感情を誰かからもろたお陰や。」
「・・・・また、恥ずかしいこと言いよるで・・・・・」
そうかもしれない。少し壊れてはいるが、この旦那と暮らすことを認めたのは、俺だし、この旦那が一緒にいるのが当たり前で、ないことは考えられないようにはなっている。その感情は、親の遺伝子なんかでなくて、おそらく育ててくれた祖母に与えられたものだ。
気持ちの良い風が吹いて、眼下の彼岸花が揺れている。今は、知識があって、それが毒でないことを知っている。だが、知らない時は、それを信じていた。それは、祖母に絶対の信頼があったからだ。
「ええ風やな? 」
「せやな。買い物行かんでええんか? 」
「たまには外食せーへんか? 」
「俺は別にかまへんけど・・・・片道二時間とかは、いややからな。」
「そこまで行けへん。」
「ほんなら、一時間か? 」
「まあ、そんなとこやな。夕方、洗濯物取り込むまで待ってくれ。」
ハタハタと風ではためいている洗濯物は、まもなく乾くだろう。今日は、秋分の日で、彼岸だったかと気付いた。
「墓参りとかええんか? 」
旦那も気付いたのか、そう言い出した。
「・・・・覚えてない・・・・」
俺の生家の墓は、近所にあるのだが、もう二十年以上行ったことがないから正確な場所がわからない。それに、あそこにあるのは、ただの骨だ。あそこに祖母がいるわけではない。
「ばあちゃん、どんな人? 」
「普通。」
「・・・・・それ、人の評価として、どーなん? 」
「普通に、ごはん作って、普通に、朝起こしてくれて、普通に、「おかえり」って迎えてくれたから、普通や。」
「俺かてやってるやんけ? 」
普段、旦那が俺を叩き起こし、食事の用意をして、「おかえり」 と、出迎えてくれる。ただし、決定的に違うところがある。
「おまえ、俺を嫁にした段階で、普通やないやろ? 」
「あー確かに、一般的ではあらへんわな。ははははは・・・・しゃーないやろ、おまえ、俺の理想の嫁やったんやからさ。性別うっかりしただけやんけ。」
からからと旦那は笑って、奥へ入った。それを見送って、また、眼下へ目をやる。ひとつ、旦那には言えないが、俺は、この花が好きな理由がある。たまたま調べて知った花言葉に、俺は、ちょっと笑った。忌み嫌われる花なのに、そんな健気な言葉が載せられているのが、とてもおかしいと思ったからだ。たぶん、一生言うことはないだろうが、俺が秋に死んだら、あの花を棺おけ一杯に入れて欲しいと頼みたい。
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花言葉は、「想うのはあなた一人」と「また会う日を楽しみに」 だからだ。