賽は投げっぱなし
僕には、人としての何かが足りない。
心を温めた出来事でも他人に言わせれば。反応がない、素っ気ない、冷たいなど。
私は自分を肯定する訳ではないが、他愛の
内事と誰かに嘲笑されるのかもしれない。
又、自分で意味をどこか、履違えているの
かもしれないが、私はそんな中でも心がけて
いる事がある。
「さり気無い」と言う事。
優しく、それ故に吹いて飛ばして見ようなら風に晒され何処にさらわれのかもしれない
しかしそんなの当たり前だ。
寧ろそんなものに、執着してどうする。
そうこうして、あれでもない、これでもないなんて頭の中でやっていたら、結局どっちつかずで、と言う事はどちらでもないのかああ、ややこしい、どっちもどっちだなんてやっていたら、なんだかちんぷんかんぷんなって、だんだんと先が見えなくなった。
何が言いたいのか分からなくなった。
自分を落ち着かせる事に意識を集中していると自分にとって何が心を安らげるものなのかと思えば、不意に直感的に音を連想させた
スローで物哀しい音楽には叙情詩。
引き寄せられるように現れたのか。
哀しいメロディーに導かれ寄り添ったのか
僕には解らない、解るのは何とも言えない徒労感、言うなればぐだぐだが、僕に纏わりつくのは確かだろう。
そうすべては何の根拠もない直感が言わしたものだ。
それなのに、なぜだか自分では決まったと
思っている。
が、にも拘らず、誰かに常に助けを求めている、此処までやって来たのだから、ほら誰かフォローして見たいな。
これは、お話ではない。
常に賽子は転がっていて、同じ数に止まる
保障も増して、止まるかも分からない。
なので、お話のようにおちつかず。
きっと僕は何処か遠い世界にいっていたのだろう。
僕の愛する国では、それが通説とされる具合に。
確証は何もない、ただ風に吹かれるがまま
にこの世界が真実か嘘かそんなものどうでも
よろしい。
ただ自分の気持ちに踏ん切りとでも言おうか、まあようは納得すればそれでいい。
賽はこうして知らぬ間に、投げられたが僕は常に飛んでくる火の粉を避け僕そのものも
投げている。
まあ捉えようでどうにでも人の気は知れぬから。
僕は一人呟く。
「そんなもんだ、そんなもん」