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春日野土筆
春日野土筆
novelistID. 17976
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歯車

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 社会に参加することとは、すなわち、目覚まし時計の支配に従うことである。その屈辱と汚辱と恥辱をやりすごすことである。我々の社会的生活の管理権限者は、いうまでもなくあのけたたましい音を立てる歯車の塊である。一時期、私はその暴力的な管理から逃れていた時期があって、お察しの通り、それすなわちニートとしてのごく短い期間であった。前職を離れ、次の職を探すでもなくぽっかりと開けてしまったあの時間。私はひどく自由を感じ、そして薄暗い頼りなさが念頭にわだかまるのを無視できなかった。
 繰り返す。目覚まし時計こそが、我らの生活を管理する頂点たる権限者である。
 ゆえに、私はそれに最上級の嫌悪を表明する。
 また、ゆえに、私は目覚まし時計を購入する際には最新の注意と吟味を以って、品定めを欠かさない。ほんのわずかでもマシな目覚まし時計の選択こそが、私の精神にわずかばかりの安寧をもたらす。ゆえに、それに手間を惜しむことはない。慎重になってなりすぎることはないのである。
 音は大きいほうがよい。中途半端に手ぬるい起こし方をされ、かの真綿で締めるがごとき宙ぶらりんなまどろみの泥濘を味わうくらいなら、スイッチのオンオフの明解さを私は好む。人間の耳は高い周波数の音により注意をひきつけられるというため、音の高さも考慮すべきである。いっそのことモスキート音のごとき不快を催す一歩手前の音を放つ時計の登場を切望する。
 筐体の頑強さは重要事項である。叩いても踏んでも破壊されないものでなければいけない。つもる鬱憤とルサンチマンをぶつけるに躊躇させるような柔な代物では、私自らに蓄積された暴力性は自己破壊を試みるだろう。かような知見を手に入れる前、一度、二束三文の時計を思うさま床に叩きつけたことがある。結果は読者諸賢の御想像の通りである。経験から得るものは大きいのだ。
 デジタルにすべきかアナログにすべきか。これは議論の余地なくデジタルと言わざるを得ない。あの文字盤と針ので構成された画面は、一、二分のズレが誤差として許されるような心持にされるのである。割れ窓理論のメタファを待つことなく、モラルハザードとはこういったわずかなほころびが広がることによって起こるのであり、その許容範囲がやがて五分、十分と伸びてゆくのは自明の真理である。人の精神は怠惰に抵抗できるほど強靭に作られてはいない。その点、デジタル時計の無機質さは目覚まし時計の役目を十全に発揮させるのである。瞬間瞬間の時刻を決定論的に断じ、切り刻み、数字の羅列に貶めるその残酷さ。液晶に浮かぶ記号たちはあいまいな境界領域を許さず、それでこそこちらも恨みがいのある相手と言え、いっそすがすがしくすらある。悪とは徹底的に悪でないといけない。敵役の突然始めるお涙頂戴劇ほど気色の悪いものはない。
 ここで一つ問題がある。デジタルの時計とアナログの時計を総じて比較するに、音の面で優秀なものはアナログに多いのである。読者諸賢が目覚まし時計と聞いて思い浮かべる、例の、丸い文字盤の上にベルの付いたもの、あのようなタイプが音量・音質ともに優秀で、私をして早急に管理された現実世界へ落とし込むのである。基盤とスピーカの生み出す電子音よりは、かような金属をひたすらに叩き続けるハンマーの暴力性こそが、現代社会の隠蔽する暴力性を、メタファとして、現前たる説得力をもって示すのである。
 このようなジレンマを抱えながら、私は電気量販店へ足を運ぶ。理想通りの時計というものにはなかなか巡り会わない。音・耐久性・表示様式、その全てを完璧に満たす時計にはついぞ出会ったことがなく、どれも何かしらの不満を私に抱かせる。これで音さえよければ、同じ仕様でデジタル盤であれば、などと歯噛みすることの多いこと、ご想像頂きたい。繰り返すが、時計選びは慎重になってなりすぎることはないのだ。この忸怩たる社会に暮らす諦観を抱くに、それをほんのわずかでも軽減する、重要な儀式が時計選びなのだ。
 行きつけの量販店の、時計売り場の販売員。不本意ながら、私は彼に記憶されている。匿名の一利用客であることをやめ、記号づけられた個人として認識されている。私的な関係以外では社会の匿名性に埋没していたいのだが、やむを得ない。私は売り場に行くと脂ぎった額を光らせて立っている彼に挨拶する。いつしか私の目覚まし時計に対する造詣はプロフェッショナルである彼を置き去りにした。「やたら目覚ましに詳しいサラリーマン風男性」。それが私に与えらえた記号だ。甘んじて受けるにしくはない。いくらかは本物の親愛の情のこもるようになった営業スマイルを投げかける彼に、私もいくらかは本物の親しみを込めて返事をする。そうして世界は廻っている。アナログ時計の文字盤がそのメタファとなろうか。私はこの事実を心から呪おう。そして根本から降伏しよう。光る額の彼といくらか意見交換し、その日、私は通算四十二個目の目覚まし時計を買ったのである。


作品名:歯車 作家名:春日野土筆