戻らなくていい
10年前の私へ
ついさっき、10年前の私から手紙が届いたので、こうして返事を書いている所存です。
正直、驚きました。書いたってことすら忘れていたから。
とりあえず、手紙をありがとう、と言っておきます。
質問には順番に答えていきますね。
お酒は、けっこう飲む機会があります。今は大学生だから。
車の運転も、一応できるけど、ただのペーパードライバーです。がっかりした?
虫歯は、少しだけ増えました。気をつけてるつもりなんだけどな。
中学校はちゃんと卒業したけど、英語はほとんどしゃべれません。ハローとか、サンキューとかは言えるけど、そんなの、10年前の私だって言えたもんね。
高校も卒業したけど、彼氏、とうとうできなかったなぁ。でもね、一緒に帰ってくれる、素敵な友だちはできたよ。だから、別に期待はずれってわけじゃありません。高校生になるの、楽しみにしててよ。
それから、将来の夢だったね。
もちろん覚えてるよ。自分の名前を忘れられないのと同じ。私の一部として、今もあります。
でもね、がっかりしないで聞いてほしい。
あなたが思っているほど、私は進歩していません。
もちろん、10年前の私よりできることは増えました。小難しい英単語だっていくつも覚えたし、ジュースみたいな感覚でお酒を飲むようにはなりました。
でも、未だに外国人と話せるわけじゃないし、虫歯になれば歯医者さんにいくのは怖いです。
そう、たいして変わらないんです。
目標はあるけど、それに向かって着実に進歩できているかというと、今でも首をひねってしまうんです。むしろ、あなたよりも、今の私の方が、もっと目標から遠のいたように感じることばかりです。
私の方が10年年をとったぶん、あなたより10年タイムリミットに近付きました。
私の方が10年分の経験を積んだぶん、あなたより10年ぶんの疑問が増えました。
将来の夢。すてきな響きです。でも、今の私には、いつがその「将来」なのかわかりづらくなってしまいました。
あなたは、時間がたてば何もかも、それなりに変わっていくと思っているでしょう。でも、そんなのは気のせいです。実際には、たいして変わらない。
外見が変わっても、身近にいる人が変わっても、それで私が変わるわけではありません。
10年前の私がわからないことは今の私にだってわからないし、おそらくさらに10年たっても、それは変わらないでしょう。
私は、あなたの10年先の未来はひととおりわかります。
でも、そんな私だって、明日のことはわからないんです。当然ですね。私は、超能力者じゃないんだから。10年前の私がそうだったように。
人の役に立てる仕事がしたいって、言ってたよね?
でも、考えてもみてください。人の役に立たない仕事って、いったいどれくらいあるんでしょう?
お医者さんのように、直接人の命にかかわる仕事でなければ、人の役に立っていることにはならないんでしょうか?
ノーベル賞をとらなくては、世界から必要とされなくなってしまうんでしょうか?
そう考え始めると、私はいったい何をしていいかわからなくなってしまうんですよね。言いたいこと、わかります?
10年前の私の方が、もっと率直に目標を持っていたと思うと、なんだか悔しい気がします。
何度も言いますが、今の私とあなたとの違いなんて、あんまりありません。
学校に通ったぶん、使える漢字は増えました。
挫折を味わったぶん、物事に臆病になったかもしれません。
人に頭を下げたぶん、我慢が利くようにもなりました。
でも、それだけです。
私は高瀬明日香のままだし、これから10年たって、もしも名字が変わっても、それで私が変わるわけじゃありません。
だから、むやみやたらと未来に期待するのはやめましょう。
あなたが言ったとおり、それがどんなに短い時間でも、私たちはいつでも「今」にいるのです。
ずっと先のことのように思えても、いつかそれは「今」になってしまうのです。
私ができることは、未来についてあれこれ考えることではありません。
今できることをやる。これだけなんです。
10年たっても、20年たっても、たぶん死ぬまで、この事実は変わらない。
こうして書いてみると、10年前の私と、言ってることが変わりませんね。進歩ないなぁ。
もっとかっこいいこと書ければよかったんだけど。あなたが知らないことをつらつら書けるほど、大人になってればよかったんだけど。
ときどき、昔はよかったな、と思うことがあります。
子どもでいるということは楽だな、責任ないし、と。
でも、こうして10年前の私からの手紙を読んでいると、そうとは言い切れなくなりました。
たとえ10年後の私が、「昔の私はよかったなぁ、気楽で」と言うことがあったとしても、今の私はそうは思いません。
今は今で思うことがたくさんあるし、悩んだり、ため息をつきながら生きています。
でも、笑うことだってあるし、言いつくせない喜びを感じることも、たしかにあるんです。
だから、今、このときが気に入っています。
最後に。手紙、ありがとう。
あなたのこれからの10年間、いろいろあります。楽しいことばかりじゃないです。覚悟しておいてね。
一人で涙を流したときだってあったし、胸が痛くて呻くこともありました。
人が憎くて仕方ないこともあったし、逆に申し訳なくて消えてしまいたいと思う日もありました。
でも、それなしに、今の私はありません。
10年かけて、いろんな痛みを知ってください。
知って、それでも「今」が好きだと言える私でありますように。