君と過ごす時間
「それなら、辞めれば?」
「え?」
僕の悩みを聞いた友人は、あっさりとそう言った。そしてその言葉を口にした調子と同じくらいあっさり去っていった。
せっかちな友人にその言葉の続きを聞くことができたのは次に会った時だった。
「引退も悪くないと思うぜ」
「軽く言うなよ。それに、君にも迷惑がかかる!」
その続きを聞くことができたのは、また次回。
「俺はお前たちが決めたことなら喜んで受け入れる」
「…………」
次に会った時、彼は「お前たちで決めろ」と言った。そしてそれきり、僕が何を言ってもこのことについて話さなかった。
僕たち――僕と彼女と友人の仕事は、三人で行っている。それぞれに定められたペースがあり、そのどれが狂っても困ったことになる。だから僕と彼女が仕事を辞めてしまえばおそらく、彼も仕事を辞めることになるだろう。
それでいいのだろうか? 友人に迷惑をかけ、彼女にも仕事を辞めさせて、そうまでして僕が彼女といることに意味なんてあるのだろうか?
僕は本当にこの仕事を辞めても後悔はないのだろうか? 友人は本当にそれを祝福してくれるのだろうか? 彼女は僕といたいと思っていてくれているのだろうか?
全てを疑ってかかるのは僕の悪い癖だ。そう指摘してくれたのは友人と、僕の愛しい愛しい彼女だった。だけど大事な二人だから尚更、嫌われるような選択をしたくない。幸せにしたい。
でも、僕も幸せになりたい。
もしも許されるのなら、僕はこの仕事を辞めて、彼女と生きていくことを選ぶだろう。いや、許されなくたっていい。誰からも許されなくてもいい。友人には祝福してほしいけれど、たとえ友人に憎まれたっていい。
ただ、彼女さえ許してくれれば。彼女さえ隣にいてくれれば、それで。
「どうしたの?」
ああ、今は彼女とお昼ご飯を食べている最中なんだった。
「何も」
と、ごまかそうとしたけれど、どうしても聞いてみたくなった。おそるおそる彼女の目を見ながら聞いてみる。
「君は、僕とずっと一緒にいたいって思ったりする?」
彼女は大きな目をぱちくりとさせて、それからまた眩しい笑みを僕に向けて、
「いつだって思ってるわ。この仕事を投げ出してもいいって思うくらいにはね」
その言葉を聞いた時、僕は歩くことを辞めた。
彼女は戸惑ったけれど、それでも嬉しそうに微笑み、立ち止まった。
後から歩いてきた友人は満足そうな笑顔でおめでとうと言って祝福してくれたのだが、すぐに僕らをおいて先へ行ってしまった。耳の後ろが赤くなっているのが見えたから、照れくさかったのだろうと僕と彼女は笑った。
こんなに彼女といるのは初めてだった。素晴らしいことだとは思ったが、仕事への罪悪感ももちろんあった。
それでも、僕たちは数分に満たない時間を一週間で百六十八回繰り返すことでは決して得られなかった幸せを得た。
しっかりと繋いだ手をほどく必要がないということがこんなにも幸せだったとは昨日の自分には想像もできなかった。
ごめんなさい。謝って済むことじゃないけれど、ごめんなさい。
だれに向かって言っているのかは自分にもよくわからない。でも、言わなきゃならないと思った。
そして、ありがとう、と。