更新日時:2010-12-15 18:15:10
投稿日時:2010-12-15 18:13:51
あなふかく
著者の作品紹介
不衛生だ
不健全だ
そういった所謂道徳的な言葉がわたしにとってずっと気持ち悪いものでした
その理由が最近少しずつわかってきた気がします
それは誰かを叩き潰すための言葉だから
何かを排除してその何か以外のものになって
ただ安心したいだけのエゴに溢れた言葉だから
そしてそれだけの暴力性を持っていながら
正しいという顔をしている
その気持ち悪さからくるものなのだと思います
感想コメント (12)
ただ、実際当たり前と思っていても実は恣意的だったり不確かだったりして、その思い込みが誰かを排除して、罵って、悲しみに突き落としているのじゃないか。それが悲しくて怖かったのだと思います。 | 珈琲 | 2011-01-15 15:21:20
ご報告ありがとうございます。いや、私もそんなフーコー詳しいわけではないですけど(読んだのはコレクションの生政治・統治と権力・監禁ぐらい) | 珈琲 | 2011-01-15 15:17:58
今読み終えた本に、ミシェル・フーコー『性の歴史』から「権力の官能化」「抑圧仮説」が引用されていて、ホーンの少し詩の意味を理解したかもしれません。 | 健忘真実 | 2011-01-15 12:35:13
そうです。多分私はそういった言葉が存在することではなく、危うさを認識されないままある種無防備に使われることに怯えているのだと思います。だからこういう風に書いてしまうんでしょうね。 | 珈琲 | 2010-12-20 17:07:56
少なくとも道徳的と云われている言葉であればそんなことはないだろうと私たちは思いこんで、なんとなく使ってしまうのかもしれません。ほとんどの人は深く考えていないでしょう。考えなくなっています。 | 健忘真実 | 2010-12-20 08:41:14
暴力性のある言葉を無くすことはできない。誰もすべての人を理解することはできないから。さりげない言葉でも人を傷つけることがある。まさか、と思うことでも傷つけていることはある。 | 健忘真実 | 2010-12-20 08:32:00
二人いれば(例えば男女)どちらが主導権をとるか、というのが普通に存在しているものでしょうね。(ちっぽけな権力争い) | 健忘真実 | 2010-12-20 08:25:57
ただ権力が必ずしも「権力者と庶民」という一方向的な、上下的な構図で説明出来るのかは私は少し疑問に感じている部分でもあったりします。 | 珈琲 | 2010-12-18 14:57:28
ああ、宗教と権力の一面はあると思います。私はどちらかというと「権力全般」として描いていたので限定的に解釈されたのはどうしてかと思ったのでつい。 | 珈琲 | 2010-12-18 14:41:38
フーコーは知りません。ただ宗教と権力とはよく結び付いている。倫理を押しつけて。仏教が出てきたのは、今構想している作品に少しからんでくるから。 | 健忘真実 | 2010-12-18 12:57:32