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神の御言葉

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さり、と高く緋色の草が鳴っていた。
 人を屠った手を握り締めながら、アリカはその音を聞く。
 あの音だけは平和な時と変わりなく、何にも増して美しい、と。

 ルーヴェンの国境を戦火が襲ったのは、月が無になる朔の日の一日前、夕日も落ちた頃だった。
 その話を聞いてひどく狼狽したから覚えている。あの時自分以上にうろたえて焦り、あえぐように息を切らせていた、細い爪月しかない闇に浮かんだ幼馴染の顔も。
 彼女達占術者はこぞって自らの力不足を嘆いていた。
 無理もない。戦火を予言できなかったのは間違いもなく占術者のせいであり、そしてその予言ができなかったのは占術者達が誰一人としてルーヴェンの民の神、ココトの御言葉に気づけなかったせいだ。
 そう、全ての者が、理解している。
 その言葉の持つ意味は、誰一人として深く考えることもなく。
「アリカ……こんな所に居たのね」
「リン……?」
 自分の名を呼ぶ声に振り返れば、そこにあったのはアリカの予想通り、幼馴染のリンの白い顔だった。
 ふ、とつかれた息が重い。それだけで彼女の疲労が知れる。彼女達は今日もまた、聞き漏らした神の御言葉を聞くために必死になっていたのだろう。
「……探さずに休んでいればよかったのに。夜勤の人と交代したばかりでしょう? 疲れているのではないの?」
 労わる声は自分でも少し硬く聞こえた。まだ精神が高ぶっているのだろうか。ふると首を振って微笑むことでそれを消そうとすれば、それすら見抜いたのであろう幼馴染にひどく心配そうな瞳を向けられる。
 なんでもない、と笑みを深めつつ、アリカは彼女から視線をそらした。
 視界に映るのは、夕日の中、ひときわ深い色で輝く草景色。
 ……緋。
 赤いシューの草原の中で、アリカ達武術者が戦った証。
 戦えること自体を誇りに思えても、アリカはまだ人を屠ることには慣れない自分を感じる。訓練とは違って血の色を見るたびに、戸惑う自分を知覚する。
 けれどもここで国を守れないならば、自分達など必要ないのだ。
 もっとしっかりしなくては。アリカは武術者の間で幾度も繰り返された言葉を自らの内でも繰り返す。リン達占術者と同じ轍を踏んではいけない。
 草へと視線を向けたまま、アリカはいつものようにリンの手を握った。
 振り向きもしないで帰ろうと促せば、半歩遅れてリンが歩き出した音がした。かそけき衣擦れがやけに耳につく。
「……赤いわね」
「夕日? もう沈みきる寸前ね」
「違うわ」
「ああ、じゃあシューの葉? シューの葉は今が盛りだものね」
「……違うわ。あなたの顔よ、アリカ。……真っ赤」
 血で。
 隠された言葉が分かって、アリカは困ったように眉をひそめた。
 リンは躊躇うような間を置いた後、たおやかな白い手を伸ばしてアリカの少しかさついた頬を拭った。
「肌が荒れてる。唇も、切れてる。……ごめんなさい。これも私達のせいなのね」
 痛々しげに目を細めたリンこそが痛々しくて、アリカはまた視線をそらす。
 紅をさす余裕がなくなったのはリンも同じだ。
 なのにリンはこうやってアリカばかりを気遣う。
 占術者と、武術者という違い。幼馴染の二人の違いはそれだけだというのに、その立場の違いが彼女を心苦しくさせている。
「別にコレはリンのせいじゃ……」
「私達のせいでしょう?!」
 言いかけたアリカの言葉を遮ったのは、リンの思いつめた声。
 予言できなかった占術者の一人だからこそ、か。最近のリンには少しの余裕もない。
 落ち着いて、と声をかける隙すらも与えてくれない。

 ―――何故、彼女達はこんなにも予言がなされなかったことを自らのせいだと思うのか。

 分かりきった疑問が心を掠めた。
 彼女が占術者で、神の御言葉を聞けなかったからだ。
 武術者であるアリカにさえ分かるその言葉の意味。
 けれども分からないことが、一つ、ある。
 何故信心深い彼女達が、神の御言葉が聞こえなかったのか。
 普通ならばありえないことだ。それは絶対神ココトへの裏切りに値する。
 こんなにも神の御言葉を聞こうと必死になっている彼女達が、その御言葉が聞こえないはずがないのに。

 では何故聞こえなかったのか。

 何故……聞こえなかった?


 ……本当に、それは、聞こえるものなのか―――?

 
「……アリカ?」
「い、いえ。なんでもないの」
 いぶかしむリンの手を握り締めて、アリカはとっさに浮かんだ疑問を封じた。
 ルーヴェンの民は誰も、神官をはじめとする高位の占術者達すらも、『神の御言葉がなかった』とは思わない。そして当然、神の存在への疑問等とは、一度たりとて思い浮かべない。疑問の欠けらさえ抱かない。
「本当に、なんでもないの」
 息苦しい気持ちを隠して、アリカは不安そうなリンに向けて、笑みを浮かべた。

 だって、分かっている。
 アリカにすら、分かっている。


 信じている。
 ―――それは、恐らくはとても、とても幸いなことなのだ。


作品名:神の御言葉 作家名:睦月真