ボールペン
「さようなら、赤さん、青さん。今まで楽しかったです」
そう言って黒さんはプラスチックの筒から出て行き、二度と帰らぬひととなった。金属製のゴミ箱へ放り投げられ、かこん、と寒々しい音を立てながら。
「あたしも、もうすぐでお別れだわ」
黒さんのいなくなった筒の中で赤さんは言った。赤さんのインクはもう爪の先ほどしか残っていない。俺たちの持ち主が、物を最後まで大事に使う人物でよかったと思う。貧乏性とも言えるけれど。でなければ赤さんも今頃捨てられていただろう。もうインクの出も悪くなっていて、しょっちゅう、こんこんこん、と俺たちは揺さぶられるのだが、まあもう慣れっこだった。
俺たちはインク詰め替え式の三色ボールペンだ。黒さん、赤さん、それから青の俺。やっぱり赤や黒の方が使う場面が多いらしい。こんなふうに黒さんが詰め替えられるのは初めてではなかった。もう何度目の詰め替えか、数えるのはやめたのでわからない。
「あら、新しい黒さんが来るわよ」
赤さんが言ったのとほぼ同時に、新品の黒さんが、すー、と詰め込まれた。当たり前なのだけれど、その体は艶やかな、混じり気のない黒でなみなみと満たされている。でも、彼女の体は、きっとまた俺よりも早くに年老いてしまうのだ。持ち主が急にとち狂って、俺ばかり使うようにならない限りは。
「初めまして、赤さん、青さん」
新しい黒さんは、前の黒さん、前の前の黒さん、前の前の前の…………黒さんたちと同じ声で言った。彼女たちはまったく同じなのだ。ただ、インクが満ちているかそうでないか、記憶があるかないかの違いがあるだけ。
「こちらこそよろしくね、新しい黒さん」
赤さんは少し高揚した調子で言った。赤さんが黒さんの詰め替えを目の当たりにするのはこれが初めてなのだ。というのも、赤さんも黒さんもほぼ同じスピードでインクが減ってゆくので、俺みたいなことにはならないから。
俺は今までに何本もの赤さん、そして黒さんに出会ってきた。何度生まれ変わろうと黒さんは黒さんだった。彼女が生まれ変わるたび、俺は「初めまして」を言わなければならなかった。俺にとってはそうではないのに。俺は憶えているのに、相手は俺のことなんてひとつも知らない。その切なさを俺はあと何度味わえばいいのだろう。
俺だけが記憶に刻んでゆく。これまでも、そしてこれから先もずっと。俺のインク尽きる日まで。
「ちょっと、あなたも何か言いなさいよ」
赤さんにたしなめられ、俺は我に返った。
「あ……黒さん、俺、」
貴女のことが好きでした。貴女がここに来る前も、その前も、そのまた前も、ずっと、ずっとずっと好きでした。
と言ってしまえば、黒さんは困ってしまうだろう。
「……初めまして」
結局、口を閉ざし、間が空いて出てきたのはいつもの諦めの言葉だった。
俺はあと何度、貴女に恋をするのだろう。そしていつまでそれを抱えて生きてゆけばいいのだろう。新しくなった黒さんも、すぐにまた俺の前から消えてゆくのに。
「ね、青さん。私あなたのこと知りたいわ。色々きかせて? 一緒に、たくさんの思い出つくっていきましょうね」
黒さんのその無邪気な言葉も、もはや俺を苦しめるものでしかなかった。
嗚呼、早く、早く俺のインクよ尽きてくれ。
これ以上ながらえても、俺の心はかなしみで弱ってゆくばかりなのだから。