インターネットを普段から人々が触るこの時代にそんなものに縁がなかった彼はそれに初めて触れた時、免疫が全くなく、したがってネット社会にすごく抵抗感があった。そしてそのためにほかの人より一歩引いてすべてを眺めることができた。人々の付き合いのうち一体いくつが本当の心なのだろうかなんて考えながら。今日もいないことにされる人間が沢山いる。それは何のことはない、この情報発信者会で情報を発信し続けないから『行方不明』になってしまうのだ。捜索願を出されて見つかれば別に何のこともなく生きているのに、存在は死んでいることにされてしまう(だから鈴木宗男氏は獄中でも情報発信していきたいと述べたのだろう)。それは生きていることになるんだろうか?情報として『生きている』ことが、実際に生きていることよりも優先されるのか?
藍染は自分のアバターを3つ作って仮想上の喧嘩をさせる。すぐに群がり、それぞれの肩を持ち口論をし始める(炎上とか祭りという奴だ)。本当は一人の人なのに、あたかも三人の別の人間が生きているみたいだ。それを眺めて、ふと呟く。
「あいつは『死んでいる』んだな」
その知り合いは山に籠ってずっと人との付き合いを断っており、ただ一人親友だった藍染だけが彼とのコンタクトをとっていた。何でこもったのかを問うと、彼は「生きたいけど『生き』たくはない」と言っていた。