白猫
不思議に思い、もっと注意して聞いてみようと思うのだが、片方の耳は塞がっているし、もう片方は耳かきががさごそといっているので、どうも不明瞭で聞き取りづらい。まあいいかと思いながら、私はまたうとうとした。
妻のおしゃべりは一向に止まない、やむ気配がない。私は時折あくびをかみ殺し、それでも一応聞いていた。相変わらず何かに怒っているようであるが、私にはよく分からない。
「……あの時、あなたが、……」
何やら、妻は私に対して怒っているようである。しかし耳掃除をしてもらいながら半分夢うつつの私には、とんと心当たりがない。黙っていると、段々妻の耳かきを動かす手が乱暴になってきたようである。そもそも、片方の耳を掃除するのに、どうも時間がかかりすぎているような気もする。それでも私はだんまりを決め込んでいた。妻の声の調子が、だんだん高くなっていく。それにつれて、ますます言葉の一つ一つが聞き取りづらくなっていく。
「だから、……それで、私は……」
妻の息が荒い。目を閉じている私の顔に、ふうふうと息がかかる。どうも臭い。おかしいな、魚のような匂いがするぞ、と私は思い、それでもただじっとしていた。動くのは面倒だったし、妻の耳掃除は続いているので、急に動くわけにもいかない。私はされるがままになっていた。妻はふんふんと鼻息荒く顔を近づけてくるようである。
「……あの時、あんなことを」
言いながら、妻の、私の頭を押さえていたほうの手に、力が入った。おや爪が伸びているな、と私は思い、次いで、昨日の昼に妻が爪の手入れをしていたことを思い出した。爪というのは一夜でこんなに伸びるのか、と私は一人で感心する。そういえば、妻は先ほどから右足を気にしているようだ。ずっと私の頭を乗せているせいで、痺れてしまったのかもしれない。
妻は相も変らず耳かきを乱暴にひねくり回し、まるで私の鼓膜を破ってやろうとでも考えているようだ。
「あなたは……、」
妻の声が一段と高く響いた時、私ははっとして眼を開いた。そして動いていた耳かきを掴んで離し、急いで起き上がった。妻のほうを見ると、輪郭がはっきりしない白い顔に、にたあという笑いを貼り付けて、こちらを見ていた。爪が異常に長い。
「お、お前はまさか、」
「みゃーーーーーお」
妻は一声高く鳴き、縁側から、外へ続いている庭へと、両手両足を使って、右足をちょっと引きずりながら、猫のように行ってしまった。それを見送った私は嫌な気持ちがした。
その後、戸締りをきちんとして、部屋にこもって眠った。夕方ごろ、爪の短い妻が私を起こしに来た。さっきのあれは夢だったのか知らん、と考えたが、夕食の頃に窓の外をふと見ると、右足を引きずって庭を横切りながら、こちらを眺めていた白い猫と目が合った。
「みゃーーーーーお」
私は卒倒した。