そして、先輩は猫が嫌い
校舎の裏に猫の小屋がある。朽ちて、その中にはもう過去の、鳴き声、特有の獣くささは残っていない。
誰かが拾ってきた猫。誰も自宅では飼えないというから、学校が引き取った。当番を決めて、生徒が世話をした。
いつだったかは忘れた。ただ猫は子猫のまま死んだ。
猫を埋めた土の盛り上がりだけ、今はそこにある。小屋の傍ら、群生するドクダミに姿を隠され、土肌はもう見えないけれど。
「君は泣いてた」
背後に気配。といっても気づいていた。この人は付いてくる。どこへでも付いてくる。止めてと言っても聞かないから、私は諦めて、彼女を無視して、今日はここへ来た。
荒れた裏庭。廃校になって以来、人の手の入らない、草むら。悪路。
それでも、先輩はやってきて、こうして後ろに立っている。
「泣いてたね」
声の温度に、ほだされそうになる。振り返ると、先輩は声のままいたわるような顔で、蔦の絡まる木の傍にいる。
そして言う。
「かわいかった。君の泣き顔」
――困った。
この人は、空気を読まない。積極的に期待を外す。私の心を承知の上で、求めていない言葉を押し付ける。
だけど私は先輩に手が出せない。先輩は、先輩だ。ずっと。私が、そう、子猫みたいに小さなころから。見てきた。この人を。だから、この人に手を上げられない。
「なんで黙ってるの?」
先輩は表情を変えた。唇を突き出して、すねたように。ああ憎たらしい。
「ああ好き。今、君が好き」
「意味わかんないです」
「怒ってても、楽しそうでも、忙しそうでも、悲しい顔じゃなければ、私は君のどんな表情も好きなの」
「嘘」
「ほんと」
「さっき、泣き顔がかわいかったとか言ってました」
「かわいかったけど、好きじゃない」
先輩の口調は変わらない。ただ少しだけ目を伏せて、また上げて、私をその目に移して、表情を柔らかく崩した。
「傷ついた? ごめん」
笑いながら謝罪する、誠意のなさ。けれど私は何も責めない。そうしたら、この人の思うつぼだとわかっているからだ。だから、私はそのままの顔をなるべく保ちながら、先輩を見た。先輩は「意地っ張り」と目を細める。腰の後ろで手を組んで、胸をそらし、先輩は空を仰いだ。広がる青空に興味もないくせに、「いい天気だねえ」と暢気に言って、私を油断させようとする。
その姿は、図らずも気ままな猫のようだった。ひょろりとした体躯が日光に晒される。
――不気味。
本来、この人には似合わない。同じ光であるならば、もっとささやかに、姿さえ判別できればいい、真夜中の街路灯くらいがちょうどいい。眩しすぎる光は、よく蝕む。
先輩の目が私を見つけて、私は見つかったことに気づく。
「今は泣いてもいいよ」
「悲しくないのに泣けません」
「今泣くのは、かわいい。それに、好き。私のことを見て、考えて、泣くなら、好きだよ」
「泣けません」
「泣いてもいいのに」
問答の結果を不服そうに、しかし収穫はあったようで、先輩は小さく唇をゆがませる。悪い顔。意地の悪い笑み。私は絶対に顔をそらすものかと再度誓う。そんな私を、先輩は一層おかしそうに、まじまじと見る。
――今だけは、絶対に鏡を見たくない。
作品名:そして、先輩は猫が嫌い 作家名:やまた