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「そういえば昨日、お隣さんうるさくなかった?」
「ん」
 気の無い返事をしながら彼はメンチカツを頬張る。彼が美味しいものを食べている時の癖、もぐもぐ、普段から細い目が線の様になる。皿の方ばかり見て。
「ぼっ、ぼっ。みたいに……壁とか叩いてそうな。このマンション、壁薄いのに。それに深夜なのに」
「んん、嫌なことでもあったのかもなぁ」
 彼はほんの少し目を開けてこちらを見ると、また、カツの方へ。私の話はそいつ程も味気が無いのか。オーディオから”ABOVE”が流れ、卓上の花がゆら揺れる。


 彼と付き合い始めて8か月になる。優しくて背がちょっと高くて、意外と頼りになる、そんな普通の人。それだけなら特に惹かれないけれど、気が緩んだ時に見せる子犬のような表情に心をがしっと掴まれた。「ほわぁうぁ」って今にも口から洩れ出て来そうなあの顔。たったそれだけのことでずっと一緒にいたいな、と思った。
 その、顔。ほんのたまに、無表情な様で陰りが見える時がある。夜のキャンプ場の草むらに寝転がって星を見ていたり、秋の終わりに寒空の下で海鳥を眺めてたり、そこのベランダでぼんやりしてたり、その横顔。悩みがあるなら聞くよ、って言ってもどうせ打ち明けてくれないんだろうな。私は彼女なのに。


 ”utakata”が耳に入ってきて、浮いていた意識が戻ってきた。彼がこっちを見て柔らかく微笑んでる。
「大丈夫? 眠くなったなら寝ていいよ、食器洗っておくから」
 彼のは皿も茶碗も綺麗に平らげられてて、うん、いいな。少し長めで軽いくせっ毛の頭をもしゃくしゃしてやりたい。
「皿割っちゃわないでよ? あ、じゃあ半分食べてくれる?」
 元々少食な私、よく食べる彼がいてよかったと思う。何故か突然食欲が無くなってしまうことが頻繁にあって困る。頑張って詰め込む。痩せる時、在って欲しい肉が最後まで残るタイプだけど、近頃はそこも無くなってしまいそうで怖い。友達に言うと嫌な空気になるから言えないけれど、切実。
 食卓の料理が全て収まるのに数分もかからなかった。彼が台所で食器を洗ってくれてる間に私は洗面所で。歯を磨き終わり、いつもの場所を探る。

 風邪薬、体温計、サプリメント、サプリメント、違う。睡眠薬が少しも無い。濃い紫と薄い黄緑が混ぜ合わさって目の前を覆う気がした。今日までに病院に行くつもりだったのに、どうして忘れてしまってたんだろう、明日はきっと一日中憂鬱だ。
 眠れなくても、眠ってる様にしておこう。気を遣ってくれてる彼が眠るまで。


「おやすみ」
 彼の返事が無い。またいつものぼんやり。洗い上がった食器はまだ半分ほどで、水は出しっぱなしになっててもったいない。右手に中くらいの平皿、左手にスポンジ、両方とも流しに触れそうなほど低い。私はもう一度声をかけるのはよして、なるべく静かに寝室へ行く。足がもつれそう、今日は飲んでないのに、飲めなかったのに。

 寝室に入ると、扉をきちんと閉めることも出来ずベッドに身体を預けた。柔らかくて、とりあえず深く呼吸をして、眠くなくて、どうしよう。頭以外を毛布とシーツの間にもふもふと潜り込ませると、安心してシュシュを外し。と、



 壁を叩くでも皿が割れるでもない、もっと救いの無い音が向こうから。そして”neverland”が聴こえる。
作品名:10_1130 作家名:魚ノ瀬 悠