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ナタデココ

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 小学校の卒業文集の作文テーマは『将来の夢』だった。それで、先生がクラス全員に将来の夢を訊いていったのだけれど、男の子はスポーツ選手、女の子は漫画家という答えが多くて、そういう答えを聞いていると、私は自分の本当の夢を言うべきかどうか迷ってしまった。それで、自分の番が回ってくると私は、「ナタデココの会社の社長!」と若干興奮気味に答えていた。その瞬間、クラス中にどっと笑いが巻き起こった。意味が分からなかった。だって、あれでも一応は遠慮して物を言ったのだ。会社の社長、はちゃんとした職業だもの。そういうことを言うべきなんだろうと子供心に慮って、私なりに妥協したのだ。本当は「ナタデココ」になりたかったのに。
 ナタ・デ・ココ。まだ小学生だった私にとって、彼の存在はあまりに衝撃的すぎた。大学生になった今でも、ときたまフルーツゼリーなどに入っている彼に出会すと、「ああ……ナタデココ!」と感動してしまう。別にナタデココの味が好きだというわけではない(そもそも彼に味などないに等しい)のだ。ただただ、彼に畏敬の念を感じずにはいられない。憧憬する。ほとんど恋していると言っても良い。
 彼の素敵なところ——その役割、形、色、佇まい。
 どれを取っても素晴らしく、そしてそれらはすべて、彼の或る性格に起因している。ナタデココをナタデココたらしめているそれ、それこそが私の『将来の夢』なのである。
 まず、彼の役割については、もう大抵の人が十分に知っていると思う。本場フィリピンでは料理として出されることもあるのだろうが、日本においては専ら、ゼリーなどに加えるちょっとしたアクセント、言ってしまえば脇役である。主役になろうとしない。彼ほど華やかさからほど遠いデザートというのはなかなか無いだろう。だが、彼の凄いところは、それにもかかわらず存在感の薄くないところだ。むしろ圧倒的な存在感を持ってそこに居る。繰り返すが、もちろん彼に華などはなく目立たない、のである。実際、ゼリーを買うときにナタデココの存在など気にはしない(当然、蜜柑ゼリーなら蜜柑、葡萄ゼリーなら葡萄に気が行く)し、ゼリーを食べ始めてもしばらくは、蜜柑や葡萄ばかり選んで食べていれば、彼の存在に気付かないことだってあるかもしれない。しかし、だ! ひとたび彼を口にしてしまえば、たちまちに「嗚呼! なんてこと!」と気付く。ごりゅ、ごりゅ、と何ともいえない、あの食感! いや、食感などという言葉では足りない。奇妙な歯ごたえと言えば良いのか。あれには驚かされる。豆腐みたいに柔らかいのかと思いきや、ごりゅ、ごりゅ、なんだから。
 つまりは、ちゃんと自分の芯を持った脇役なのだということ。なかなかに凛としている。
 凛としている、といえば、その姿形も素晴らしく冴え冴えとしているではないか。立方体、というかたち。立方体には、他のかたちには無い不思議な魅力がある。均整が取れていて、どこまでも公平で、秩序立っていて、絶対的、という風格がある。それでいて、なんとなく冷たい感じがして近寄りがたい、というふうには決して感じさせない。どことなく「かわいい」とさえ思える何かがある。何か、というのは、例えばサイコロのそれだったり、子供が絵に描いたプレゼントの箱のそれ、などを思い出せば、なんとなく分かるのではないだろうか。
 確固たる自身を持っていて歯ごたえがあるのに、目立つことはない。絶対的な公平さで凛としているのに、あたたかな親しみさえ湧いてしまう。それは何故か。
 それは彼が、優しいからだ。優しい脇役だからだ。
 しかしその優しさというのも控えめなもので、決して押しつけがましくないところが良い。ふとした瞬間に、「あ……」と思い至るようなそれ。じんわり、胸を温かく、そして切なくさせる類の優しさ。
 彼の持つ優しさはその色にも現れている。ナタデココはココナッツの汁から作られていて、皆さんご存知の通り、やわらかな乳白色をしているのだ。乳白色、というのがまた絶妙である。桃色や橙色といった色も優しい色なのだが、それらとはまた違う。半透明というのがみそなのだろう。過不足なく、付かず離れずの、とても心地よい距離を生む。まったくの透明では重すぎたり、はたまた遠くに感じたりするものだし、とはいえ透明度が皆無では親しく思うことはできないだろう。乳白色は人を「ほっ」とさせる優しさの色だ。こういうのを素朴さとも言うのだろうか。誠実さとも近いかもしれない。
 さて。こうやって、ナタデココの性格について説明してみて改めて、やっぱり、と思うことがある。
 やっぱり、彼は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に似ている。

 何者にも臆さない丈夫な歯ごたえの持ち主である彼。
 しかし欲はなく、常に脇役として質素にそこに居る彼。
 控えめに、とても穏やかに、ただ静かに優しく笑っている彼。
 ……素敵、じゃないか。そういうものに、わたしもなりたい。

 花屋、漫画家、医者、考古学者、国連職員、司書、小説家——色々な職業を夢見てみるものの、勿論それらが最終目標というわけでは全然ない。それらは謂わば、目的地へ到達するための手段や、航路といったものたち。だから、仮にそれらが潰えたとしても終わりではない。航路の変更は自由なのだ。実際、小学校の頃になりたいと思っていた職業と、今なりたいと思っている職業と、まったく同じだというひとは少ないだろう。いくつもある航路のうちのひとつに過ぎないのだから、それでいい。目的地へ到達するための。その目的地というのがいちばん肝心なところで、恐らく普遍的で不変的な場所なのだ。一生かかって到達すべき場所。それこそが——……。

 つまるところ、やっぱり私は「ナタデココ」になりたいのであった。
作品名:ナタデココ 作家名:明治ミルク