コーヒーの先に
あのコーヒーというのは、ちょっと前までほぼ毎朝飲んでいた、通勤途中に路上販売していたホットコーヒーのこと。
電車を降りて、会社に行く坂の途中。小さなテーブルに銀色のポットと紙コップを並べた店構え。
ちょっと大柄で黒のニットをかぶった男と、細身で髪の長いバンダナの女性が、毎朝行きかう人の流れに笑顔で挨拶を振りまいている。立ち止まると、これまた笑顔で挨拶をしてくれて、芳しいホットコーヒーを差し出して、いってらっしゃい、と、元気をくれた。
その芳しいコーヒーと、いってらっしゃい、が欲しくて、毎日足が止まってしまっていた。よほど急いでいない限り、家を出た僕の目的地はまずその小さなテーブルであって、コーヒーを手にした後の一歩目から、目的地が会社になる。それが日常だった。
だったのだけれど、ある日からぱったりと、僕の目的地の小さなテーブルは姿を見せなくなった。毎朝元気をくれたニットの男もバンダナの女性も、ぱったり姿を見せない。もう、かれこれ1ヶ月になる。一体、どうしたというのだろう。
毎朝、僕のようにあのテーブルに足を止める人は、結構いた。毎朝のことだから、見慣れた顔と一緒に並ぶことも多かった。常連さんがたくさんいた、ということだ。だから、商売にならないからやめた、という理由ではないように思う。
だからこそ気になった。何かあったのではないか、と。
名前も知らない男女だけれど、毎朝顔をあわせ、僕がブラックコーヒーのホットを、夏でも好むことを知っている二人なのだ。同じ会社で同じフロアにいる、顔は知っているけれど言葉を交わしたことはない同僚よりも、よほど近しい間柄だと思えてくる。同僚は、僕がコーヒーを好きかどうかも明確には認識していないだろう。
購入した缶コーヒーを見つめながら、あの香りと、いってらっしゃい、を思い出す。なんだか急に、あの二人が恋しくなってくるから不思議だ。
昨日、僕の会社が納めたソフトに重大なバグが潜んでいたことが発覚した。そのバグの原因は僕が所属しているグループが担当した箇所に潜んでいて、そのプログラムを書いたのは僕だった。
グループみんなでレビューを重ね、アルゴリズムから作り上げ、プログラムを書いたのは僕だけれど、みんなで何度も試験を重ねた。他のグループが作ったプログラムと合わせた機能試験は、別グループが担当した。ソフトを納めた取引先の会社で、世に送り出すための最後の検証試験が行われた。そこでも、バグは見つかることはなかった。
だけれど、バグが見つかったらその責任はうちの会社に降ってきて、僕のグループに降ってきて、僕に降りかかる。
みんなわかっている。バグは、絶対になくならない。どんなに試験を手厚くしても、レビューを繰り返しても、アルゴリズムをプログラムを書き直しても、どうしてかバグは潜んでいるし、みんなそれに気づかない。
わかっているのだけれど、書いたのは誰だ、という目は僕を捜す。バグを潜ませたのが僕ではなかったときは、僕も犯人を捜す。「責任」という文字が収まる場所は、必ずなくてはならないのだ。できれば、自分以外のところに。
でも今、その「責任」は僕のところに収まっている。みんな僕を責めないけれど、「責任」が僕に収まっていることを知っている。
取引先からありえない納期を言い渡されて、文字通り不眠不休でパソコンに向かい、プログラム言語でコンピュータに機能を植えつけた日々。奪われる体力と精神力を振り絞り、時には愚痴りながら、それでも、猛スピードで過ぎていく時間に乗り遅れないようがんばろう、とお互いを励ましあったグループの仲間。彼らは今、僕という責任が収まるところを見つけられて、きっとほっとしているに違いない。別にそれは悪いことではなくて、とても当たり前の、本能のようなものだとわかっている。僕だって、責任が収まるところが他の仲間であれば、きっとほっとする。
見つかった重大なバグを修正するプログラムは、昨日今日の2日間で、これまた不眠不休で書き上げた。会社の同僚たちと最後の機能試験をやりながら、僕はミスをしてしまったことで不眠不休を強いてしまった同僚や対応に追われる関係者たちに謝罪の念を抱き、押しつぶされそうになっていた。でも一方で、こいつらはきっとほっとしているだろう、と仲間を軽蔑するような目で見ている。なんで僕なんだよ、ちくしょう、と、何かのせいにしようともしている。そして、そんな自分に嫌気がさす。でも、それもまた人間の本能のようなものなのだ、と、正当化する自分もいる。
とにかく、頭の中でたくさんの僕が言いたいことを言い合っていて、そのすべてがひどくネガティブなものばかりで、もうとにかくうんざりしていた。徹夜明けの眠気も重なっているから最悪だ。
このネガティブだらけの重たい頭をなんとかしたい!と思って休憩所で缶コーヒーを買った。そしたらなぜか、すっかり忘れていたあの朝のホットコーヒーの二人を思い出した。
あのコーヒーと笑顔は、どんなバリスタが淹れたコーヒーより、僕を救ってくれるに違いない。
すがる思いで買ったはずの110円の缶コーヒーが、急に無機質な寂しいものに見え始める。僕は本当に身勝手で恩知らずな生き物だ。