ウブメ橋
1.伊藤麻衣子と高尾君
2009年7月上旬。
私は大学の試験勉強の合い間に地元に戻り母校を訪れた。
訪れると言っても、母校の周りをうろつき、下校途中の高校生達を眺めると言う不審者のような真似事をするだけ。
いつ不審者と思われて通報されるかと不安に思っていたが、顔見知りの人間がいないわけでもなく、田舎の安穏とした空気に合わせれば、特に誰に怪しまれるということはなかった。
お目当ての彼に出会えたのは三回目の訪問のことだった。
夏の制服をきっちりと着こなし、横にいる友人らしき男子生徒と楽しそうにおしゃべりをしている。
後ろから高尾君の名前を呼ぶと、彼は驚いた顔をして、振り返った。
数秒遅れて友人の男子生徒も同じように振り返る。高尾君に比べて生気がなく、青白い顔をした男子生徒であった。
私は何か背中にひやりとしたものを覚えながら「久しぶり」と高尾君に親しみを込めて話しかける。
高尾君は僅かに眉根を寄せ、横にいる男子生徒と二言三言話すと、こちらへと足を向ける。
「久しぶり、伊藤さん。場所変えようか」
彼は一刻も早く友人のもとを離れたいのか、私の腕を掴み、ぐいぐいと引っ張っていく。
ちらりと後ろを振り返ると、男子学生の暗い瞳がいつまでも私達を追いかけていた。
私達が向かった場所は学生の間でウブメ橋と呼ばれるいわくのある橋だ。
いわくがある以外はこれといって変わったところはない。
階段から川岸におり、犬を散歩させている老人とすれ違い、誰のものだかわからない小さな畑を踏んずけそうになりながら、橋の下で足を止めた。
まだ日は長く、外に見える景色は明るいというのに、橋の下だけは薄暗い。
橋の上からトラックが通るたびに鈍い音が響いてくる。
風が通り抜けると川岸に落ちたビニール袋がかさりと音を立てる。
下校途中の小学生らしき女の子の笑い声が降って来る。
賑やか音が一方的に聞こえてくるだけで、こちらからは何も音は発しない。
すぐ傍にあるとわかっていながらも滅多に足を踏み入れる事がない忘れ去られた世界。
何度来てもどこか私を不安にさせる場所だ。
「橋の下っていうのはね、あの世とこの世の出入り口だと考えられていたんだ。あちらに見える景色はあんなにも明るく賑やかなのに、こちらはまるで薄暗く、静寂に包まれている」
高尾君は橋の影と日の当る境界部分を指差し、目を細め、口角を上げた。
意地の悪い本性が私の前だからか剥き出しになっている。
「あっちの世界の人に関わるのはもう止めたら?
アレに魂を食べさせるなんてそんなことして何になるっていうの?」
「そりゃあ、楽しいからさ。あっちの世界の人間を誑かして、魂が壊れる様を見るのが、僕の生きがいだからさ」
愚かな少年は何年経っても愚かなまま。いや、更に落ちたかもしれない。
「最低ね」
込められるだけの侮蔑を込めてそう吐き捨てると、彼は鼻で笑い、腰を屈めて、足元の平らな石を拾い、対岸に向かって投げた。
水面を飛び跳ねた石がいくつも波紋をつくり暗い川の底に沈んでいく。
彼の手により、躍らされて、最後には闇に沈められる。
まるでこれからのあの男子学生の末路を見ているようだった。