画面の外側
その人の死を嘆き、涙する。それが私の葬式に対するイメージだった。そして、そのイメージは大きく裏切られることになる。
「あ、いらっしゃい、よく来てくれたね!」
彼女の第一声は、あまりにもいつもどおりで、だからこそ私はひどく面喰った。
当時小学生だった私と彼女は、地域のソフトボールクラブに入ったことで知り合った。
私とはまるで正反対の彼女は人望と実力を兼ね備えた、部の中心人物だった。
いつだって笑顔。それが、彼女に対する、部の共通認識だった。
練習がどんなに厳しくても、試合の状況がどんなに絶望的でも。
私は、それが彼女の強さだととらえ、憧れていた。
今思えば、それはただ単に私の誤解にすぎなかったのかもしれない。
小さな子どもが、テレビのヒーローが画面の外側では私たちとなんら変わらない、生身の人間であるということを知らないように。
「葬式って、ほんとに嫌だよねー。うち、狭いのにさ、皆して来るもんだから、座る場所もないっていうか」
彼女はいつもどおりのペースで私に話しかけ、笑った。
今が葬式の参列中で、彼女の母親の写真が黒く縁取られた額の中に飾られていなければ、いつものおしゃべりと錯覚していたことだろう。
父親を早くに亡くし、きょうだいもいない彼女にとって、母親だけが唯一の家族だった。それを知っていただけに、その笑顔は予想外であり、暗い葬式のなかで輝く異物でもあった。
泣いていたり、何かに耐えるような顔をしている、葬式にふさわしい人たちのなかで、私は泣くことも忘れてただ困惑した。
ソフトボールの引退試合が、晴れた秋空の下で終わった。葬式の、1か月後のことだった。
生みの親がいなくなり、遠い親戚に引き取られることになっても、彼女は部活をやめることはしなかった。
休むこともほとんどなく、熱心に、そしていつも笑顔で。
試合が終わった余韻が残るなか、彼女に袖をひかれた。
「負けちゃったけど、楽しかったよね。ソフト」
彼女はそう言って、ふいに空を見上げた。
「ねぇ、お母さん、見ててくれたかな」
彼女が私たちの中で誰よりも傷ついてきて、それでも周りに絶対に悟らせようとしなかった強がりが、剥がれた瞬間だった。
彼女も、私と同じ小学生だ。あの葬式のなかで身を震わせていた大人の誰よりも、彼女が一番泣きたかっただろう。
それでも絶対に泣かなかったのは、笑顔で振舞ったのは、そうしていないとくじけてしまうのがわかっていたからだろう。
笑うことでしか自分を守れなかった。私が彼女の強さだと信じて疑わなかったものは、実は一番脆い部分の裏返しだったのだ。
私は何も言えずに、ただ、天まで遮るもののない青空を一緒に見上げた。
一瞬だけ盗み見た彼女の横顔には、透明な涙がつたっていた。