不均衡の使者
二人とも他人が見ていることなぞとんと気づかぬようで、軟体動物のような紅く醜い舌を絡ませあったり、互いの口腔内にそれぞれの体液を流し込んだりしている。なんとも原始的な行為だ、武藤はぼんやりと思った。赤は欲望の色であいつの色だ。林檎、血液、翻る旗、そしてあいつ。不可思議な連想ゲームの果てに現れた名前は武藤にとって不均衡の象徴である。声変わりをしているもののまだ少し高いキィで発せられる彼の声。しなやかな筋肉のついたまだ発展途上の身体。しかしそこに潜む思想はとうに子供の其れではなく、諦めと受容、そしてそれを覆い隠すしたたかさに彩られていた。
一方の早瀬もある意味不均衡の化身だ。成長した身体に大人の思想を宿しているさまは均衡を表しているが、うっすらと日焼けした健全な肉体は何故か死と退廃に彩られている。長らくの闘病生活のため消毒の匂いと病院の影をまとっている自分ならいざ知らず、一度も病気、怪我の類をしたことの無い彼女が死をまとっているのは何故か?これは武藤にとってまことに理解しがたいことであった。
早瀬の薄い唇が井伊橋から離れ、その色彩は屋上からでも確認できるほど健康そのものであった。死する人のようにチアノーゼでもおこっていれば多少とも胸のわだかまりはとれたかもしれない。
武藤はそっとフェンスから手を離しそのまま空に掲げた。久しく日に当たらなかった肌は青白い血管が見えるほど白くなっていた。
心の中に激情を持つ彼もまた不均衡の象徴であった。