イノセントワールド
そっと誰かが室内に入ってくる音がきこえ、次に背中に声をかけられる。
「江梨…」
振り向きはしない。傍らに気配を感じる。
「泣いてるの?」
「泣いてない」
そっと髪をなぜられて泣きそうになった。
「りょん…」
ああ、久しく口にしていなかった理央のあだな。
途端にあの頃を思い出す。
あたしは季節外れの転校生だった。中学二年の6月。ズルズルと長引いていた両親の離婚調停がようやく終わり、パパと二人新しい土地にやってきた。
自己紹介をした後、空いている席に促され座った。そのとき隣の席だったのが理央だ。理央は、穏やかで、親切だった。身長もすでに高くて(多分175はあったと思う)、大人っぽかった。
一方あたしは、身長は170近くあったけど、頭が足りてなくて、更に両親の離婚で色々考えられない状態で、もう見ていられない感じだったらしい。
らしい、というのは後々友達になった紗季から聞いたからなんだけど。
そうしてそんな感じでバカで身体の発育だけがいいあたしは、きっと三年生の不良集団の格好の餌食になるだろうと、クラス中が思ったそうだ。
しかしみんなの予想に反して、あたしは平穏無事に暮らした。
何故か?
簡単だ。理央がいつも側にいたから。理央自身は不良でもなんでも無かったけれど、理央の幼なじみがトップだったから、あたしは安全だった。
それら全て卒業してから知ったのだけれど。
あたしはたくさんたくさん理央にお世話されて、なんとか生きている状態だった。
いっつも理央のあとをついて歩いていたので、カルガモとあだなされたことすらある。
それくらいあたしの生活に理央は深く関わっていたのに、別々の高校に進学したのを機にあたしと理央は全く会わなくなった。
まあ、元々休日にわざわざ会うような仲でもなかったのだけど。
しかしどういう訳か、高校二年になって再会し、今に至る。