伴侶とフィギュアと雷と。
湯船の浅い所でシヴァを膝の上に乗せながら、深雪がぽつりと呟いた。
鰻雷が鳴っている間は戻れないこともわかっているが、食事のたびにこんなことになってしまうのでは深雪のほうがいたたまれない。
「……そのセリフは、聞き方によると卑猥だな」
「?」
そんな深雪の気持ちを知ってか知らずか、シヴァが感慨深げに告げる。
しかしなぜそんなことを言うのか、深雪はまったくわからずに、きょとりと首を傾げた。
その直後。
シヴァの言わんとしたことに気づいて、耳朶まで赤く染めてばしゃりとシヴァに湯をかける。
「!……ばか、ばかなの!?」
「ちょ、待てみゆ……!」
深雪からすれば冗談ではないことなのに、ここ最近のシヴァのボケは酷すぎる。
挙句、深雪のかけたそれで、シヴァは湯に埋まる始末だ。なんとか湯の中で体勢を立て直し、げほげほとシヴァが咳き込んだ。
「ちっちゃいからおつむも弱くなってんの!? しばがちゃんと元に戻ってくれないと、困るんだからな。もっとまじめに深刻がってくれないと」
ばしゃばしゃと八つ当たりをするように両手を振り回して深雪が声高に告げると、シヴァは困ったように眉を下げた。
「そんなこと言ってもなってしまったものは仕方ないだろう。所詮天災には叶わない」
当然と言わんばかりのシヴァの言葉に、深雪も返す言葉を失ってしまう。
だってその通りなのだ。
人間界でだって地震雷火事親父は天災なのだ。そんなことはわかっている。
それでもなんか一言くらいは言ってやりたくて、唇を尖らせたまま深雪は不満げに告げた。
「もう、シヴァは変なときばっかり肝が座りすぎなんだよ。だってずっとこのまま……」
「いや、鰻の機嫌も落ち着きそうな気がするが……」
深雪の言葉に被せるように、シヴァが何かを考えるように、ガラス張りの風呂から外を眺める。
建物の外は相変わらずの大荒れで、稲光が視界に捉えられるほどだ。
厚い雲の上では、ぬるりと動く大きな長体の影が映っている。
深雪はそんな空を眺めながら胸元で手を組むとぎゅっと瞳を閉じた。
「神さま、うなぎ様、しばを早く元に戻してください」
神頼みといわれようとなんだろうと深雪は構わない。
とにかくシヴァを元に戻してくれるなら、悪魔でもいいとすら思ってしまうほどだ。
深雪の声音はどこからどう聞いても真剣で、同時にぽたりと涙の雫が一粒零れ落ち、風呂の水面を叩いた。
そんな様子を膝の上で眺めていたシヴァが、なにかを決意したように頷いて、無言で浴槽の縁に飛び移った。
そしてすたすたと、シヴァは窓の方に向かって歩いて行く。
「ちょ、しば……なにをするの?」
そんなシヴァの突然の行動に、深雪が驚いたように瞳を瞬かせる。
慌てて腰を浮かせた深雪の白い肌に、ちゃぷんと湯水が跳ねた。
深雪の様子にシヴァは振り返ると、肩を竦めて苦笑した。
「雷を呼ぶ。……俺も深雪を泣かせたいわけではないのでな」
フィギュアのようなサイズのシヴァは、ちいさく息を吐いた。
「まあ、三日様子をみて仕組みも大体わかったし、あれもこれだけ情報が揃えば満足だろう」
なにやらシヴァはぶつぶつと呟きつつ、手のひらに光球体を作り始めた。
どうやらシヴァの魔力をそこに集中させている、らしい。
「?」
深雪は、ぱちぱちと何度も瞬いてその様子を眺めた。
なにせ魔界に来てずいぶん経過するが、こんなに間近で魔法を見るのは、正直初めてだ。
シヴァの手の中の球体は、なにやらぴちぱちとちいさく音を立て、まるで雷のような光を放っている。
「さ、深雪。準備はできた。何か叫んでみてくれないか? あの日の状況を再現しよう」
何かを叫べ、というシヴァの要請に深雪はまたしてもよくわからず首を傾げてしまう。
「でも、あの、その……」
「いいから、俺を信じて」
シヴァの言葉に、深雪は曖昧に頷いた。
治るかもしれない可能性が、今ここにある。
なにをやっているかはまったく不明でも、喧嘩している場合ではないのだ!
* *
そして、その翌日。
「すっかり晴れたな。鰻過ぎ去って楽天の空、というやつだ」
元通りの大きさに戻ったシヴァが、窓際に立ち、すがすがしくそう告げた。
ぐったりした深雪は、ベッドの上から恨みがましい瞳で、ご機嫌のシヴァを眺めた。
結局、あの後。
シヴァの言うとおり、深雪は三日前に告げた、発端の言葉を叫んだ。
『お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ!』
その途端、突然なにかがぴかーんと光って、どどーんという音が響いて、よくわからないままシヴァは元通りの大きさになっていた。
しかし、ちっちゃくなっていた間に弱くなったおつむまで元に戻っているかどうかは、果たしてわからない。
もちろん戻っている保証もない。
昨日までの悪夢みたいなあれが、ハロウィンの悪戯だったと思うにはたちが悪すぎる
深雪は昨日までを思い出して、眉間に深く皺を寄せた。
「今日は帰りに甘い菓子を買ってこよう。深雪、そう拗ねるな。可愛い顔が台無しだぞ」
シヴァの言葉に、更に深雪の機嫌が傾いて行く。
そもそも、自分でなんとかできるのならなんでしなかったのか、とかそういう事を問いたいのだ。
挙句、元に戻ってから三日分と言わんばかりにさんざん好き勝手してくれた。
身体を繋いだ翌朝、どこかが痛いということがほぼない深雪だが、本日は身体のあちこちが軋んでいるような気すらしているし、寝不足だ。
晴天に輝く太陽の光が黄色く見える。
「もう、やだ。うなぎこわい。うなぎ嫌い」
ぷいっとシヴァに背中を向けて、深雪はぶつぶつと呟きながら、ごそごそとシーツを被りなおした。
これからまた寝直すのだ。
「まぁそう言うな。……と、いうか被害者はどちらかというと俺のはず、なんだが……」
困ったように笑うシヴァの言葉に、深雪は黙って枕を投げつけた。
* *
「俺が悪い気がするのはなぜなんだろうか」
公務に戻ったシヴァは思わずそう呟いて、首を傾げた。
現在、執務室には端の方で膝を抱え、まるで深雪のようにぶつぶつと呟くバルガがいる。
「うなぎが……予定が……。シヴァ様が……」
大柄で、豪傑で、且つ少しだけ繊細な腹心を、シヴァは居た堪れない心地で眺めたのだった。
そんな中でただ一人だけ、ご機嫌な人物がシヴァの前を通り過ぎて行く。
魔界人でありながら、魔法を持たないシヴァの幼馴染で、この国の大賢者サガだ。
「やー、今回の鰻雷は良かったねえ。いっぱいデータが取れたねえ。魔力因子の暴走は面白いねえ」
自らが持たない魔法について調べるのがよほど楽しいのか、うっきうき、という擬音を隠せないままに、ずるずるとローブを引きずって、左牙宮を横切って行く。
無論、執務室の端に居る騎士団長に気づくこともなく、ただそこにある移動用の鏡を通り抜けていった。
END
作品名:伴侶とフィギュアと雷と。 作家名:沙倉百音