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「月傾く淡海」  第四章 二つの王統

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古より豊葦原の国では、様々な覇者が王の中の王--即ち「大王」と名乗ることを求めて、大和へ都入りを目指してきた。
 それらの中でも、一系の血脈をもって数代続く「王権」を確立し、その存続に成功したものが、史上において二つだけ認められている。
 一つは、通算十代目にあたる「御間城の大王」から始まり、十四代目の「足仲彦の大王」で直系の断絶を迎えた『三輪王朝』。
 もう一つは、十五代目の「誉田別の大王」に始まり、先頃、第二十五代「若雀の大王」崩御によってこれも断絶の危機を招く事になった『河内王朝』である。
 この頃の通例として、皇位継承権を持つのは、大王の后妃、または子女に相当する一世王、もしくはせいぜいその二世王までとされていた。
 直系によって皇位が継承されれば政権は安泰だが、そうでない場合は、傍流や有力者の登場となる。実際『河内王朝』の始まりにあたっては皇位の簒奪があったとも伝えられるが、今ではその真相はわからない。
 --『河内王朝』は、後継者争いに揺れ続けた王朝だった。
 その原因は、最大の暴君であった第二十一代の「泊瀬の大王」による、大量の同族殺しにあった。彼が、自分の即位の障害となる王族をほとんど抹殺してしまった為に、以後王族の数が激減したのである。
 そしてついに、彼の皇子である二十五代「白髪の大王」が崩御したことによって、後継消滅という重大な危機を迎える事になった。
 この時、播磨から呼び寄せられ、相次いでその後の大王位を継いだのが、弘計尊・億計尊の兄弟であった。
 彼らは、十七代目の「去来穂別の大王」の孫であり、「泊瀬の大王」の従兄弟の子であったとされている。
 真偽のほどは今もってはっきりとはしていないのだが、この時朝廷には、「五世孫までの傍系王ならば即位が認められる」という令が作られた。
 それは、後継の危機を迎える度に無数の傍系王が出現し、それらの争いの中から次の大王を迎えてきた朝廷が、これ以上の血脈の混乱を回避するために設けた定めだった。
 ……さて、『河内王朝』の開祖・「誉田別の大王」にはあまたの子女がおり、後継となったのは大雀の皇子であったが、その異母兄弟に若野毛二俣王という王族がいた。
 彼の娘・大郎子は、淡海の湖西、高島に本拠を置く豪族三尾氏の中斯知と婚姻し、その子矢非王は以後高島に土着した。
 その矢非王が土地の豪族の娘、久留媛との間に生んだのが「彦主人王」であり、その息子にあたるのが深海なのだ。
 「誉田別の大王」の五世孫である深海を前にしたとき、物部の荒鹿火は深く額づいて奏上した。
「先頃、若雀の大王が崩(かむあが)りましましたことにより、まさに今絶えて継嗣(みつぎ)無きこととなりました。天の下の者たちは、いずれのところに心をよせればよいかわからなくなっております。思えば、古くから今に至るまで、禍はこうしたことから起こっております。奴(やっこ)は、朝廷の軍を預かる大連としての責を深く鑑み、大王の御裔をお捜し申し、淡海のほとりに誉田別の大王の五世の孫君がおられるときいて、まかりこしました。どうか、この大連に、人主(きみ)として奉ることをお許し下さいませ……」


 自分の室でひとり物思いに沈んでいた深海のもとへ、真手王が一人でやってきた。
「--どうだ、少しは落ち着いたか」
 真手王は部屋の戸を閉じると、所在なさげにしていた深海の隣に座り込んだ。
「俺も驚いたがな。お前のほうがびっくりしただろう。いきなり大和の将軍が現れて、『大王になってくれ』だものな」
 そう言うと、真手王は喉の奥で低く笑った。
「物部どの達は、どちらに?」
「ああ、とりあえず一行ごと別の館に収まってもらったよ。ああものものしくては、族人
が落ちつかんだろう」
「そうか……」
 深海は小声で短く呟いた。
「で、お前はどうする気だ?」
 真手王は率直に切り出した。
「どうするって……わからないよ。確かに昔、父祖から大王の御裔だと聞かされてはいたけど、そんなの遠い伝説みたいなもので、僕はずっと淡海で静かに暮らしてきたんだ」
「--だが、思わぬところで時流がお前を必要としてしまった、ということだな」
「真手王……」
 深海は、当惑して真手王の顔を見つめた。
「何故物部どのが僕のところへ来たのが分からないんだ。確かに、宮殿では直系の王族が絶えたのかも知れないけど、傍系の王族なら他にもいただろう。それが、よりにもよってこんな遠い御裔の僕に」
「大連どのは仰っていたじゃないか。『御裔をくまなく調ぶるに、賢者(さかしきみこ)はただ、深海さま御一人のみ』とな。たいそうな口上だ。さすがは、大和の将軍(いくさのきみ)だな」
 真手王は物部の口上を真似て冷笑した。
「そんな、とってつけたような理由、そのまま信じられるわけないだろう?」
「まあ、だったら面白いけどな。……だがな、深海。俺が首長として判ずるに、物部がお前を担ぎたい理由は三つある」
 真手王は膝を立て、深刻な面持ちで口を開いた。
「一つ。傍系とはいえ、お前は出自と系統がはっきりしていること。今、各地で傍系王族なんて名乗ってる連中は、大抵が明確には系図を示せず、ただ自称しているだけの奴らだ。……二つ目。それは、この淡海の大豪族、息長がお前の後見についてることだ。後ろ楯のあるなしってのは、大王として立てるときに重要だろうよ。--そして、三つ目は」
 真手王はニヤッと笑い、深海の額を指さした。
「お前の評判を聞き、担ぐのに容易い、 御しやすい男だと思った……」
「真手王……」
「物部の荒鹿火は、その知略と戦術で大和の抗争を勝ち抜いてきた、相当の食わせものと聞く。お前を大王として立てると決めた裏には、かなりの計算があるだろうよ。恐らく、宮殿の内でも、なんらかの陰謀はあるな」
 真手王は平然と言い放った。
「真手王、僕は……」
 深海は言い淀んだか、やがて意を決して真手王に告げた。
「天下の民を我が子となして国を治めるのは、大変な仕事だ。僕にはそんな才能は無いし、どう考えても力不足だと思う。物部どのには、誰か他の賢い人を探してもらいたい。僕には、とてもできないから」
 深海は淡々と、素直な気持ちを口にした。
「……俺は、そうとも思わないがな」
「え?」
「お前は、自分の器を自分で狭めているところがあるよ。--真の己に出会うのを、まるで恐がっているかのように」
「そんなこと……」
「なあ、深海。俺の中には、二つの心がある」
 親しげな微笑みを浮かべ、真手王は深海に言った。
「一つは、お前と長年共に過ごしてきた、親友としての心。こっちの俺は、物部など追い返して、お前を今のまま穏やかに野州で暮らさせてやりたいと思っている」
 室内に点された灯を見つめながら、真手王は静かに言った。
「もう一つは、息長の首長としての心。--今夜大連どのがまかりこされた事で、俺にはやっと判ったよ。父上は、この日の為にお前を湖西の高島から、この野州に連れて来られたのだと」
「父君--真人王(まひとおう)どの?」
 不意に深海の脳裏に、懐かしい先代息長王の姿が蘇った。
 深海は四歳まで、母族・三尾氏が本貫地を置く近江の湖西、高島の地で育っていた。