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夢の中にて鬼に会ひたる話

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 こんな夢を見た。
 ぼくは遊び女で、毎日客を取ってかつかつと暮らしている。何年か前に夫が戦で行方知れずになって、縁者もないので仕方なしにそうしているらしい。
 町の外れの荒れ野ッ原によろめきながら建っている掘っ立て小屋は二つ間拵えで、片一方には湿気たぼろの布団が敷いてあり、もう片一方には胴がたわんでまともな音が出なくなった筝が一面と、箸と碗だけが入った箱膳が置いてある。ぼくは元は下級貴族の娘で母に教えられたから筝を弾くのは得意だけれど、最近はとんと爪も嵌めていない。時々都落ちしたおひいさまを嬲りたいという酔狂な男が弾いてみせろと言うのだけれど、あの筝は夫のくれたものだからそう気安く他人に聞かせるわけにはいかぬ。
 ある日ぼくは病を得て胸を悪くした。吐いた血を見て驚きながら、あの男が戻るまでは死ねないのに困ったものだとぼやいていると、不意に鬼が現れて次に客に来る男の生き胆を食えば病は治ると教えてくれた。ぼくは女でしかも病んでいるのにどうして生き胆を獲れると問うと、鬼はぼくに抜き身の懐剣を一本寄越す。懐剣の刃はよく砥がれていて同じものと打ち合わせたならきぃんと良い音がしそうな惚れ惚れする美しさだった。
 鬼にはどういうわけか角がなく、黒い見たこともないきものをまとって粗末な痩男の面を付けている。立ち居振る舞いには一分の隙もなく、けれども極めて静かで穏やかな、不思議な鬼である。
 鬼は部屋の隅に幼子のように膝を抱えて座り込み、面の向こうでちらちらと瞬きをしながら君は地獄へ来るだろうと言った。ぼくはがらがらと咳き込み、痩せさらばえた手で懐剣を握り締めながら地獄は良いところかと鬼に聞く。鬼は答えてこう言った。
「辛いよ、こうしている間にも私は苛まれてるんだ。けれど、現世よりは気楽だね。罪を犯し続ける心配をしなくてもいい」
 そういうものかい、とぼくが首をかしげると、鬼は笑ったらしい、くつりと小さく喉を鳴らした。
 ぼくは続けて君はもとは人だったのかと尋ねようとしたのだけれど、その時こつりこつりと戸を叩く音がして今夜の客が来たことを知らせた。鬼はふつりと気配を消して、ぼくはどうぞといかにもか細い声で応えた。
 するとぎしぎしと軋みながら破れ戸が開いて、のっとどうにもみすぼらしい風体の男が姿を見せる。ずいぶんな大男で戸の上につかえるほどの背丈の上、ぼくなどはすっぽりと抱え込まれてしまいそうな見事な体躯を鶸色(ひわいろ)の薄汚れた素襖(すおう)に包んでいた。腰の刀は柄拵えも粗末に荒縄をぐるぐると闇雲に巻き付けてあるばかり、目釘さえ抜けていて、部屋の隅から鬼があれじゃ一人も斬れないなとぼそりと言う。
 男は鬼の声は聞こえないようで戸を閉めるやぼくを藺草(いぐさ)の飛び出た畳に押し倒し、むしゃぶりつくように口を吸いながら髪を撫でてくる。懐剣を振るう間合いを計れずに困っていると、ほら今だ喉を切れと鬼が軋るように叫ぶのでぼくは言われたとおり手の中のそれを逆手に持ち、横一線に男の喉を掻き切った。出湯のように血が噴き出し、ぼくは顔も手も着物もしとどに赤く濡らしたまま夢中で男の腹を割いて熱い臓物をかきわけて肝を取り出した。男はまだ生きているようで、びくりびくりと手足を蛙のように痙攣させながらぼくの名を呼ぶ。ぼくは餓鬼のように肝を貪り食いながらどうしてこの男はぼくの名を知っているのだろうと不思議に思った。
「不思議なことなどあるもんか、ほうら見てご覧よ」
 鬼はすうっと立ち上がってまた男の屍のところでしゃがみ込み、とてもやさしい手つきで愛しげに男の頭を抱える。痩男の面さえ天女か菩薩のように見えて、これが鬼と言うなら地獄はどれほど幸せな場所なのかと首をひねるほどだった。男の頭はぼくが喉をざっくりやったせいで頼りなく皮一枚が繋がっているきりで、今にもごとりと鬼の膝に落ちそうだった。鬼の手が何かの儀式のように男の顔面を一撫ですると、ぼくはあっと目を見開いた。男はぼくの夫なのである。けれどもその顔は黒く墨で塗り潰されたように漠としていて、なんとも判然としない。しかしぼくの夫だということだけは、わけは知らないけれどともかく確かなのだった。
 病の癒えたぼくがおおん、おおんと涙をこぼすと、鬼はどうして泣くの、と首をかしげてぼくを情愛細かく抱き寄せながらもう片手で面を外してぼくの口を吸った。懐剣を取り上げた手はぞっとするほどに冷たかったけれど、いつの間にかぼくの手も同じくらいに冷たくなっているのだった。そしてさらに、面を外した鬼の顔はぼくそのものである。鬼のぼくは執拗にぼくの口を吸う。
「私は罪を犯しすぎたから、地獄で償うこともできないよ。こうして無間地獄の鬼になって、何度も何度も君を迎えに来るんだ」
 それでぼくは鬼に戻ったのだけれど、解せないことに、夫の顔だけが今もって思い出せない。なんとも気分の悪いことである。