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我侭姫と下僕の騎士

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「慣れた方がいいのもわかるけど、居るのに会えないのは……」
 寂しいわ、と続いてもれたクレアの言葉に、イグニスは脳天を木槌で殴られたかのような衝撃を受けた。
 我侭で手のつけようのない姫君ではあったが、時折見せる神妙さがたまらなく可憐な姫君でもある。どうしても整いすぎた容姿が先に目に付く姫君ではあったが、外見の美しさだけではとても長年仕えてはいられない。
「……これまでが、おかしかったのです。私もクロードも、もう少し距離を持ってお仕えするべきでした」
「それも嫌。そんなだったら、わたしのお友達はフィリーだけになっちゃう」
 望む物は全て与えられたが、離宮から出る自由と、友達だけは与えられなかったクレア。
 偏愛するあまり、カルバンはクレアに歳の近い友人を用意しなかった。より父親へ依存するように、と画策して。
 イグニスやフィリーがクレアの側にいられたのは、小姓と侍女だったからだ。決して対等の友人として側にいることを許されたわけではない。
「ね、イグニス。どうしても、一緒に行けないの?」
「残念ながら」
「一緒に行って」
「ダメです」
「一緒がいい」
「無理です」
 数少ない友人をどうしても連れて行こうと、クレアは粘る。それに素気無く答える事しかできないイグニスは、やるせない想いに苛まれた。
 クレアが自分を求めてくれるのは嬉しいが、それは大人になる時期を迎えた子どもが、お気に入りの玩具を取り上げられないよう、懸命になっているだけだ。
 イグニスが男として求められているわけではない。
「どうしても?」
「どうしても、です」
 取り付く島のない返答に、さすがのクレアも肩を落とす。しおれた花を錯覚させるクレアに、イグニスはつい肩を抱きしめそうになり、腕に力を込めて自制するのに苦労した。
「イグニスもクロードと同じで、本気で我侭姫から開放されるって、喜んでいるのね?」
「そんな事はありません!」
 間を空けずに否定したイグニスに、クレアの気分は僅かに浮上する。
 イグニスが距離を置くようになった数日。過去の行いを思いだしては、あまりの我侭姫ぶりに、自分の事だというのに閉口したクレアには、嬉しい言葉だった。
「じゃあ、一緒に行ける方法を考えて!」
 己は我侭だ。貴族の娘は縁談相手を選べない。嫁ぎ先に男は連れて行けない。
 この我侭を叶えるのは無理だという事も、イグニスの姫君は理解している。
 そして理解した上で言うからこそ、我侭は我侭と言うのだ。
「……今回はまた、とんでもない我侭ですね」
「仕方がないわ。わたしを我侭に育てたのはイグニスだもの。責任もって、一生側にいなさい」
 ツンッと顔を背けながら、それでもイグニスの反応が気になるようで、チラチラとクレアは彼の顔色を窺う。
 クレアの我侭を、イグニスが受け入れなかった事など一度もない。今度もきっと折れるはずだ、と確信しているのに、今回はどこか不安がある。
 心細げな姫君に、イグニスは負けた。
「……善処します」
 正確には、覚悟を決める。
 この我侭で寂しがりの姫君に、一生付き合おうと。
 愛しの姫君が別の男に抱かれ、身籠り、母となるのを見守ろうと。
 クレアを我侭に育てた自覚は、確かに自分にもあるのだから。
「ホント? だからイグニス大好き!」
 しぶしぶと頷いたイグニスに、クレアはパッと顔を輝かせた。――この笑顔を見たいがために数々の要求に応え、結果としてイグニスは我侭姫を育て上げてしまったのだ。
 クレアの期待に添えるよう、頭の片隅で婚家に着いていく方法を模索しながら、イグニスは苦笑いを浮かべる。
「それはそうと、姫様」
「うん?」
 自分の要求が通ったばかりのクレアは機嫌がいい。イグニスの苦笑いの理由になど考えも及ばないようで、ニコニコと笑いながら応えた。
「お嫁入りの決まった姫君が、若い男の部屋になど来てはいけません」
「どうして? イグニスはわたしの騎士よ」
「それでも、ダメなものはダメです」
 ようやく自分が非難されていると気づきはじめたクレアは、唇を尖らせる。元々整った顔をしているので、クレアは多少顔をゆがめても美貌が損なわれる事がない。笑顔が可愛い女の子は腐るほどいるが、怒った顔までもが可愛い美人は稀だ。
「でも、昔から――」
「昔からダメだと言ってきました。……全然聞いてはくれませんでしたが」
 指摘され、クレアは少し考える。
 そういえば、そんな事を昔から言われていた気がした。使用人の部屋に主家の姫が遊びに来てはいけない、と。
「そうだったかも。……ごめんなさい」
「はい」
 潔く自分の非を認めたクレアに、イグニスは苦笑を微笑みに変える。
 クレアのこの素直さが愛おしい。――素直に反省するだけであって、注意した点が改められる事は滅多にないが。
「それでは、お部屋までお送りいたします」
 恭しくイグニスが手を差し出すと、一度小さく笑った後、その上にクレアの白い手が重ねられた。



 窓から差し込む夕日に気がつき、カルバンは書類から顔を上げた。執務机に座ったまま背後を振り向き、窓の外を憎々しげに眺める。
 今日はきりよく仕事が片付かず、可愛い娘とのお茶の時間が確保できなかった。
 憤然と窓枠を睨み、不意に違和感を覚える。
 何か異変があるような……と目を凝らし、離宮へと続く小道に黒い二つの影を見つけ、カルバンは不審げに眉を顰めた。
 目を眇めてよくよく影の正体を見極めれば、夕闇に愛娘の白いドレスが浮かび上がった。という事は、一緒にいる背の高い影は姫付きにした騎士二人の内どちらかだろう。
 面積の大きいクレアの白いドレスの方がどうしても目立つが、さらに目を眇めれば、夕焼けに赤く染まった銀髪が判別できた。ということは、一緒にいるのは兄騎士の方だ。
「目障りな男だ」
 ふんっと鼻を鳴らし、苛立たしげにカルバンは書類を指で弾く。
 クレアを守るためならば、文字通り身を捨てて盾になるだろう性格を組んで、姫付きとしたが。
 兄騎士のクレアの盾となる根底にある感情は恋慕だ。
 小姓として側にいた頃は、良く身を弁えて主人を守っていたが、従騎士に上がった際に、数年間クレアから離した事が仇となった。騎士としてクレアの元に戻った青年は、知らぬ間に美しく成長した姫君に、保護欲を情欲に変え、同情を愛情に変えた。
 兄騎士が異母弟と家に縛られている間は下手な事はできないだろうが。一度野に放たれてしまえば、安心はできない。
 仲良く歩く二つの人影を見守り、カルバンは苛立たしげに奥歯を鳴らす。
 溺愛する末娘が、たとえ騎士としてでも、男を側に置くことが苛立たしかった。
作品名:我侭姫と下僕の騎士 作家名:なしえ