小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

砕けた鼓動は紙の上

INDEX|1ページ/1ページ|

 

息がつまる感じ。もしくは息が止まる感じ。で、彼のことが好きなのです。


***砕けた鼓動は紙の上***


「風呂、もうすぐ沸きますから。」
そう声をかけた後、俺は両手で包みこむようにして、彼のかじかむ指を握った。風呂が沸くまでの少しの時間、慰め程度にしかならなくても何かせずにはいられなくて、その何かを探した結果がこれだった。もっと言葉をかけたり、色々出来ることはあるかも知れないけど、俺の空っぽの頭じゃ、これしか出てこなかったんだ。じっとりと冷たい雨に濡れた彼の身体はどこもかしこも完全に温度をなくしていて、その氷のような体温を感じるだけで、なんだか、泣きたい。早く温まればいいのに。もう一度その手をぎゅっと握り直したけど、まだまだ温度を侵食するには至らないので、少し伸びた爪の先だけをむやみに見つめるはめになってしまった。沈黙が逆に痛いぜ、ちくしょう。ぐすっと鼻をすすったけど、独特の違和感までは拭えなくて気持ち悪い。
元から白いその肌は今や血の通っていない人形みたいに青白くって、唇なんか紫に近い。急いで部屋に招き入れたときは身体を震わせながら、かちかちと歯が音を鳴らしていた。そして、それにも関わらず、彼はいつも通りゆっくり笑って俺の名前を呼んだのである。

仕事から帰ってきたら、家の前で彼が幽霊みたいに突っ立っていた。
今日は朝からひどい雨で、そんな土砂降りの中、傘も差さずに、一人呆然と。


現在、彼はされるがままに手を握られ、動きといえば、長い毛のラグマットが気になるのか、時々もぞっと脚を動かすのと、ぱしぱしと濃い睫毛が気になるまばたきくらい。自分のことなのになんでもないようなつまらなそうな顔をしている、そんな様子に一番腹がたつ。自分ん家の前で濡れ鼠になったあんたを見つけたとき、俺の心臓なんて、止まりそうだったのに。こんなに冷たい身体でどんだけ彷徨いてたかとか、どんな気持ちで待ってたかとか。たくさんたくさん。そんなことばかり頭を占めていたせいで。部屋の鍵を開けようとした手が震えて仕方なくて、いつものように部屋に入れなかった。「自分の家なのに慣れてないの?変だねえ。」って言ったあなたのせいですよ、ほんと馬鹿。

「なんでっ…。」
抑えきれない苛立ちを声に出してしまえば、胸の辺りにつっかえた黒い塊がじわじわと大きさを増していく。なんで。なんで。一言でいいから、電話をくれればいい。一通でいいから、メールをくれればいい。何の約束もなく、偶然会えるなんて魔法みたいなことは起こらない。こんなひどい雨の日にどうして待っていたりするの。どうして自分を大切にしないの。
溢れ出てくる疎ましい思いを誤魔化したくて、また一層手に力を込めた。
まだ、彼に温度は伝わらない。
「なんでかなあ。」
真っ当なことを言っているはずの俺がおかしいみたいに不思議そうな顔で、彼は可愛らしく首を傾げた。部屋には、古いエアコンが仰々しく息を吐く音だけが響いている。
ああ、本当にこの人は。くらり、目眩がした。
彼を相手にどうしてとかなんでとか、そんなこと言っても仕方ないことくらい随分前から分かっているのに、それでも聞かずにはいられない自分に腹が立って、チッと小さく舌打ち。きっと理由があるには違いないけれど、それを自分に言う理由がないと思っているのだろう。自己完結が全て。それは一見ひどいように思えるけど、この人がこの世界の誰よりも俺を好いてくれているということが俺にとっての至福であるので、そんなところまでも愛してしまっているのである。言葉にすれば軽すぎるかも知れないけど、惚れたものが負けなのだ。どんなに素っ頓狂な行動も自分のことを想ってだと、細胞レベルで理解してしまっているから、もうどうしようもなく愛しい。それは冷静な目を覆うのに十分すぎる威力があると、彼と付き合うようになって初めて知った。俺は愛されている。
それ以前に、万が一その正しい答えを聞けたとしても、それが俺に理解できないことくらい悲しいほど理解しているつもりなんだ。出会ったときから、もはや宇宙人レベルで二人の思考は離別してしまっている。つまりは、そこら辺にいる凡庸な人間である俺は宇宙との交信を試みているのだ。モールス信号?光の速さ?そんなもんよりずっと確かなこの手で、この温度で。
そんな風に、届くか届かないか分からない形で気持ちを伝えあってきた。それが間違っているとは思わないし、思いたくもない。分かり合えないことが前提でもいいとまで思って、この人の隣に立つことを選んだのは紛れもない俺だ。
だけど、だけどね。こんな寒い雨の日には、少しだけ弱ってしまう。悲しいものは悲しいし、寂しいものは寂しい。うまく名前のつけられない感情に押し潰されそうになる。強い人間であることと傷つかないことはきっと違うんだ。俺たちは生身の人間なのだから、そう簡単に何もかも割りきれるはずもないっていうのをあなたは知っていましたか。大好きなあなたが傷ついているのを知っているのに何にも出来ないなんて、それこそひどい、ひどい話。かなしい。


ぽたぽた、黒い毛先を落ちる水滴が俺の服に落ちて、濃いグレーの水玉を作っていく。
「ねえ、濡れちゃうよ。」
心配そうな顔で覗きこんでるけど、問題はそこじゃないでしょうに。少し強ばった口元と真っ直ぐこちらを見つめる目から冗談ではなく心から自分のことを心配しているのが分かって、この人はとことん馬鹿だと思う。
「ちゃんと拭いてください。」
「手、離してくれないと拭けない。」
自分の矛盾には気付いていたけど、撤回するのも違う気がした。段々と指先に込めた力が萎んでいく。この気持ちもきっと伝わらないんだ。


「でも、それはちょっとおしいかなあ。」
小さく息が吐かれて、俺の髪がふわっと浮き上がる。白い指に初めて意識を持って力が込められた。確かで鮮やかな感触。それだけで、おかしいほど心が震える。この手を離したくない。離されたくない。
「君がわるいんじゃないよ。だから、泣かないで。」
泣いてません、と言い返そうとしたけど、彼の顔のほうがよっぽど泣きそうだったので、今にも笑いだしそうだった。なんという皮肉。頬がひくひくする。これは泣いているんじゃない。違う、違うんだ。

どうしてあなたは気付いてくれないの。
あなたが痛い分だけ、俺も痛いんだよ。
そんな魔法みたいなこと、本当にあるんだよ。

悲しい理由を教えてくれもしないのに、あなたは必ず俺のところに帰って来てくれる。俺が与えられるものはこの温度しかないけれど、それでも。
かすかな期待だけが降り積もって、俺の愛しさは堪えきれない。

寒い。寒い。心が寒い。
体温よ、早く侵してくれ。僕らの氷を溶かしてくれよ。

胸の奥まで固まった僕らの行方は一体どこ。





(魔法の言葉は君が持ってる)

作品名:砕けた鼓動は紙の上 作家名:はづき