空間を埋めるもの
横断歩道の向こうで大きな声で愚痴を言っている人も、道の端にはいるものの学生服で堂々と煙草を吸っている人も、揃って同じような大きさのソレがある。ぽっかりと、底なしの奈落のようなソレが。自分にも、彼らほどではないけれど、何かが抜け落ちたような『穴』が存在している。慣れてきたとは言っても、相変わらず自分の『穴』はまじまじと見る気にはなれない。自分のものではなくても、たくさんの『穴』を見ていると、重たく暗い気持ちになる。真っ黒な何かが、空いてしまった『穴』を塞ぎずっしりと重みをかけているような気分だ。そんな鬱々とした気分に引き摺られるように、徐々に足取りも重くなっていく。
ぼうっと信号を待っていると、ふと向かい側の歩道にいる少年が目に留まった。
(『穴』が、ない…)
その少年の体には、空洞がなかった。何故だろうと遠くながらに視線を上げて窺う。彼は手元の携帯を見ている。しかし、街中に携帯を見ている人などごまんといる。それなのに彼にだけ『穴』がない。何故、何故だ。ずっと出口を失った円環みたいになっていた疑問から脱する何かを見つけた気がして、僕は顔をしっかり上げてじっと目を凝らした。何だ、彼は他と何が違う。時間さえも忘れたように僕は彼を見つめた。そして気付く。片手をポケットに入れ、もう片手で携帯を持つ彼の表情。とても穏やかで、優しげなそれ。手の中の小さな画面にあるのは、大切な人からのメールなのだろうか。楽しい時間を切り取った写真だろうか。本当に穏やかなで満ち足りている顔だ。そう、思った瞬間。
――急に視界がクリアになる。
彼の近くで同じく信号を待っているあの親子、少し離れたところにいる犬を連れた人、自分の隣に立つその人。そこにも、あそこにも。『穴』のない人はたくさんいるじゃないか。ただ僕に見えていなかっただけ、僕が見ていなかっただけ。本当はあの朝からもずっと、『穴』のない人は僕の周りにいたんじゃないのだろうか。僕が『穴』にばかり目をとられて、気がつかなかっただけで、本当は『穴』のある人と同じくらい、『穴』のない人もいたのではないだろうか。哀しいことだけれど、異質なものや、悪いところというのは良いものよりも、目立って目についてしまうものだから。
(あぁ、そうか)
『穴』を持つ人があまりにも多すぎて気付けなかった。『穴』のない人はたくさんいるのに、『穴』のある人ばかりが目に映り込み、『穴』のない人に気が付けず、違いを比べることすらできずにいた。視界が拓けた今なら、それができる。ほら、よく見てみろ。たくさんいる『穴』のない人を。たくさんたくさんいるじゃないか。そんな彼らの表情を見ろ。
(同じ、だ)
携帯の画面を見つめる彼とみんな同じだった。つまらなさそうにしている人も、空虚さを思わせる人も殆どいない。きっとその誰もが、この同じようなサイクルを繰り返す日々をそれなりに楽しんでいて、その中から幸せを見出しているのかもしれない。その証拠に、時折表情に幸福さえも滲ませている人がいるような気がした。この人たちは、僕みたいに同じもののように思えるこの日々を退屈だとか憂鬱だとか思っていないんだ。
信号が青に変わり、たくさんの色々な人々が流れるように渡っていく。僕の目の前にいた『穴』を持っている女性が、向かい側の歩道で待っている男性に軽く手を振った。横断歩道を渡る足取りが僅かに速まり、
(え、)
そして煙のように、『穴』が姿を消した。彼女は綻ぶような笑顔で男性の元へと辿り着いた。
(『穴』が、埋まった)
そんな言葉が頭に浮かんだ。『穴』は消えたのではなく埋まったんだ。何故だかその表現がベストな気がした。何故埋まったんだろう。向かい側の男性を見つけた時、『穴』はそれまでの存在感が嘘のように、埋まり消えていった。それは何故だ。彼女は向かい側の男性と会えたから。彼女が、他の『穴』を持たない人と同じように、柔らかい表情になったからだ。優しくてほんのりと甘さを感じさせるような、温かい笑顔に。嘘や愛想だけでできたのではないと判る、純粋なあの笑顔が僕の脳裏をよぎる。彼らと彼女の共通点。そして僕たちとの違い。安穏、倦怠、充足、空虚、満悦、退屈。まるっきり正反対ではないけれど、ベクトルは右と左を向いているような彼らと僕らの違い。僕たちは、同じような日々に飽きてしまっているんだ。でも、彼らはその中で嬉しいこと幸せなことを見つけることができている。この毎日が、彼らには優しく満ち足りたものになっているんだ。
クリアになった視界と頭で漸く理解した気がする。僕たちが持つ、この正体不明の『穴』は、心の隙間、まさしく心に空いてしまった『穴』なのだ。小さな幸せを見逃し、満ち足りることを忘れてしまった僕たちに空いてしまった『穴』。誰だって、常に心が満たされているわけではない。そんなことは当たり前だ。感情や心が大きく揺れ動くのが、僕ら人間なのだから。感情があってこその人間なのだ。その中でも、僕たち学生と呼ばれる、成長過程という作りかけの道を歩む年代は特に不安定だ。だからこそ、持つ『穴』が大きい。一番色々なことを感じて、それにひどく大きく心を揺らすから。でもいつからか、大きく揺らいだ心は、いつだってマイナスの方に傾いたままになってしまっていた。マイナスに傾けば傾くほど、心に生まれては段々と蝕むかのように広がっていく空虚さ。それがついに『穴』となって現れた。そして揺らぎ方の大きく、心がひどくマイナスに傾いたままのせいで大きな『穴』を持ってしまった僕たちは、満たされないために更に不安に、虚ろになり、後ろ向きの愚痴を言ったり、美味しくもない煙草を口にしてみたり、欲しくもない物を手に取って走り去ってしまったりするのだろう。満たされないばっかりに、そういったことへと逃避してしまうのだ。作りかけの道を自らの手で作っていくことは、誰しもがしなければならないことではあるが、決して容易なことではないのだ。
でも、少しだけ、ほんの少しだけ顔を上げて視線を遠くへ投げてみればどうだろう。どれだけ高層ビルが建っていようと、人混みがざわめいていようと関係なく、びっくりするほど視界が拓ける。拓けたそこには、ほんの一瞬のものかもしれない、だけどそれでも確かに満たされて『穴』のない人がたくさん存在している。誰だって満たされる可能性を大いに持っている。どんな人でもだ。ほんの些細なこと。それを楽しいと嬉しいと尊いと思えるかどうかなんだ。そうだと気が付けるかどうかなんだ。『穴』なんてのは、そんなちっぽけなことに支配されていたのだ。馬鹿だな、僕は。毎日あんなにも笑ってたのに。確かにそれは楽しいことだったのに。何で見過ごしていたんだろう。いつだって嘘や偽りで笑い声をあげていたことなんてなかったのに。
あちこちにいる『穴』のない人たちは皆、優しく穏やかでこちらまでが温まるような表情をしている。あんな表情を、僕だって当たり前のようにしていた筈なのに。
僕は、ふと自分の体に目をやり、彼らの表情を見た自分も『穴』がなくなっていることに気付いた。
(そうか、こんなことでも)