砂漠
さらさらとユビのあいだをすりぬける。
君だった砂で僕の寝室がいっぱいになる。
ねえ、呪われたのはあなたなのに、
ねえ、僕だけが悲しいの?
『 砂漠 』
「俺には愛されない呪いがかかってるんだってさ」
唐突に彼はそんなことを言いだして、僕は半拍遅れて振り向いた。愛嬌のある瞳がくるくると表情を変える。
猫のような、もう少し野生の動物のような、それでいて本人は結構計算をするタイプだけど。
「は?」
「昔、オカルト系の女の子に呪いかけられて。好きなひとの前では砂になるって」
「…はぁ」
「砂の呪いって言うんだって」
俺は信じないけどね普通に、と彼は言ってすぐに別のことをはじめた。
そのときは何も言わなかったが、今の僕なら信じたほうがいいよ、と言うだろう。
彼女はよほど彼が好きだったんだなあと思う。
だってほら、本当に、こんなにも彼は誰のものにもならない。
何もかも、誰にも信じてもらえないだろう。
でも、彼は何度か砂になっている。
深夜、僕の部屋で。
×
彼が家に帰れなくなったときなんかにうちにくるのはそう珍しいことではなかった。
バイト先の会社に近いし。
彼側の理由はそんなところだと思っていたけれどこっちは少し違った。来てくれると嬉しかった。
ずっと好きだったから。
ただ、何かするつもりで呼んだわけじゃなかった。それは本当で。
アクションを起こしてしまったのは、むしろ向こうだったのだ。
「つかれたあーっ…!!」
うん、見るとわかる、という言葉を僕は口に出さなかった。
寝室に(ほぼ勝手に)入って彼は勝手に人のベッドを占領した。
まあ、酔っ払いとはいえお客さんだから、寝床を提供するのは吝かではない。
今日の仕事は結構ハードだったし、その後の飲みでも静かにちびちび飲むタイプの僕とは違って、彼は絶好調だった。
お風呂に入ってから寝れば、とか着替えたら、とか言いたいことがないわけではないが、こうなった彼に何を言っても無駄と言うことは何度かの経験で学習済みなので、僕は布団をかけてあげるにとどまった。
心の中で呟いたおやすみなさいを声に出すことさえしなかった。
が、背中を向けたそのとき、不意に布団の中から手が伸びて、僕の手をつかんだ。
手首をつかまれる。女の人のではない、強さ。
ホラー映画みたいな展開にすごいびっくりして振りかえると、もそもそと彼は寝かけた状態で起きあがっていた。
「どこ行くの」
どこって。
ここであなたが寝る以上、僕はここでは寝られないでしょうが。
同意を求めても困るか。
「隣の部屋」
「いーじゃん、ここで」
そういうわけにいかないでしょうが。
いやだから、同意を求められても困るかもしれないけど、多分あの、僕は困ると思うんだ。
しかし彼は離さなかった。
それどころか、片手で僕をつかんだままベッドから出ようとして、バランスを崩す始末。
変に手をつきそうな角度を認識するのといっしょくらいに、危ない、と腕を伸ばした。
これでも、仕事ぶりで言えばうちのバイト先のエースである。酔って怪我でもしたら大変だ。
そんな理由であっけなく、彼は腕の中に収まった。
それは完全に偶然だったのに、意識してしまったら、ダメだった。
だって好きだったんだ。
ぎゅうってした。
バンカンの想いをこめて、ってどんな字かも知らないけど。
腕の中で彼が息を飲むのがわかった。
暖かい?そんな柔らかくはない。嫌がってない?わかんない。
名前を呼ぼうとした。
しかし次の瞬間、腕の中の感触は変わった。
ざあ、って何もかもがこぼれた。
呆然として名を呼ぶこともできなかった。
彼は砂になってしまった。全部。全部だ。
部屋には彼だった砂と、混乱する僕が残された。
×
結局、あの日は何もかも悪い夢なんだと思ってとりあえず寝た。
翌日会社に行くと彼はいて、ものすごく普通で、やっぱり夢なんじゃん!と思った。
でもやっぱり気になる。だからなんとなくきりだしてみたんだけど。
「昨日帰りさ」
そう言うと、彼は申し訳なさそうに僕を見た。
「あー、ごめん、俺昨日の夜の記憶ないんだ」
あ、そう。僕は夢ということで納得することにした。それが一番利口だ。でないと説明がつかない。
飲みすぎちゃったのかなあと彼も納得したみたいだった。
部屋に帰ると砂が残っていたけれど、そのくらいの矛盾ですむならそれでいい。
彼が消えてしまったりしなくて、ほんとによかった。ほんとうに。
僕は息をついた。砂を片付ける。その行為はどこか、寂しかった。
でも、その後、それは繰り返した。
彼はあれ以来も変わらず、たまにうちにくる。そして砂になる。
一瞬とはいえ、抱きしめた瞬間の満たされる感じというか、あったかさとか、近くじゃないとわからないことを知ってしまって、僕はダメになった。
ぎゅうってしたくて仕方なくなった。
彼は嫌がらない、だからそれは簡単で、砂は部屋にたまってゆく。
見たことのない砂漠の色だ。
何度目かのあと、僕は、それを掃除することをやめてしまった。
だから部屋には砂がうっすらと積もっている。
彼は来るたびに不思議そうにする。
「なんでこの部屋、こんな砂があるの」
それはね、あなただったんだよ。
僕はそれを言わない。
彼は砂が涙を吸収したときの色を知らないし、それでいい。
彼はまた砂になり、それで、また砂はひとりぶん、増えた。
僕は膝をつき、そこに倒れこんだ。
彼だった砂は僕の呼んだ彼の名前と、少しだけの涙で色を変えた。
君で、埋めて、僕を。
だって、好きなんだ。
<終>