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世界の終末で、蛇が見る夢。

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*(tamamo)



《外》で一瞬、妙な気配が現れて消えた。晩秋の夜も更けた頃、外科医として表向きの「研究資料」に目を通していたときだ。最近でこそあの人を真似て人に害する妖怪を追い払ったり退治したりしているが、だからといって積極的に人助けを、その一々に対処していられるほどの義理も暇もない。それに《外》の気配は人間にとって有害か無害かということを判じかねるくらいに微弱だった。無視しても支障はないだろうと独り決めして、窓側に向けていた視線を資料へ戻す。
このマンションの立地は、最近珍しく霊的にも悪くはない。それでも人間が多く集まる場所はそれなりに息が詰まるので、少しでも過ごしやすくするための方策としてマンションの敷地に沿ったものと、この部屋とに結界を張っていた。外側は弱く一種の感知装置(センサー)として、そして対する内側(この部屋)は強く。この場所を人間達、時には妖怪などの目を眩ませる役目も果たしている。だから何者かが忍び込もうなどとすれば直ぐに分かるはず、だった。
ふと、コーヒーはもう冷めてしまっただろうなと思いながら手を伸ばそうとした矢先、目の前で音もなくリビングの床が盛り上がる。
…何も感じなかった、この私が、結界内に他者の侵入を許すなど。
何を思うよりも早く身体が反応した。読んでいた書類ごとソファに手を着いて跳ね、後じさる。手入れ途中だったさすまたを迅速に組み立てて身構える。一体、何者。私に何の用がある。無言のまま互いに動かない。いや、動けない。この私が。妖力をさほど感じないのにこんな仕業ができるということは、相当に…おそらくは九尾様よりも《古い者》のはず。さすまたを握る手に不快な汗を感じた。
『それ』は広いリビングをみっしりと埋め尽くす、真黒い蛇のような姿をしていた。眼らしいものは見当たらず、僅かにちらちらと見える赤い舌先でかろうじて口の場所がわかる程度だ。しばらくにらみ合っていたところ、奴は俄かに腹の中身をせりあげるようなしぐさを始めた。油断無く見守る中、巨体をくねらせて仰け反り、ふたたび鎌首をもたげる。鋭い刃物で切り裂いたように真っ黒な空間に一閃、強烈なピンク色が走る。彼奴が口を開いたのだ。口腔内は信じられないほどに強く毒々しいピンク色をしていて、喉の奥に赤黒いマットのような肉が見える。くるくるとそれはこちらに向かって転がる。まるで高貴な者のために用意された赤絨毯(レッドカーペット)のように深く濃く赤い道。私のすぐ側まできて止まり、最後の巻きが解かれた。
一体誰が予想し得ただろう。そこに、そこからあの人が…鵺野先生が出て来るだなんて。恐らくは蛇の唾液であろう粘液にまみれ、ちぎれた衣服の名残をわずかに張りつかせた裸の男が胎児のように長身を縮こまらせていた。
死んだように横たわってはいるが死んではいない、大丈夫だ、死んでなどいない。しかし感じる霊力は少なく搏動も弱く、いまにも途切れてしまいそうだ。
駆け寄ろうとした私と彼の間を人影が遮った。長い黒髪、見た目は鵺野先生よりも少し年長に思われる美しい女。
「貴様…ッ!」
何故ここに、と続けるつもりが言葉にならなかった。
つい最近、診察室で医者として向かい合ったばかりの女がそこにいた。
主訴は睡眠障害。それと拒食の傾向があるという、近ごろありがちな症状のその患者を私が覚えていたのは、造作の美しさもあるがあまりにも背後(・・)が綺麗だったことが原因だろう。珍しい人間もいるものだと思ったことを良く覚えている。
その時さえも直接自分の手で脈を取ったというのに気付けなかった。
お前か、お前がしたのか。お前がこの人をこんなにしたのか。
その時と変わらず美しくはあったが、嵐にでもあったかのように全身ずぶ濡れで、髪は乱れ、体のあちこちは傷だらけ。着物のような打ち合わせと、それを留める赤い帯。帯は女の足許までだらりと垂れていた。その指先や顎、髪の毛の穂先からは滴を垂らしている。
濡れ女子のように女はぎこちなく頬笑み、そして鵺野先生の傍らへしゃがみ込む。
なにをするつもりだ、どうするつもりだ。問いただしたいのに、なぜか言葉にはならない。動けない、…いや、動いては、問うてはいけないと、何処かからか命じられているようだ。ああ、この肉体が邪魔だ! 人化の術が解けそうなほどに憤り、面相に獣がまじる。かみ合わされた牙の隙間から燐火が漏れ、言い様のない怒りが込み上げてくる。ただ、ここで我を忘れるのは得策でないと冷静な部分で判断して相手を睨め付けるにとどめた。
「心配、ないワ、返シニ、きただけ」
ようやく発せられた女の声は、幾人かの声でモザイク状になった、とても不明瞭な声だった。それでも先程よりは滑らかに頬笑むと、たおやかな両腕を伸ばして彼を抱き上げた。
「貴様は…」
改めて相手の姿を真正面から見る。髪の先や細い鼻筋から落ちた滴は、抱き上げた男の体にぶつかっては丸く滑り落ちていく。よく見ればそれは水ではなく、女の組織…体そのものが解け落ちているのだと気がついた。氷菓子が解けていくようにぽたぽたと、腐臭に似た甘さを放ちながら、雨垂れのように先生の体へ降りそそぐ。
「受ケとッて」
先生を抱いた両腕を伸ばし、女は促した。間近に見る女の、その声帯に当たる部分の崩れは特に酷く、骨まで露出している。妖とはいえ声を出すのは至難の技だろう。
「……なぜ」
促されるまま彼の体を受け取り、ずしりとした重たさを感じながら、私は咄嗟にそう訊ねていた。何故、私なのだろうか。どうしてこの二重の結界を突き抜け、他の誰でもなく、私の前に連れてきたのか。返ってきた答えは、意外なものだった。
「センセイ、…深いとこで、あなたヲヨ、んだ…だから」
こんな状況で、いや、こんな状況だからか、私を呼んだという事実に私は驚き、そして喜びに震えた。
「この人、すき、わた、し好き、食べたい、でも食べるちがう、ダメ」
目の前の女は感慨に耽る私に構うことなく、舌足らずな口調で切々と訴える。先生が好き、食べたいと思う、でも食べてはいけないと…自らに言い聞かせるように繰返し繰返し。
一度は食べようと、いや食べたものを…極上の獲物を見逃す理由。それは彼を「食べたい」という欲求(ほんのう)と似て異なる感情。
「食べたいくらいに好き」という、それは――知っている、それは私にも覚えのある感情。喰らえるものならば喰ってしまいたい、喰ってこの懊悩が晴れるのなら、と思い詰めるほどの。
「すき、だめでも、好き、だからお願イ守っ――」
女が急に姿勢を崩す。膝を付いた所から噴水のように湧き出る無数の長虫(へび)が、ピラニアが水牛を襲うように女の体に絡まり、皮膚を裂き、臓物(はらわた)を散らし、胸をちぎり、喉を食い破っている。負けじと女も裂けた皮膚を、失った臓物を、欠けた乳房を、穴の開いた喉を繋いで再生していく。
唐突にこの生き物の生態を理解した。これは、これらは一つに見えて一つではない生物だ。小さな個体が群れを成して一つの生物を形づくっているのだ。いうなれば万能細胞のように、どのカタチにもなれる。例えば、目の前の女のようにも。そしてそれ故に永遠を生きる、蛇。
「おね、がイ。私、好きはホんとうに」