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ジェリーフィッシュ・デストロイ

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太陽が直上に鎮座している。海は凪いでいる。
 私は降り注ぐ熱線と視界を焼く光に耐え切れず、軒下に引っ込んで、蟻たちがせっせと働く様子を観察していた。
 日陰にいる限り、ねっとりとした海風も太陽を照り返す地面も私とは無関係なままだ。
 親は外出していて夕方まで帰って来ない。今日は孤独を満喫できる良い機会だと思っていた。
 垣根の外側から、誰かが私を呼ぶ声がした。この声は同級のKに違いない。
 私が億劫がって返事を返さずにいると、男にしては甲高いKの声はますます軋みをあげて私の名前を呼んだ。
 仕方なしに私は、なんだ、とだけ声を返した。
 垣根の向こうでは、ちゃんと居るじゃないか、返事をしないとはおかしな奴だ、と勝手な独り言を呟いている。
 私が、聞こえているぞ、入ってこい、と言うとKはぶつくさ口の中で転がしながら戸を押し開けて庭に入って来た。
 Kは怒ったように地面を踏みしだく。地面を這う蟻の気持ちも知らずに。
 おい、行列を踏むなよ、私は忠告の声をあげた。
 Kは呆気に取られた顔で辺りを見回す。私がぼぅっと地面に蟻が作る行列を指さす。
 Kは呆れた様子で、私の忠告を蹴散らすように蟻達を踏みつけながらこちらにやってきた。
 私は寝そべっていた体を起こして抗議の声をあげる。
 しかし、Kはそんな事はお構いなしに自分の話を始める。
 今日はいい日和だぞ、お前行きたがってただろ、Kは言った。
 なんの話だか分からない私は鬱陶しそうな目線だけを返してやったが、Kに一向に堪えた様子はない。
 ジェリーフィッシュ・デストロイだよ、額に汗を浮かべ上気した顔を私に押し付けるようにしてKは言う。
 Kは海岸の見える道を通って来たらしく、海岸にはいつも以上に海月達が打ち寄せていたらしい。
 海の凪ぐ日は海月の日、誰かが言っていた。他の海は知らないが、ここではそうだ。
 ジェリーフィッシュ・デストロイ、そんな名で縛られた遊びを誰が最初に始めたのかは誰も覚えていない。
 ただ、私たちの間では何故か流行っていた。デストロイというキチガイ染みてこっ恥ずかしい英語表記も誰がつけたのか不明だ。大方、英語なぞ一片も解さない癖にやたらと外国にかぶれたがる阿呆の仕業だろう。
 とは言え、流行りものに手を出すのも一興だと思っていた。
 そう言えば、次やる時は誘うようKに頼んだような記憶もある。
 私はKを連れて家の裏へ回った。二人とも手には庭の小屋から持ってきた鉤付きの長物を持っている。
 石段を下れば、そこは海岸である。我がもの顔で海の手前には砂浜が広がる
 朽ち果てた流木、干からびた魚類の死骸、打ち捨てられた花火の燃え滓、打ち上げられたビニール、雑多な汚物が清潔な砂粒たちの上で踊っている。
 Kは躊躇いなく波打ち際へと歩みを進める。
 私はそうもいかなかった。
 海の様子は家からも見えていて、海の凪いだ日には海月達が挙って浜に押し寄せるのは知っていた。しかし、近くで眺める異様な光景は私を一息に飲みこんでいた。
 Kが私を急かすものの、私の足は一歩進むごとに多大な労力を消費するようになっていた。
 鎖が足に巻きつき砂で熱せられて火ぶくれを作る、そんなイメージが気力を奪う。
 だが同時に奇妙な高揚感が私を包んでもいた。
 不定形が戯れる波打ち際まで近づく頃には、私の心は解放されていた。
 そら、掛声をかけながらKが鉤を海月に引っ掛けて、大きく振りかぶって砂浜を越えて道路の方まで放り投げる。
 放物線を描いて飛ぶ海月、巨大な水袋が空を切ってアスファルトに叩きつけられる。
 Kはもはや私の事など眼中になかった。
 私もKをまねて鉤を海月に引っ掛けようとするが、ぬめぬめとして重量感溢れる不定形の塊を上手く引っ掛けることが出来ない。
 しばらくKを観察して、そのコツをなんとなく感じ取るとうまく引っ掛けられるようになった。
 そうして自動海月水揚げ機が二台に増えた。
 私とKは疲れて腕が上がらなくなるまで引っ掛けて投げるの動作を機械のような無慈悲な正確さで延々と繰り返した。水から海月を引き上げる重い水音と水のたっぷり入ったビニル袋を落とすような飛来した海月がアスファルトに叩きつけられる怪音もその間絶えず続いていた。
 私とKが疲労の限界に達するのはほぼ同時の事だった。
 上半身の労働の次は下半身の酷使だった。
 私たちは砂に足を取られながら、大量の海月を叩きつけた道路まで駆け上がる。
 砂浜以上に熱せられた黒いアスファルトを半透明のぶよぶよした塊が埋め尽くしている。
 蜃気楼が如く現れた小さな海のようだ。死にかけ、さんざめく生命の無い海だ。
 Kが駆け上がったその勢いのまま、海月の海へダイブする。
 砂に塗れた靴が、崩れずに残る個体の形を打ち砕き、単なる水たまりに変えていく。
 そのうちに私も加わって二人狂ったように海月を踏み潰す、足裏に感じるねっとりとしたぬめりも慣れればえも言われぬ快感に変わる。
 飛び散った破片を陽光が虹に変え、狂乱に華を添える。
 私とKが上半身と同程度に下半身にも疲労を抱え込む頃には、足下の海月たちは泥混じりの水溜りへと姿を変えていた。
 どうだ? 楽しかったろう、こちらに向けられたKの瞳が語る。
 私は潤んだ瞳で語り返した。
 なあ、知ってるか? この海月ってユートピアに行った奴らなんだぜ、Kが意地の悪い笑みを浮かべて言った。
 私は目を白黒させて聞き返す、なんだって?
 ジェリーフィッシュ・デストロイと同じように出所は不明だが、Kとその仲間達の間で流布している噂らしい。
 人口過密と国民の無気力化に業を煮やした政府の出した解決策、社会貢献得点を貯めて応募できる特別福祉施設”ユートピア”、国民意識に希少価値を植え付ける為か理想の生活が出来る自由の天地と嘯かれるだけで、詳しい情報はもたらされない。
 隣家の幼馴染の少女、S子とその家族も抽選に当たり、先日”ユートピア”へ出発したばかりだ。
 私はS子への執着をからかわれたような気がしてKを問い詰めた。
 Kから聞いた噂によると”ユートピア”というのは母なる海の事で、当選した人々はすべからく政府の秘密機関で改造を受けこの辺りの海に放流されるのだという。
 対象に対する精神的優位性が転換した事で、私は一瞬自分自身の罪深さを自覚した。
 私が身震いをしているとKは馬鹿にしたように、むきになるなよ、ただの噂話じゃないか、と言って笑い飛ばした。
 その一言でわけの分からない不安に恐れを抱いた自分に滑稽さを感じ、すぐに浅薄な怖れは消えた。
 私とKは私の家から持ってきた熊手で、原型を留めぬぐちゃぐちゃの海月だったものを砂浜の方へ追い落とす。
 それが終わってから、ぬるぬるとした粘液に塗れた靴を水道の新鮮な真水、塩素臭い水で洗い清めた。
 そうしてKと別れ、私の最初で最後のジェリーフィッシュ・デストロイは終わりを告げた。
 それから数日後、夏季休暇も終わり、久方ぶりの登校。夏季休業という非日常空間から帰還した一瞬は、見慣れたはずの教室も新鮮な場所に見えたのも束の間の事で、今では退屈とでかでかと表示された顔を机上に投げ出してうつらうつらするばかりだ。