いちごのショーケーキ 3
家に帰るとまだ誰もいなかった。母は小学校教師に父は営業マンと良心は共働き。兄が高校に入ってからはそれが当たり前になっていたのに我が家同様両親共働きの向かいの家と生まれる前から家族同然の付き合いをしてきた私には、この静寂が慣れない。幼い頃はまだ母は家にいて、向かいの家にはおじさんがいた。私達は互いの家を自由に行き来して寂しがる暇も無いほどに遊びまわった。それでも私はもう十四で、ここは私の家。寂しいからお留守番が出来ないなんて年齢じゃ無いし、用もないのに向かいの家に入る義務なんてない。
ここは私の家。だから私は待ってる。兄の帰りを。両親の帰りを。私は待ってる。家族の帰りを。家族が帰るまで、私は一人で、この家を守ってる。
「ふぅ~」
制服のままでソファーに体を投げ出した。テレビをつけるとこの時間はワイドショーで話題の芸能人を追いかけてプライバシーも何も無く余すことなく身包みを剥されたていたり、政治家達のささいな揉め事をさも大事のようにキャスターが取り上げていた。テレビを消すと急に疲れが出て、そのまま目を閉じる。
ふと、携帯の着信音で目が覚める。相手は向かいの家の愁兄で、相変わらず穏やかな落ち着いた声が聞こえてきた。
「明日香、家にいる?」
「いるけど…」
「良かった。今から行くからさ、何か作ってよ」
愁兄は普段から穏やかで優しい人なのに、たまにこんな突拍子も無い行動に出る。私の返事も聞かずに電話を切ってしまう身勝手振りは夏樹とよく似ている。でも愁兄は、私がそれを断れないことを知っている。
「千春さんに作ってもらえば良かったのに」
開いた扉を振り向きもせずに文句を言う。見なくとも愁兄が笑っているのは分っていた。当然、帰ってくる返事だって分りきっている。その言葉が聞きたくて、毎回飽きもせずに同じ文句を口にする。
「しょうがないだろう。明日香の作ったのが食べたかったから」
今はもう、本当は愁兄はそれがいらないのを知ってるから、軽食や簡単な菓子を作る。家族が帰るまでの間、しだいに騒がしくなる向かいの家の声を背景に時々私は愁兄と二人で過ごす。それを食べ終わった後も愁兄は数歩先の家に帰る素振りをいっこうに見せない。私が自室に戻っても愁兄は我が家同然にリビングですごしている。それは何故か、とても安心して、肩の荷が降りたみたいにホッとする。
「ってゆーか、昨日も愁兄明日香んとこに居座ってたって?」
相変わらずのスピードで自転車を飛ばす夏樹が背中越しに私に声張り上げる。最近冬路は朝練のために早くに学校を出るらしく、置いてきぼりをくらう私達は青春真っ盛りにカップルのように仲良く自転車を二人乗りで登校する。からかう連中もいるが、年の近い男女が仲良くしていればその言葉は常に付きまとうもので、私達は特に気にしていなかった。
「そうみたい」
「全く愁兄は反抗期か?最近そっち行ってばっかりじゃねぇ?」
愁兄が時々我が家に座ることはあったが、最近はそのペースが妙に頻繁だった。だけど私はそれを特別気に止めたことはなかった。
「さあ。妹が恋しくなったんじゃない?」
「こんなに可愛い弟が二人もいるのに?」
「やくなって!愁兄は愁兄で色々あるんだよきっと」
今ひとつ納得がいかないと言う顔の夏樹と別れてから、私の足は無意識に音楽室に向かっていた。吹奏楽部の朝連はまだ続いているのか楽しそうな笑い声と共にそれぞれの楽器の音色が聞こえてくる。その中でも私はあのフルートの音色を聴いた。今度の音は、以前聞いた軽快で不安定な音色とは違っていた。それなのに、私はその演奏者が分っていた。今度の音色は以前より明るかった。安定したテンポで、丁寧に楽譜をなぞって行くような演奏。それでも、そのフルートの演奏者は冬路だ。音楽家じゃないしそれなりの知識をもっているはずもないのに、どうしてか分かった。音色はとても安定しているが、それは不安定なせつなさが無くなった訳じゃない。上手く隠してる。気付かれないように、そっと。
「すごい冬路君、もうソロパートばっちり♪」
「森下さんのおかげ。これからもご指導お願いします」
「私で良ければ喜んで♪」
手前の準備室の二人の会話は私にはっきりと聞こえた。和やかな声で冬路を褒めるその少女は同じ曲を弾きながらも数段レベルが上みたいで、堂々と楽しむような音色だった。森下真美(モリシタ・マミ)冬路と同じ吹奏楽部に所属している割と大人しめの人…ってゆーくらい知らなかった。だけど冬路はあの子の前でこの前の音色を奏でなかった。それがなんだか胸につっかかって取れなかった。
「イチゴのショートケーキ」といっても、あの日本のクリスマスに定番の白い生クリームの中に並ぶイチゴ達のケーキが全てではない。あの定番のケーキだって、店によって生クリームやスポンジ、イチゴによって全く別物のケーキになる。
そっと密かに憧れているあの人はその場その場で全く別の音色を奏でる。きっと私以外の人の前でまた別の音色を奏でる。
「すごい冬路君、ソロパートばっちり」
朝の自主練習の段階で、最近めきめきと腕を上げてきている高村君のフルートは次の演奏会のソロパートをしっかり覚えていた。あとはそれを自分なりに作っていく作業だが、彼の今までの演奏を聞いてきた私はその点に関しては心配していない。むしろ彼がどんな風にこのパートを試行錯誤していきながら彼の音色を仕上げていくのか楽しみで仕方が無い。
「森下さんのおかげ。これからもご指導お願いします」
控えめにはにかみながら高村君が私に頭を下げる。その姿が可愛らしくてつい笑ってしまう。
「私で良ければ喜んで♪」
二人でそういってからなんだかおかしくなって笑った。最近の高村君はなんだか楽しそうだ。彼はいつも落ち着いた雰囲気があって、その分フルートの音色は彼の普段表に出さないような感情が溢れているんだと思う。
今の彼は、気のせいか感情の起伏が激しく感じる。元々そういったものを表に現さないらしく、今も彼もそれが全部表れているんじゃないと思う。いつもと何か変わった所があるとか、そういうことじゃなく、私がそう思う。
「冬路!」
昼休み、明るいよく通る声に思わず振り向いてしまうと、その声の主はどうやら高村君の友人らしく、ささいな会話を楽しそうに話していた。
「悪い、英語のノート貸して?」
「ノート?」
「今日当たるの。訳やってなくてさ。ね、お願い!」
「夏樹に見せてもらえば?昨日一生懸命やってたし」
「ばっか野郎!あんな訳なら白紙の方がマシだ」
「努力を認めてやれよ」
「そ~ゆ~問題じゃなくて!あぁもういいから貸せ」
「乱暴な。今持ってくるから♪」
ここは私の家。だから私は待ってる。兄の帰りを。両親の帰りを。私は待ってる。家族の帰りを。家族が帰るまで、私は一人で、この家を守ってる。
「ふぅ~」
制服のままでソファーに体を投げ出した。テレビをつけるとこの時間はワイドショーで話題の芸能人を追いかけてプライバシーも何も無く余すことなく身包みを剥されたていたり、政治家達のささいな揉め事をさも大事のようにキャスターが取り上げていた。テレビを消すと急に疲れが出て、そのまま目を閉じる。
ふと、携帯の着信音で目が覚める。相手は向かいの家の愁兄で、相変わらず穏やかな落ち着いた声が聞こえてきた。
「明日香、家にいる?」
「いるけど…」
「良かった。今から行くからさ、何か作ってよ」
愁兄は普段から穏やかで優しい人なのに、たまにこんな突拍子も無い行動に出る。私の返事も聞かずに電話を切ってしまう身勝手振りは夏樹とよく似ている。でも愁兄は、私がそれを断れないことを知っている。
「千春さんに作ってもらえば良かったのに」
開いた扉を振り向きもせずに文句を言う。見なくとも愁兄が笑っているのは分っていた。当然、帰ってくる返事だって分りきっている。その言葉が聞きたくて、毎回飽きもせずに同じ文句を口にする。
「しょうがないだろう。明日香の作ったのが食べたかったから」
今はもう、本当は愁兄はそれがいらないのを知ってるから、軽食や簡単な菓子を作る。家族が帰るまでの間、しだいに騒がしくなる向かいの家の声を背景に時々私は愁兄と二人で過ごす。それを食べ終わった後も愁兄は数歩先の家に帰る素振りをいっこうに見せない。私が自室に戻っても愁兄は我が家同然にリビングですごしている。それは何故か、とても安心して、肩の荷が降りたみたいにホッとする。
「ってゆーか、昨日も愁兄明日香んとこに居座ってたって?」
相変わらずのスピードで自転車を飛ばす夏樹が背中越しに私に声張り上げる。最近冬路は朝練のために早くに学校を出るらしく、置いてきぼりをくらう私達は青春真っ盛りにカップルのように仲良く自転車を二人乗りで登校する。からかう連中もいるが、年の近い男女が仲良くしていればその言葉は常に付きまとうもので、私達は特に気にしていなかった。
「そうみたい」
「全く愁兄は反抗期か?最近そっち行ってばっかりじゃねぇ?」
愁兄が時々我が家に座ることはあったが、最近はそのペースが妙に頻繁だった。だけど私はそれを特別気に止めたことはなかった。
「さあ。妹が恋しくなったんじゃない?」
「こんなに可愛い弟が二人もいるのに?」
「やくなって!愁兄は愁兄で色々あるんだよきっと」
今ひとつ納得がいかないと言う顔の夏樹と別れてから、私の足は無意識に音楽室に向かっていた。吹奏楽部の朝連はまだ続いているのか楽しそうな笑い声と共にそれぞれの楽器の音色が聞こえてくる。その中でも私はあのフルートの音色を聴いた。今度の音は、以前聞いた軽快で不安定な音色とは違っていた。それなのに、私はその演奏者が分っていた。今度の音色は以前より明るかった。安定したテンポで、丁寧に楽譜をなぞって行くような演奏。それでも、そのフルートの演奏者は冬路だ。音楽家じゃないしそれなりの知識をもっているはずもないのに、どうしてか分かった。音色はとても安定しているが、それは不安定なせつなさが無くなった訳じゃない。上手く隠してる。気付かれないように、そっと。
「すごい冬路君、もうソロパートばっちり♪」
「森下さんのおかげ。これからもご指導お願いします」
「私で良ければ喜んで♪」
手前の準備室の二人の会話は私にはっきりと聞こえた。和やかな声で冬路を褒めるその少女は同じ曲を弾きながらも数段レベルが上みたいで、堂々と楽しむような音色だった。森下真美(モリシタ・マミ)冬路と同じ吹奏楽部に所属している割と大人しめの人…ってゆーくらい知らなかった。だけど冬路はあの子の前でこの前の音色を奏でなかった。それがなんだか胸につっかかって取れなかった。
「イチゴのショートケーキ」といっても、あの日本のクリスマスに定番の白い生クリームの中に並ぶイチゴ達のケーキが全てではない。あの定番のケーキだって、店によって生クリームやスポンジ、イチゴによって全く別物のケーキになる。
そっと密かに憧れているあの人はその場その場で全く別の音色を奏でる。きっと私以外の人の前でまた別の音色を奏でる。
「すごい冬路君、ソロパートばっちり」
朝の自主練習の段階で、最近めきめきと腕を上げてきている高村君のフルートは次の演奏会のソロパートをしっかり覚えていた。あとはそれを自分なりに作っていく作業だが、彼の今までの演奏を聞いてきた私はその点に関しては心配していない。むしろ彼がどんな風にこのパートを試行錯誤していきながら彼の音色を仕上げていくのか楽しみで仕方が無い。
「森下さんのおかげ。これからもご指導お願いします」
控えめにはにかみながら高村君が私に頭を下げる。その姿が可愛らしくてつい笑ってしまう。
「私で良ければ喜んで♪」
二人でそういってからなんだかおかしくなって笑った。最近の高村君はなんだか楽しそうだ。彼はいつも落ち着いた雰囲気があって、その分フルートの音色は彼の普段表に出さないような感情が溢れているんだと思う。
今の彼は、気のせいか感情の起伏が激しく感じる。元々そういったものを表に現さないらしく、今も彼もそれが全部表れているんじゃないと思う。いつもと何か変わった所があるとか、そういうことじゃなく、私がそう思う。
「冬路!」
昼休み、明るいよく通る声に思わず振り向いてしまうと、その声の主はどうやら高村君の友人らしく、ささいな会話を楽しそうに話していた。
「悪い、英語のノート貸して?」
「ノート?」
「今日当たるの。訳やってなくてさ。ね、お願い!」
「夏樹に見せてもらえば?昨日一生懸命やってたし」
「ばっか野郎!あんな訳なら白紙の方がマシだ」
「努力を認めてやれよ」
「そ~ゆ~問題じゃなくて!あぁもういいから貸せ」
「乱暴な。今持ってくるから♪」
作品名:いちごのショーケーキ 3 作家名:日和