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骨まで愛して

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「似てねえじゃん……」
 右隣に並んだナフタリン臭いおばさんの作法を横目で真似して、やり慣れない焼香を終えた僕は、去り際にもう一度遺影の男を振り返り、そう口の中で呟いた。
 菊の花に囲まれたモノクロの男は、どちらかと言えば美男ではあるが、これと言って特徴が無く、想像していたよりも地味な感じがした。大きくも小さくもない少し潤んだ目が、流し目気味に正面を見ている。緩くウェーブした細い髪はパーマだろうか天然だろうか。高くもなく低くもない鼻の下に、若干薄めの唇。笑っているのに、どこか寂しそうに見えるのは、もしかすると、死ぬ事が分かってから写真を撮ったからだろうか。尤も、最高にハッピーな笑顔でも、遺影になった途端に、物悲しい写真に変わってしまうものなのかも知れないが。
 故人の母親だと思しき年配の女性が、声を上げて泣いている。僕の母と同年代に見える彼女は正視するに忍びない。田舎のおふくろと比べたら、随分垢抜けた人だが、背の低い所と髪の薄い所にイメージが重なる。時折崩れ落ちそうになる体を、周囲の男が支えている。彼女は息子の特殊な性癖に気付いていただろうか。
 彼女を含めた親族に頭を下げて斎場の外に出ると、六月の絡み付くような霧雨が、僕の皮膚に膜を作った。少し遅れて滲み出した汗と纏めてハンカチで拭い取り、ネクタイを少し弛める。
 府中市のアパートから私鉄と都営線を乗り継いで約一時間。初めて降りた駅。東京の北部、練馬区。遊園地が近くにあるこの街が、彼の生まれた街なのかどうか、僕には分からない。
 暗い空を見上げた。
 会った事も無い男の葬式に出るのは、妙な気分だ。
 周りに知り合いもいないから、死因も分からないまま。僕より二歳年下の彼は、三十年と言う、短い一生をどんな理由で閉じる事になったのだろう。亡くなった時葬儀で泣いてくれる友人が何人いるかで、その人の価値が分かると言うが、若者の少ない閑散とした式場は寂し過ぎた。もし今、僕が死んでも、同じようなものだろうけど。
 四日前の水曜日。彼が死んだその日は、偶然にも僕の三十二歳の誕生日だった。会った事もない男の葬式に来たのは、誕生日と忌日が重なった事に、妙な因縁を感じたからだ。
 ヨシユキ。
 片仮名でイメージしていた彼の名前は、原田良幸だった。
 骨が一本折れて飛び出したボロボロのビニール傘を開きながら、僕は斎場を振り返った。目を閉じて、考える。
「無理だな……」
 全裸で僕に跨がるヨシユキを想像して、嫌悪感と罪悪感を同時に抱いた僕は居たたまれなくなり、漏れ聞こえる読経と嗚咽から逃げるように、駅に向かって歩き出した。
 故原田良幸儀 葬儀式場
 墨文字の看板が、雨で濡れていた。


 三年前。
 僕とヨシユキが知り合ったその日は、ゴールデンウィークの最終日だった。
 メインクライアントが中堅の家電量販店という弱小広告代理店で働く僕は、連休だというのに大してやる事もなく、有り余った時間を午睡とパチンコで無駄に潰していた。三十路目前。彼女なし。趣味はパチンコ。三年経って三十二歳になった今でも変わらない、最悪のプロフィールだ。
 夜の九時。新宿歌舞伎町のパチンコ屋。連休前に下ろしたピン札の万券五枚が、皺くしゃの千円札六枚に変わっていた。騒音と煙草の副流煙に包まれた僕は、お金も充実感もなく、虚しさでいっぱいだった。
 溜息ばかりが口を衝いて出た。
 デザイナーとは名ばかりで、『激安!』『特価!』『数量限定!』『最新モデル!』特太ゴシックの赤文字と商品ポジを隙間無くレイアウトするだけの、何のクリエイティブセンスも必要とされない仕事が、また始まる。そう思うと、どんどん胃袋が重くなっていった。
 皮肉な事に、憂鬱を紛らわせようとわざわざ電車に乗ってやって来たパチンコ屋にも、普段自分が字組みしているのと同じような書体が、『新台!』『爆発台!』 『ラッキー台!』『大放出!』と、下品を通り越してサイケデリックに感じる程、溢れまくっていた。日頃、消費者なんて糞ばっかりだと嘯いていても、結局僕自身が、最低の惹句に躍らされ、なけなしの金を溶かしている。気付いているのに、他にやる事が見付からない。
 手持ちの玉が無くなった。頭の芯が痺れたようになり、暫くの間、呆然と盤面のアニメーションを見ていた。何の生産性もないまま、ただじっと椅子に座っていただけの連休が、空っぽになって、終わった気がした。

 表に出ても、耳の奥でずっとパチンコの音がしていた。
 目の前数十センチの台をずっと見続けていたせいで焦点が合わず、視界のピントが惚けていた。街は下品でサイケな看板で溢れ、デザインの欠片もない。射幸心と性欲を煽るピンボケのネオン街を歩きながら、僕はまた、大きく溜息した。
 テレクラの看板に足を止めたのは、そんな時だった。
 ハッスルコール
 黄色バックに金赤の文字。看板の周りを電飾が駆け回っていた。
 最後に入ったのは、いつだっただろうか。入社して二年目ぐらいまでは、安さと真偽の怪しい先輩の武勇伝に誘われて、月に一、二度行っていた。何の成果も出せない内に、いつの間にか規制が厳しくなり、携帯の出会い系サイトと入れ替わるように、すっかりブームも下火になっていた。その頃、関西の方でテレクラ放火事件があり、逃げ遅れた客が数人焼死したというニュースにぞっとしてからは、全く行かなくなっていた。
 いい事なんて、ある訳がない。そう思いながらも、その日、まだそこにある事自体が不思議なくらいのその店に入って行ったのは、あまり認めたくはないが、寂しかったからだ。その日の僕は、切ない程寂しくて、気が付くと、吸い込まれるようにイソジン臭い雑居ビルのエレベーターに乗り込んでいた。
 誰かと話がしたかった。
 お弁当温めますか? と聞くコンビニの店員に、お願いします、と答えた一言と、声にならない一万回の溜息が、連休中に僕が話した言葉の全てだった。

 一時間二千百円。途中外出不可の一番安いコースを選び、部屋に入った。九十年代にタイムスリップしたような感覚。煙草の火で所々に穴の開いた合成皮革のリクライニングチェア。映りの悪そうな旧式のテレビ。安っぽいテーブルの上に、灰皿とメモ用紙。消臭剤で誤摩化された精液の臭い。薄く流れるJポップの有線放送。ライブチャット用なのか型落ちしたパソコンが置いてある以外は、以前と何も変わっていなかった。年を誤摩化す時に使う、年齢と生まれ年の西暦、年号、干支が早分かり表になった紙にも、見覚えがあった。耳を澄ますと、僕以外にも客はいるようで、隣の部屋から幽かに男の声がした。僕よりも大分年上の声が、途切れ途切れに聞こえて来た。
「分かっ……じゃあすぐ行……からちょっと待っ……。水色のワンピース、うん……白いポロシャツ……じゃあ」
 隣の男が部屋を出て行くのを羨ましく思いながら、僕はテレビを点け、くだらないお笑い番組をぼんやりと観ていた。イスのリクライニングを倒し、スニーカーを脱ぐと、蒸れた足の臭いがした。そして入室後、十分程過ぎたその時、ベルが鳴った。
作品名:骨まで愛して 作家名:新宿鮭