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犬猿の仲 【オリジナル】

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朝、澄み切ったこの空気が心地いい、にもかかわらず。

「暇そうだねぇ、犬のあんちゃん」

 なんて笑いを含んだ声が聞こえて見れば、猿がニヤニヤと笑って鍬に肘をかけてはこちらを見ていた。

「手伝って貰いたいねぇ、おっとあんちゃんは鍬が持てなかったね」

 そう言いながら、猿は鍬を持っては畑を掘り始めた。

「畑を荒らされても、追い返しもできない猿に言われたくないね」

「その代わり、いろんなことが出来る」

「それを邪魔されても何も出来ない」

「何だよその言い草は」

「理由を言わないのは自覚があるからだろう?」

 猿の顔が真っ赤になる。お互いにあっという間に喧嘩になった、ぎゃあぎゃあとうるさく騒いだ。

 結局、腹が空いたら帰る。近所の住民に怒鳴られたら帰る。

 こんな日常を繰り返していた。



「なぁ、あそこの猿と話すのは止めなさいな」

 母親が控えめに、だけど念を押すようにそう言って来た。

「なぜです母上?」

「あそこの猿は気性も荒いし、頭は悪いし。親が居なくて暴れん坊なんだよ。汚いったらありゃしない」

 確かに喧嘩っ早いが、頭は悪くも無かったし、畑で自給自足していて他人から物は取っていない。

 自分はどこか納得が行かない間々、だが「はい母上」と頷くしかなかった。



 朝、いつも通りの通り道。ざくざくと畑を掘る猿を見て足を止めた。

 しかし、猿はこちらを見ては無視するだけだった。いつもみたいに嫌味は言わないでざくざくと畑を掘り続けた。

 その間々通り過ぎれば良い、なのにそれが出来なかった。

「やい、ノロマで何も出来ない猿やーい、勝てないと分かって何も言わないのか?木に登って隠れる臆病者!」

 そう言えば、猿はこちらを見て─いや何も見ていなかった。目は濁り切っていて、ぼろぼろと涙が零れていた。

 思わずぎょっとする。鍬が倒れて、真黒な手で涙を拭うものだから、黒い顔がさらに真っ黒に汚れた。

「ほんとはなぁ、分かってんだよ。臆病者って事くらい」

 涙声としゃっくりが混ざって猿が喋る。途端に心臓が跳ねた。母親と自分の会話を思い出す。頷いた自分がなぜか頭を横切った。

 猿の畑に入った事は今までないが、思わず入って近づいた。

「どこが臆病者なんだい?」

「さっき自分で言ったじゃないか」

「お前の真似しただけさ、なんでぇ朝からしょぼくれて」

 なるだけ馬鹿にしたように言った。猿がいつもみたいに返すかと思えば、目を丸くしただけだった。

「・・・あぁ、なんだ・・・そうかい、なんでもねぇんだよ。犬のあんちゃん、さっさと帰りな」

 猿は納得したように頷いて、背をこちらに向けると鍬を持って畑を耕した。

「なんだい教えておくれ、何を泣いてるんだい?」

「なんでもねぇ、なんでもねぇんだよ。犬のあんちゃん」

 そういえば、猿の泣いた顔はどこかで見た気がした。あれは今みたいに手も黒くなくて、顔も黒くなく。まだ柔らかで綺麗な手と顔をしていた頃。

 猿の両親が死んでから、猿の手足は真っ黒になって、顔も黒くなったのだ。

「なぁ、猿やい」

「なんでぇ?」

「お前さん、ずいぶんと変わったなぁ」

 猿が振り向いて、くしゃくしゃな笑顔を見せた。

「なぁ、犬のあんちゃん」

「なんでぇ?」

「なんでもねぇんだ、犬のあんちゃん」

「お前さん、変な奴だなぁ」

「うるせぇよ」

 そう言って退ける猿の様子に、なぜか安心してしまった。

 その後は、嫌味も言わず適当に会話をすると、夕方頃には家路に付いた。



「ねぇお前さん聞いたかい?あそこの猿、追い出されたらしいよ?」

「え・・・?」

 思わず間抜けな声が出たが、母親は「良かったねぇ」とほっとしたように言った。

「なんでも、猿の連中がさ、あいつはあんまりにも汚いから猿の恥だって言ってね。元々から邪見してる連中が多かったらしくてねぇ・・・ま、当然だね。ほら、お前さんも色々と嫌味を言われたろう?あれも引き金になったらしくて、精々するねぇ。私達の前じゃ何も言わないのに、お前さんにだけ嫌味言ってたんだから。まったく卑怯で汚らしい猿だねぇ、居なくなって良かった良かった」


 母親の喋り声に頭が付いて行けなくなった。


 猿は不器用なだけだった。嫌味を言う事以外に感情を伝える方法が見つからず。

 辛い事も言わずに一生懸命に鍬を握っていたではないか。

 ふと、なぜ自分が猿を庇っているのか不思議に思う。いつも嫌味を言われていたじゃないか。いつもいつも会う度に。

 しかし、嫌味は軽い物だった。ごくごく自然な会話に近かった。不快感はそこまで無かった。嫌いでは無かった。

ようやく、自分は猿の事を友達だと思っている事に気が付いた。



END