ポケットティッシュ
可愛らしい声がして、僕は思わず足を止めた。
寒空の下、あんな格好でアルバイトとは大変だなぁ……。
と言うたいして面白みもない感想を抱きつつも、無料のティッシュはありがたいと受け取りに向かう。
「お願いしまーす」
受け取る瞬間、彼女と目があった。
「ありがとうございまーす」
視線で人が殺せるか。
その問いは、絶対的にイエスだ。
なぜならその日、僕は彼女に殺されたのだから――。
こんな寒い日に外に出るのは億劫だ。
買い溜めのおかげで冷蔵庫もいっぱいだし、仕事も休み。
ならば、わざわざ出かける理由などない。
けれど、僕は震える身体に鞭打って町に出かけた。
目的はひとつ。
彼女に会うためだ。
「お願いしまーす」
ポケットティッシュをもらう。
「ありがとうございまーす」
今日も、もらう。
「お願いしまーす」
たまには微笑みかけてみる。
「ありがとうございまーす」
もらう。もらう。もらう……。
やがて、うちにあるポケットティッシュが小さな段ボール箱いっぱいくらいになったころ、
僕はたまたまいつもよりも遅い時間に彼女の元に訪れた。
そして初めて、彼女の口から「お願いしまーす」でも「ありがとうございまーす」でもない言葉を聞いたのだ。
「あ、こんにちは」
「こんにちは」
手にはポケットティッシュを持っていない。
既に今日の分のノルマは終えてしまったのだろう。
「あの、いつももらってくれてますよね?」
「え……? あ、はい」
彼女に顔を覚えられていたことに少し驚きつつも、確かに日課のようにここに来ていれば覚えられもするか、と思い直した。
「すみません。今日はもう無いんです」
眉を下げて、そう言う彼女を見ながら僕の口は自然に動いた。
「………………じゃあ、代わりに君をもらえませんか?」
言ってから激しく後悔した。
何を気持ち悪いことを口走っているんだろう。
予想通り、彼女はぽかんと口を開けたままこちらを凝視しているではないか。
僕は恥ずかしさのあまり、その場を立ち去ろうと翻す。
「あ、待ってください!」
そんな僕の背に彼女の声が降りかかる。
「ポケットティッシュと違ってタダではすみませんけど……良いですか?」
「え?」
僕はその言葉に反射的に振り返る。
寒さのせいか、それとももっと別の何かのせいか、頬を赤くした彼女がそこにいて、僕は思わずにやけてしまった。
「タダより高いものはない、と言いますし」
「その上、売れ残りで、さらに割引もしていませんが」
「どうしても欲しいものなので、返品をするつもりもありません」
僕らは同時に笑い、お互いに見つめあった。
「それでは……こほん」
彼女はわざとらしく咳払いをし、ティッシュを配るように自らの腕をこちらに伸ばして例のフレーズを発する。
「お願いしまーす」
僕ははにかみながら彼女の手をとった。
「ありがとうございまーす」
そして、そのまま彼女の手をそっとポケットの中に入れたのだった。
了。