イデアの終焉
イデアの終焉
CAST
尼丘 三郎 におか さぶろう
朝霧 純子 あさぎり じゅんこ
東郷 佳鈴 とうごう かりん
舞台中央に尼丘立つ。そして以下の朝霧の言葉に合わせて動き出す。
朝霧 生きる目的定まらず。この世が何かも感じ得ず。ただこの場に存在し得
ることだけを真とする。心の中に、存在し得る、脈々と流れる万里の河
は、いつしかその流れを止め、広大な海原に流れ着くのを諦めた。その
判断は英断なり。されどその所業は決して報われることなく、奈落の底
に葬り去られることだろう。
目に映る物は霧がかかったかのように白く濁り、耳には何も響かず、息
をすれば何も匂わず、物に触っても実感がない。思考は常に虚う。その
存在、肉の塊に近づき、存在そのものの終焉に向かう。終焉を完遂した
時こそ因果の鎖から開放されるであろう。
その所以としてその存在が言う。この世に光無し。熱無し。流れ無し。
唯我が存在がここにあるだけである。この世がそのような世界であるが
故に、我が存在がこの世に存在するに相応しくないと心得る。終焉に向
かおうとすることが我の唯一の意志であり、欲求であろう。
このようなことをのたまうその存在、名を尼丘三郎という。これよりそ
の名も終焉に向かう。
尼丘、氷のような表情から次第に笑みがこぼれだし、しまいには高笑いに転
化する。その途中に東郷登場。
東郷 今日も無表情。明日も無表情?
尼丘 ……
東郷 いつまでそうやっている気?
尼丘 ……
東郷 そうやって私に反抗しているつもり?それとも私には何も話すことがな
いって?
尼丘 ……
東郷 尼丘君、貴方はそれで格好つけているつもりかもしれないけど、私から
見たら、唯逃げているだけにしか見えないんだよね。現実から……
尼丘 ……
東郷 分かりました。そうやってなさい。私が勝手に喋るから。
尼丘 ……
東郷 何にも関心を示さない……これは対象に興味を示し、それにのめり込む
事への恐れ。つまり、対象を信用し、鋼の鎧から心を開放すると、それ
無しには生きていけなくなる。そうすると、心に充足感が流れると同時
にそれを失うことに対する恐怖を極端に感じる。その恐怖に苦しむ前に
初めから何に対しても興味を感じなければいいという自己防衛本能。そ
れとも、自分が何をやってもたかがしれてる。自分には才能がないのだ
一生懸命やるなんて馬鹿げているっていう卑屈な人生観を持っているの
か。ふふっ……いずれにしても弱いってこと。青いねーーーー。
尼丘 ……
東郷 ……どうして?ここまで言われても何も感じないの?こっちを向きなさ
い!!!
東郷、尼丘を無理に向かせる。
東郷 ……君に私は見えていない……ここまでしても私を見てくれないの?
どうして? どうしてそんなことが出来るの? 目の前に居るのにどう
して見てくれないの!!! その目は私の存在そのものを否定している
かのよう。お前なんて取るに足り無い存在なんだってその目は語ってい
るの? 君に私は見えていない……君に私の声は聞こえてない……やめ
て……やめて……やめて!!!!!!!
尼丘 ……
東郷 私はただ、君のことを思って……幸せになって欲しいって願っているだ
けなんだよ。どうして私の気持ち分かってくれないの?! ねえ! 尼
丘君! 今のままでは死んでいるのと同じだよ。尼丘君? 生きるって
辛いことも多いけど、楽しいことだって沢山あるんだよ。
尼丘 先生。
東郷 え? なっ何?
尼丘 先生は私の母さんなんですか?
東郷 え? ……どういう意味?
尼丘 幸せを願うって親ぐらいのものではありませんか。
東郷 うーーーーん。そういう意味じゃ親代わりってものかな。
尼丘 そうですか。それじゃ母さんに近いと考えていい訳ですね。
東郷 そうよ!! やっと分かってくれたのね! そうよ! その通りよ!
尼丘 先程、先生は、私の幸せを願っているとおっしゃいましたね?
東郷 うんうん。
尼丘 先生は親代わりっておっしゃいましたから、当然私の幸せの手伝いをし
て下さいますね?
東郷 当然よ! 何でもするわ! 何して欲しいの? 言って?
尼丘 所で、親はわが子の為に死ねるという言葉をご存知ですか?
東郷 ねえ、何が言いたいの。さっきから……
尼丘 答えてください。
東郷 ……知ってるわ。そのつもりよ。
尼丘 分かりました。
東郷 何を?
尼丘 先生、私のために死んで下さい。
東郷 はあ? 何それ。あんた私を馬鹿にしてるの? ふざけるのもいい加減
にしなさい!!!! 喋ってくれるようになったと思ったら、それ?
……帰ります。
尼丘 先生は母さんではないのですね。
東郷 違います。
尼丘 幸せを願っていないのですね。
東郷 そう。
尼丘 分かってました。さようなら。
東郷 ちょっと待って! まさか私を試したの?
尼丘 いいえ。
東郷 じゃあどうしてあんなこと言ったのよ。
尼丘 私は私の幸せの為に死のうと思っています。その前に人が死ぬのを見て
おきたくて。
東郷 私はただそれだけの人間なの? 私の命ってそんなもの?
尼丘 違いますか?……どうしてそんなに怒っているのですか。私、失礼なこ
と言いましたか?
東郷 ……!! 自殺するの?!!! いけないわ、そんなこと!! 絶対駄
目よ! 何があったの? 言ってご覧。ねえ。辛いことがあったの?
ねえ言って。とにかく、話をしよう。ね?まだ早いって! 衝動的に全
て物事を考えてはいけないわ。兎に角落ち着こう。ね?
尼丘 理由なんてありません。
東郷 え?
尼丘 理由がなくては死ねないのですか?
東郷 理由が無い筈無いでしょ!!
尼丘 おっしゃっている意味がよく分かりません。
東郷 もういいわ!! とにかく、自殺なんて絶対に許さないから!! おか
しいよその考え。わかった?!
尼丘 先生は私の不幸を願っているのですね。
東郷 どうしてそうなるの!
尼丘 では、教師としてのお立場が、そのような言葉を言わせているのですね。
東郷 ……
尼丘 囚われているのですね。可愛そうに。
東郷 何とでも言えばいいわ。
朝霧登場