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猫バス

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完全に開ききっていない目をさらに細めて時刻表を睨み付ける僕は、第三者から見たらどんな人相に映っているのだろう。前向きな意見は期待できないこと間違いないが、寝起きの自分にそんなことを気にする余裕もない。そもそもバス停に並ぶ人間は自分以外いなかったので気にする必要もないのだが。
 今朝も不思議な事が起きた。朝起きたときは7時だったのに少し気を抜いている間に気が付いたら12時になっていた。平日の朝に結構な確立で起きるこの現象を、僕はタイムスリップと呼んでいる。
五十分か。時刻表から携帯の液晶へ視線を移せば四十八分を表示していて、おっと短く声を発し顔を上げると見覚えのあるスクールバスがこちらに向かってきているところだった。今日は運がいい。シュパンシュパンという特有の音を立てながら目の前でバスは止まった。
 わらわらと出てくる連中を横目で見送り、最後の一人までいなくなるのを待ってからステップに足をかけた。
 これから学校に向かうのは足取り重いが、乗りこむ客が自分ひとりという点だけが救いだった。これから数十分間、この車は僕専用送迎バスになる。そう思うと少々気分が良い。一番後ろの広いシートを陣取ってやるかと、三段のステップをトントントンと登り終え後部座席へ体を向けた瞬間、僕の足は硬直した。
 先客がいたのだ。僕が陣取ろうとしていた後部の長椅子のど真ん中にそいつは我が物顔で座っていた。
 もしそれが人間であったら当たり前の光景である。しかし僕がこの状況で動けない理由はそいつが猫という生き物だったからだ。白くてほっそりした猫だった。人外の乗客に初めて出くわした僕は、あまりに稀なこの状況に思考回路が数秒フリーズしてしまった。動くに動けない。そんな僕に気づいたのか、猫は窓に向けていた顔をゆっくりこちらへ向けた。猫の大きな眼球と目があったところでようやく我に返り、反射的に回れ右をすると、今度は運転手のおっちゃんの訝しげな視線を思いっきり目にしてしまった。一人挙動不審な僕は前の方の一人席に慌ただしく座ることでその場をしのいだ。ふうと息を吐きながら背もたれに体重を預けるとバスは発進した。僕専用送迎バスのはずが、肩身の狭いドライブになりそうである。

 奴の存在について色々思考をめぐらせていると後ろからかつと床に爪を当てる音がした。僕は瞬時にまた身体を強張らせた。まさかと思い少し緊張しながらそのまま耳をすませていると、音は気配とともにだんだん近くなり僕の座席のすぐ後ろで止まった。と思うと、ぼふっというそれまでと違う柔らかな音がした。息を呑んで恐る恐る体を捻じって後ろの席を覗き込むと思ったとおり、やはりそいつはいた。先ほどと変わらないすまし顔で座席に座り窓の外に首を向けていた。
 その姿を見てふと昔見た映画の一場面を思い出した。主人公の少女が乗る電車に猫が乗り込んでくるのである。詳しい内容はおぼろげだが、そのシーンだけはやけに頭に残っていた。そして同時に僕は彼女がその猫に対してしたことも思い出していた。その時の僕の行動はそんな些細な動機からだった。
「・・・走行中は立ち歩いちゃいけないんだぞ。」
 声に反応したのか、みむぴくりと耳を動かして僕を一瞥した。
 猫に話しかけるなど馬鹿げている。しかしどうにかして気を紛らわせたい気持ちが先行しての行動だった。
 釣りあがった目元に睨まれたが、猫は静かに視線を外へ戻した。こいつはどうも妙に肝が据わってやがる。そういえば、あの映画の少女も猫に無視されていた気がする。自分の行動を自嘲気味に笑うも僕も席に座りなおした。そのときだった。
「うっさい。」
 心臓のはねる音がした。僕は身を乗り出してもう一度後ろの席を覗き込んだが、奴はそんな僕に反して変わらぬ姿勢で外を見ていた。まったく微動だにせず視線すらくれなかった。
 猫と会話が成立するなどありえない。
だが、それは少女か少年かのような高い声色で確かに背後から聞こえたのだ。もちろん辺りを見回してみても無駄。背中を滑らすようにずるずると深く座り込み、高鳴る心臓を落ち着かせようと左胸を服の上から皺ができるほど押さえ込んだ。それから学校につくまでの時間、後ろの気配から逃げるように目を瞑ってやり過ごすしかなかった。
 ガタンと前のめりになると思うと同時に目を開くと、バスのスライドドアが開いた。何かに追われるかのごとく後ろの席を見ないようにして急いで降りる。
 いつもはあっけなく過ぎる距離がとてつもなく長く感じた。やっと緊張から開放され、深いため息をついて胸を撫で下ろす。降りてしまえばこっちのものだ。早急に校舎へ歩を進めようとしたが、校門の前でぴたりと足が止まった。息を飲んで僕はもう一度バスの方へ振り返った。
 窓際に猫の姿があった。前足を窓枠にかけ身を乗り出し、さっきまであんなに興味を示さなかったのに、奴は確実に僕を見ていた。当たり前のように動揺した。気味の悪さに青ざめる。
 そして次の瞬間、無表情だったそれは、目元と口元を三日月のごとく細くさせた。
 ぞくりと、背筋を冷たいものが走る。息が止まるのを感じた。
 笑った?
 猫を乗せバスがゆっくり発進していく。
 瞬きをしたらその窓辺にもう猫の姿はなかった。
作品名:猫バス 作家名:はなもり