カラスノ囚
『――世界を愛で満たそうか』
彼は唐突にそう言った。
烏は目を閉じ両手を広げて大きな身振りとともに僕に語りかける。
昔は小学校だった廃校の片隅、真っ暗な空間で椅子に座る僕と机の上に立つ烏。
僕は彼の言うことなら何でも鵜呑みにしよう、そう決めている。
「そうだね、そうしよう」
「・・・そう、君はいつだって肯定するね。何か考えていないのかい?」
翼のように広げた両腕をだらりと脱力させて僕を覗く。
「そんなこと無いさ」
僕は答える。
僕の頭の中はいつだってたくさんのことを考えては放棄しているんだ。
「ま、それが君のよさだよね」
烏は一人納得して机の上に座る。
「で、どうやって愛で満たすの?」
僕は両肘を机の上に乗せて顔を支える。
彼は黒いカーゴパンツを履いた長い足を組んで目を宙に遣る。
んー、と少し唸って首をかしげる。
「とりあえず世界を固定しようか」
「世界の固定?」
「教室の窓という窓、穴という穴をふさいで私と君の二人にするんだ」
「ふーん」
「そしたら私たちには外の世界は見えないだろう?」
「僕らにはそもそも外界はあまり関係無いよね」
「まぁ、それでも私たちは世界の一部だからな」
「うん」
「そしたら互いに愛の言葉を言う。『好き』でも『愛してる』でも『月が綺麗ですね』でもかまわない」
「月見えないけどね」
「そこは絵に書けばいいだろ?」
「うん」
「で、愛で満たされたな・・・と思ったら徐々に世界を広げていくんだ」
ニコニコと目の前の烏は机の上で楽しそうに話を進める。
「世界を広げれば愛の濃度は下がってしまうからやっぱり溜まるまで愛の言葉を紡ぐんだ」
「うんうん」
「それを繰り返すうちにきっと私たちの世界にも人が入ってくる。だから私たちは彼らに愛を振りまくんだ」
両手でハートのマークを作って僕に向ける。
教室の窓から差し込む月明かりが烏を照らす。
「彼らにも愛をささやくのを手伝ってもらおう。息をすれば愛は吸われてしまうからね」
「愛は酸素?」
「酸素と同じさ! 紡がなければ消えてしまう。吸い込まれれば消えてしまうんだ。声に出して、態度に表さなきゃ!」
ハートマークから僕を覗きウインクをしてくる。
「二酸化炭素のように吐き出して、酸素のように吸い込むんだ」
「そうだよ! 私たちにはそれができる」
机から下りて立ち上がった烏は僕の座る席に近づく。
「いつからそれをはじめようか?」
僕は近づく烏に問いかける。
烏は僕に詰め寄り顔を近づける。
もう一歩で鼻が触れそうだ。
彼の黒い髪の毛が僕の顔に既に触れている。
彼の黒い瞳が月明かりで艶かしい。
彼の形のよい唇が横に広がり端が少し上がる。
「私はいつでもできるけど君には練習が必要だろ? 私が愛のささやき方を教えてやろう。本番はそれからだ」
僕と烏の距離がゼロになる。
頬と頬がふれあい互いの耳元に息がかかる。
耳元にかかる息に僕の肌は粟立つ。
「こうして互いを感じるんだよ」
彼の放つ言葉が、息が、耳元にダイレクトに伝わる。
「そしたら、ゆっくりと、気持ちをこめて、言うんだ・・・愛してる」
「・・・僕も愛してる」
烏の体温を感じる。
触れ合う頬が温かい。
空気もなんだか暖かい。
「よくできました」
彼の体温が離れる。
追いかけたくなるけど手を伸ばせない。
僕にはそうすることを許されてない。
僕は彼に囚われた、その日から彼に生殺与奪を握られた死刑囚。
「私の言うことに従えるなら君はいつまでも私の世界で生きられるよ!」
彼は僕に笑顔で言葉を投げる。
いつまでも縮まらない距離で。
「僕はいつまでも君に従うよ」
これが僕の永遠に続く『いつも』だ。