circulation【1話】赤い宝石
7.報酬
ふかふかと座り心地のいいワイン色のソファー。
三人掛けの端に座って、大きなガラス窓から外を見る。
思ったとおり、明るい日差しの中で眺めるマーキュオリーさん宅の庭はとても美しかった。
私達は、あのお屋敷に戻ってきていた。ここは、昨夜最初に通された応接間である。
一人掛けのソファーでは、デュナが腕組みし、足を組んだままずっと俯いている。
暖かく、静かな室内。
しばらくお待ちくださいという言葉を残してマーキュオリーさんが立ち去ってから、もう十五分は経っただろうか。
レースのカーテン越しに、ゆらゆらと午後の日差しが私達をくすぐっている。
デュナは、どうやら眠っているようだった。
極度の緊張と疲労の後に、この状況では、当然という気がする。
私の左側では、フォルテもこっくりこっくりと舟を漕いでいる。
フォルテの左でその様子をぼんやり眺めていたスカイが、大きなあくびを一つ。
つられてこみ上げてきたあくびを、私はマントの下からのそりと出した手で隠した。
「眠くなってくるな」
スカイの小さな声。
ささやくようなその声は、デュナとフォルテを思っての物だろう。
「スカイは昨日からずっと寝てたんじゃないの?」
「そうだな、十五時間は寝てたかな」
「それでも眠いの?」
「……寝すぎると眠いっていうのはホントだな」
口元にじんわりと苦笑いを浮かべるスカイ。
もしかしたら、まだ眠り薬が残っているのだろうか。
そうでなかったとしても、あの骨折だけで肉体的な疲労としては十分だろうな……。と、スカイの頬を伝っていた冷や汗を思い出す。
「私起きてるから、スカイも寝ちゃっていいよ」
「ん? それを言うならラズの方が疲れてるだろ」
意外だとばかりに片眉をあげて、スカイがまっすぐこちらを見つめ返した。
「俺が起きてるから、ラズは休んでいいぞ?
というか、乗り合い馬車じゃないんだし、四人とも寝てたっていいんじゃないか?」
「うーん……それは、マーキュオリーさんに悪いでしょ……」
マーキュオリーさんは今、簀巻きにされた犯人達と談判中のはずだ。
その後、クーウィリーさんが払うことの出来なかった、クエストに対する正当な対価を支払うと私達に約束してくれていた。
結果的に、危険度の高い内容になってしまったが、その割には経費がかかっていないので……回復剤が、えーと、七本かな。
いつもはデュナが進んで薬品や爆発物を使うので、それを経費として数えると結構なお値段してしまうのだが、今回は荷物を奪われていたおかげで、それもなく……。
屋敷に戻る途中の会話を思い返す。
こんなこともあるわけだし、自分の荷物くらい自分で持っていたらどうかと
スカイに提案されたデュナが
「けど、劇薬を常日頃から身に付けておくのはねぇ……。
何かの拍子に試験管が割れたりしたら大事だもの」
と答えていた。
「いや待て。じゃあその劇薬を常日頃から背中にしょってる俺はどうなる!」
と突っ込みを入れられていたが、彼女は全く気にした様子ではなかった。
ぼんやりと考えていたのを、眠たいのだと思ってか、スカイがもう一度声をかけてきた。
「……寝ていいんだぞ?」
「マーキュオリーさん……あの建物に四日間も捕まってたのに、今休まず頑張ってるんだから、それで扉を開けて、全員寝てたらちょっとガックリするんじゃないかな」
ぽつぽつと、思ったままを呟く。
まあ、私ならそうだろうなと思うだけで、マーキュオリーさんが実際どう思うかは分からないが。
「あー……そっか……」
鼻の頭を軽く掻いて、考えるように視線をそらしたスカイ。
彼が、マーキュオリーさんに思いを馳せたのかと思った途端、先程の飛び降りの時、スカイがマーキュオリーさんにしがみつかれていた姿が脳裏に浮かんだ。
それは、ほんの一瞬、遠目からだったにもかかわらず、私の目に鮮明に飛び込んできた絵だった。
なんでそれを今頃?
私が首を傾げるのと、応接間の扉がノックされたのは同時だった。
「さすが高名な封印術師……」
マーキュオリーさんから提示された金額を見て、デュナが小さく呻く。
その台詞をデュナから聞くのは、今日これで二度目だった。
一度目は石を封印した時に。
あの石の威力を分かっていたデュナだからこその言葉だったのだろう。
今回の場合は、またちょっと意味合いが違っているが……。
口端の笑みを隠しきれていないデュナを見て、マーキュオリーさんの後ろに立っていたクーウィリーさんが、ふき出しそうなのを申し訳なさで必死に押さえているような複雑な顔をしている。
たしかに、彼女が笑い出してしまっては、どちらも気まずいだろう。
「デュナ」
後ろからくいっと白衣の裾を引く。
「あ、ああ、ラズ。白衣を触ると危ないわよ」
目の前に並んだ数字で、どんな研究をしようかと思い巡らせていたに違いないデュナが、正気に返って答えた。
デュナの白衣にはあちこちに仕掛けがしてあり、隠しポケットには薬品もいくつか忍ばせてある。
もちろん、劇薬ではないわけだが。
それはわかっていたものの、これで声だけをかけてデュナが気付かなかった日には、クーウィリーさんがその我慢の限界を超えてしまうのではないかと心配だったのだ。
「あら? クーウィリーさん、その服は……」
デュナが、やっとマーキュオリーさんの後ろに気付いたのか、声をかける。
彼女が羽織っていたのは、マーキュオリーさんと同じような濃紺のローブだった。
慌てて居住まいを正すと、クーウィリーさんは私達に今回のクエストのお詫びと感謝の言葉を述べる。
気持ちの入った言葉に、クーウィリーさんはやはりいい子なんだろうなと思う。
ちょっと、その、短絡的ではあるようだが。
ひととおりお礼を述べてから、彼女はデュナの質問に答えた。
「石を封印する姉の姿を見て、封印術師もかっこいい……いえいえ、封印術師の素晴しさに目覚めました!
召喚術師よりずっと儲かるって事もよくわかりましたし……」
何だか本音が建前から大幅にはみ出ている気もするが、結局、家を出て他の職についてみたものの、現実の壁の前に戻ってきたというところか。
やはり、短絡的ではあったが、姉であるマーキュオリーさんが嬉しそうに彼女を見ている姿に、それもいいかと思えてしまう。
実際の転職手続きにはもうしばらく時間がかかってしまうだろうが、今後、何か封印を必要とするときには、トランドに来れば安心そうだ。
この日はお屋敷に泊めてもらって、美味しい食事とふかふかのベッドで休ませてもらった。
翌朝、コックさんにも挨拶をしてから屋敷を出る。
マーキュオリーさんとクーウィリーさんは、城壁のところまで私達を送ってくれて、振り返るとまだ遠目に手を振ってくれている姿が見えた。
フォルテがようやく二人にも慣れたのか、せっせと手を振り返している。
その横にはスカイが、ちょっとだけ元気の無い様子で歩いている。
おそらく、朝からデュナに回復剤の請求書を突きつけられて、昨日貰ったクエスト報酬を早速天引きされていたせいだろう。
作品名:circulation【1話】赤い宝石 作家名:弓屋 晶都