狂宴の先
ガルグは闇の一族。古の時代に世界を破滅の恐怖に陥れた破壊者アルスによって生み出された、36人の不滅の使徒。
しかし彼らは女神シーヴァネアを崇めるシーヴァンの民によって、主とする破壊者アルスを封じられ、屈辱に甘んじることとなる。
永き雌伏が彼らに訪れる中、彼らは自らの棲み処であるガルグの里を形成し、外界、つまりシーヴァンの民の治めるこの世界の裏に根を張って、その暗部を手中に収めた。それもこれもすべては破壊者アルスを蘇らせんがため。
ガルグは他で得た全てを、その研究に注ぎこんでいた。
そこは実験動物たちに囲まれた、一室だった。部屋の中にはさまざまな研究資材や器具であふれていた。
スウェラはそれらの実験の器材の一つを手に取った。透明なガラスの筒の先に針がついたもの。背の押子を押すと、ガラスの中に入った泡立つ蛍光緑の液体が、針の先から一滴飛び散った。
キラキラと散る飛沫は美しい。それがこれから一体何を起こすだろうか。考えると益々胸が躍り、スウェラは思わずピンクの紅を引いた口の端を釣り上げる。
けれどその様は、スウェラの楽しみとは逆に、実験の対象には大きな恐怖を与えたようだった。
「これが一体何か、ご存知かしら?」
手にした器具を掲げ、その実験対象に視線を向ける。そこには、一人の男が実験台にくくりつけられていた。男は問いには答えず、全身に冷たい汗をにじませながら、スウェラの動作の一つ一つを睨みつける。
良い目だと、スウェラはそれを見て満足した。
彼女にとって実験と言うものは、研究の成果を試す場であると共に、被検体の苦痛や屈辱を楽しむための場でもあった。むしろ成果の乏しい、難易度の高い実験においてはそちらの方が主だとも言える。だからこそ、存分に楽しめるだろう素材を実験材料に、スウェラは好んで選んだ。そして、目の前にいる男は彼女の嗜虐心を満たすことに関しては、十分な素材であった。
「ふふ、素敵な貴方にはご褒美に、これが何か教えて差し上げますわ。これは、注射器と言うものなんですの。外の世界では見たこともないでしょうけれど、液体を生体に注入するための器具ですのよ。これを使って、貴方の体にこの薬を注入して差し上げますわ」
しかし、男にはそのスウェラの説明は理解できなかったのだろう。一層警戒を強めて、スウェラの行動を見張っている。
ああ、なんと外の男どもは無知で無能で愚かなのだろう。この程度のことも理解できないのだから。哀れですらあり、だからこそ逆に真実を突き付けた時にはもっと楽しめる。
逆に言うならばそう。今の状態だけではつまらない。理解できないのではやりがいがない。こうやって睨みつけてくるだけでは物足りない。もっと遊んでやらなければ。内心ほくそ笑みながら、スウェラは男を見降ろした。
「この薬がなんなのか、も説明して差し上げなくてはいけませんわね。これは、貴方の体を改造するための薬ですのよ。これを使えば貴方は人間の能力を大幅に超える力を手に入れることができるのですわ。まあ、成功すれば、の話ですけれど」
成功すれば、この男は貴重な成功例となることだろう。スウェラの長年の研究成果の結晶となり、スウェラは多くの者から称賛を浴びるだろう。しかしスウェラが今行おうとしている実験では、成功どころかこの被検体が無事生き伸びるかどうかすら、保証されることがない。
この実験はただ単に、失敗することで得られるデータを、次の試作品に活かすための実験。男は、そのための犠牲。
そもそも偉大な研究には犠牲は付き物。それにもともと人を人として思わないスウェラにとっては、たとえ失敗したとしても何のリスクもないものだった。
「だから安心なさい。たとえ失敗したとしても、貴方はとても美しい姿となって、偉大なる研究のために散ることができるのですから」
男の顔色が変わった。
その変容はスウェラを喜ばせる。人間と言うものは死を突きつけられれば恐怖する。それはどんな人間でも変わらない。それがスウェラにとっては楽しくて仕方がない。
「ふふ、あらその顔はなんですの? このわたくしの被検体に選ばれたことを感謝できないとでもおっしゃるの? でも、このままただの人として生きていても、ただのゴミとなっただけでしょうから。貴方は幸せですのよ?」
男はしかしスウェラの話などまったくもって聞いてはいなかった。青ざめ、憤り、拘束台から逃れようと激しくもがく。無駄なことだと言うのに、恐怖に駆られた人間というものは、なんと滑稽なことか。
スウェラは高笑いをして注射器を男の首にあてがった。それだけで男は暴れていたのをやめて、震え、怯えながら身をすくめた。
「どのように刺されたいですの? 一気に入れて差し上げようかしら? それともゆっくり?」
焦らすように軽く針の先で首筋をつつき、そして引き。そのたびに男の首はひきつって、喉仏は大きく上下する。だが、男はそれでも強靭な精神力を持っていたよう。
化け物め、呪われてしまえ。そう、スウェラの残虐性を逆に煽るような言葉を次々と吐きだしていく。
だが、一つだけ。男の吐いた言葉が彼女の癇に障った。
「貴様らガルグの思い通りになどなるものか! 必ず、必ずや女神シーヴァネアの鉄槌が下るだろう!!」
その言葉を叫んだ直後、男は目を見開いた。男の首がぎちぎちと嫌な音を立て、スウェラの白い華奢だった手には血管が浮き、男の首を締めあげていた。
「わたくしの前で、その名前を出さないでいただけますかしら?」
表情は穏やかさを保ったままにもかかわらず力は緩めない。男は無我夢中で首を縦に振ろうとする。
無知と言うものは哀れとすら言えるかもしれない。何を言っていいのか、悪いのか、それすらも分かってはいないのだから。
「そもそも、貴方の仮説は有り得ませんわ。わたくし達に鉄槌が下るのであればとっくの昔に下っているのではなくて? それができなかったのは、貴方がたの女神の方ではありませんの?」
スウェラは自信に満ちて言い放つ。
ガルグの一族があの女狐の一族に、劣るはずなどない。
ガルグは闇の一族。古の時代に世界を破滅の恐怖に陥れた破壊者アルスによって生み出された、36人の不滅の使徒。スウェラもその一族の一人であり、それらは今や世界の闇を覆い、人々の暮らす世界の裏に根を張る。その組織は他のどのような力も及ばぬところにあり、謎に包まれながら世界を支配していた。たとえ女神であろうが皇帝であろうがガルグの存在を脅かすことは、もはや不可能であった。
今こうしてスウェラが男を片手でくびり殺そうとすることができるのも、その証。この男も元はどこぞの国の騎士だったと言う。しかしその国もこの男をガルグに売り渡した。この男がいくら叫ぼうがわめこうが、ガルグが存在する限り、救済などあるはずもない。あるのは、ガルグの手による絶望のみ。
「分かったらよろしくて? 興が醒めましたわ。さっさと、楽しませてくださいますかしら?」
男の首が潰れるかという寸前で、スウェラはその手を離した。男は急に入りこんできた空気に咳こむことにすら、苦しみ悶える。
しかし彼らは女神シーヴァネアを崇めるシーヴァンの民によって、主とする破壊者アルスを封じられ、屈辱に甘んじることとなる。
永き雌伏が彼らに訪れる中、彼らは自らの棲み処であるガルグの里を形成し、外界、つまりシーヴァンの民の治めるこの世界の裏に根を張って、その暗部を手中に収めた。それもこれもすべては破壊者アルスを蘇らせんがため。
ガルグは他で得た全てを、その研究に注ぎこんでいた。
そこは実験動物たちに囲まれた、一室だった。部屋の中にはさまざまな研究資材や器具であふれていた。
スウェラはそれらの実験の器材の一つを手に取った。透明なガラスの筒の先に針がついたもの。背の押子を押すと、ガラスの中に入った泡立つ蛍光緑の液体が、針の先から一滴飛び散った。
キラキラと散る飛沫は美しい。それがこれから一体何を起こすだろうか。考えると益々胸が躍り、スウェラは思わずピンクの紅を引いた口の端を釣り上げる。
けれどその様は、スウェラの楽しみとは逆に、実験の対象には大きな恐怖を与えたようだった。
「これが一体何か、ご存知かしら?」
手にした器具を掲げ、その実験対象に視線を向ける。そこには、一人の男が実験台にくくりつけられていた。男は問いには答えず、全身に冷たい汗をにじませながら、スウェラの動作の一つ一つを睨みつける。
良い目だと、スウェラはそれを見て満足した。
彼女にとって実験と言うものは、研究の成果を試す場であると共に、被検体の苦痛や屈辱を楽しむための場でもあった。むしろ成果の乏しい、難易度の高い実験においてはそちらの方が主だとも言える。だからこそ、存分に楽しめるだろう素材を実験材料に、スウェラは好んで選んだ。そして、目の前にいる男は彼女の嗜虐心を満たすことに関しては、十分な素材であった。
「ふふ、素敵な貴方にはご褒美に、これが何か教えて差し上げますわ。これは、注射器と言うものなんですの。外の世界では見たこともないでしょうけれど、液体を生体に注入するための器具ですのよ。これを使って、貴方の体にこの薬を注入して差し上げますわ」
しかし、男にはそのスウェラの説明は理解できなかったのだろう。一層警戒を強めて、スウェラの行動を見張っている。
ああ、なんと外の男どもは無知で無能で愚かなのだろう。この程度のことも理解できないのだから。哀れですらあり、だからこそ逆に真実を突き付けた時にはもっと楽しめる。
逆に言うならばそう。今の状態だけではつまらない。理解できないのではやりがいがない。こうやって睨みつけてくるだけでは物足りない。もっと遊んでやらなければ。内心ほくそ笑みながら、スウェラは男を見降ろした。
「この薬がなんなのか、も説明して差し上げなくてはいけませんわね。これは、貴方の体を改造するための薬ですのよ。これを使えば貴方は人間の能力を大幅に超える力を手に入れることができるのですわ。まあ、成功すれば、の話ですけれど」
成功すれば、この男は貴重な成功例となることだろう。スウェラの長年の研究成果の結晶となり、スウェラは多くの者から称賛を浴びるだろう。しかしスウェラが今行おうとしている実験では、成功どころかこの被検体が無事生き伸びるかどうかすら、保証されることがない。
この実験はただ単に、失敗することで得られるデータを、次の試作品に活かすための実験。男は、そのための犠牲。
そもそも偉大な研究には犠牲は付き物。それにもともと人を人として思わないスウェラにとっては、たとえ失敗したとしても何のリスクもないものだった。
「だから安心なさい。たとえ失敗したとしても、貴方はとても美しい姿となって、偉大なる研究のために散ることができるのですから」
男の顔色が変わった。
その変容はスウェラを喜ばせる。人間と言うものは死を突きつけられれば恐怖する。それはどんな人間でも変わらない。それがスウェラにとっては楽しくて仕方がない。
「ふふ、あらその顔はなんですの? このわたくしの被検体に選ばれたことを感謝できないとでもおっしゃるの? でも、このままただの人として生きていても、ただのゴミとなっただけでしょうから。貴方は幸せですのよ?」
男はしかしスウェラの話などまったくもって聞いてはいなかった。青ざめ、憤り、拘束台から逃れようと激しくもがく。無駄なことだと言うのに、恐怖に駆られた人間というものは、なんと滑稽なことか。
スウェラは高笑いをして注射器を男の首にあてがった。それだけで男は暴れていたのをやめて、震え、怯えながら身をすくめた。
「どのように刺されたいですの? 一気に入れて差し上げようかしら? それともゆっくり?」
焦らすように軽く針の先で首筋をつつき、そして引き。そのたびに男の首はひきつって、喉仏は大きく上下する。だが、男はそれでも強靭な精神力を持っていたよう。
化け物め、呪われてしまえ。そう、スウェラの残虐性を逆に煽るような言葉を次々と吐きだしていく。
だが、一つだけ。男の吐いた言葉が彼女の癇に障った。
「貴様らガルグの思い通りになどなるものか! 必ず、必ずや女神シーヴァネアの鉄槌が下るだろう!!」
その言葉を叫んだ直後、男は目を見開いた。男の首がぎちぎちと嫌な音を立て、スウェラの白い華奢だった手には血管が浮き、男の首を締めあげていた。
「わたくしの前で、その名前を出さないでいただけますかしら?」
表情は穏やかさを保ったままにもかかわらず力は緩めない。男は無我夢中で首を縦に振ろうとする。
無知と言うものは哀れとすら言えるかもしれない。何を言っていいのか、悪いのか、それすらも分かってはいないのだから。
「そもそも、貴方の仮説は有り得ませんわ。わたくし達に鉄槌が下るのであればとっくの昔に下っているのではなくて? それができなかったのは、貴方がたの女神の方ではありませんの?」
スウェラは自信に満ちて言い放つ。
ガルグの一族があの女狐の一族に、劣るはずなどない。
ガルグは闇の一族。古の時代に世界を破滅の恐怖に陥れた破壊者アルスによって生み出された、36人の不滅の使徒。スウェラもその一族の一人であり、それらは今や世界の闇を覆い、人々の暮らす世界の裏に根を張る。その組織は他のどのような力も及ばぬところにあり、謎に包まれながら世界を支配していた。たとえ女神であろうが皇帝であろうがガルグの存在を脅かすことは、もはや不可能であった。
今こうしてスウェラが男を片手でくびり殺そうとすることができるのも、その証。この男も元はどこぞの国の騎士だったと言う。しかしその国もこの男をガルグに売り渡した。この男がいくら叫ぼうがわめこうが、ガルグが存在する限り、救済などあるはずもない。あるのは、ガルグの手による絶望のみ。
「分かったらよろしくて? 興が醒めましたわ。さっさと、楽しませてくださいますかしら?」
男の首が潰れるかという寸前で、スウェラはその手を離した。男は急に入りこんできた空気に咳こむことにすら、苦しみ悶える。