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三毛で化な、彼女(ねこ)

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年を経て猫は、化猫へと変化する。尾が二つに割れて、次いで二本足で立ち、手ぬぐいを頭に踊るとも、夜な夜な油を舐めるとも言われている。
けれども、実際はどうなのかと言われれば、今日び、そのような古典的な行動をする化猫などいないし、それは人の作りだした勝手な想像なのだ。
それでは、どのくらい歳を重ねれば化猫になれるかというと、遠く江戸時代には、二十の歳月を重ねれば簡単に化猫になれたのが、猫も杓子もご長寿のこの現代。
そうも簡単に化猫になれては、そこいらに化猫が溢れてしまう。化猫とはそのように掃いて捨てる程はいない、希有な存在であるべきで。かつて人がバブルの時代と言っていたあの頃は、人様の太っ腹にあやかり、猫のご飯もそれはもう、モンでプチなる缶詰などをたらふく御馳走になり、栄養のついた太っ腹で、長く生きた猫もそこそこいたのだ。
しかし、不景気ではそうもいかないのは、渡る世間は鬼ばかり、だからなのか。猫に与えられる食事も、ただの安い外国産のカリカリが関の山だった。それでも食事が貰えた猫はまだいい方で、人から餌を貰わずに、自力で生きる野良の猫の悲惨な事。
ゴミ箱を漁っても、安価で不味いカリカリどころか、生ゴミしか食べられないひもじい食生活で。野良猫は総じて短命のまま、死ぬ事がほとんどだ。けれどもその野良から歳を経て化猫になると、その野良出身の化猫は、ひ弱な飼い猫出身の化猫よりも、力を持つ事が多い。
そう、野生の日々は何も空腹感を与えるだけではなく、自由も、そしてそれ以上に化猫としての妖力も与えてくれるもの。そしてその妖力を持って、化猫を統べる主になるのも、大抵は野良出身の化猫だったのだ。

「……」
ここに鈴の転がるような声で鳴く、可憐な三毛猫の雌が一匹、路地裏の塀の上で箱座りしている。目鼻立ちの整った、それはもう雄も放っておかない程の、美猫であるのだが、その可憐な三毛の容姿に似合わず、こんな屋外で余裕の箱座りをしてくつろいでいる。
「……」
そもそも、猫の箱座りとは、外敵がいない、その猫にとって安心できる所でしか、とってはならないポーズであり。万が一、外敵が襲ってきた場合、胸の下に折りたたんだ手足では、手も足も出ないまま、襲われるだろう、無防備な座り方で。
「……」
けれども、その三毛の雌猫は目を糸のように細めながら、その無防備極まりない箱座りをしながら、意識は夢の中へと飛ばしているのだ。その隙を狙い、一匹の厳ついゴマ猫が、今まさに縄張りを護ろうと、その三毛猫へと殺気を漲らせながら、近づいてきていた。
けれども、三毛猫はそれに気付いてか、気付いていないか、まだ夢の中で。一撃で追い払おうと、ゴマ猫がついに勢いよく三毛猫へ向かって走り出した。そして渾身の猫パンチで一撃でしとめる、はずだった。
眠る三毛猫の急所である、目に直撃するはずだったその一撃は、けれども届くことなく、空振りに終わった。そしていつの間に背後をとったのだろう、ゴマ猫の後ろには殺気を漲らせた三毛猫がいた。
そして、その三毛猫は猫の可愛らしい、にゃー、という鳴き声ではなく、人の言葉でゴマ猫へと語りかけた。
「……ゴマの毛皮を持つ雄よ。何ゆえ私に牙を剥く?」
猫が人の言葉を話す。その異様な光景にゴマ猫は本能的に死を察したのだった。背後をとる三毛猫の雌は、もはや猫ではない。今にも死をもたらす、化猫だ、と。
「私がお前の縄張りに入ったから、か? ふむ……ならば」
三毛猫の殺気が膨らんだ。今や背後の死が刻々と近づいているのを、ゴマ猫は、もはや諦めの境地で待つのみで。
「私に仇なす、その愚かさを悔いるがいい!」
そしてゴマ猫にその死が訪れた、はずだった。
「だから……悔いて、生きよ。ずっと、長く長く……私程の化猫になり、再び見える事を楽しみにしている、我が同胞となれ、ただの猫よ」
ゴマ猫の背後から、強烈な死の気配は消え去った。いつの間にか、三毛猫は背後から空気に溶け込むように消えていた。ただ野生の本能として縄張りを侵していた三毛猫を襲おうとしたゴマ猫にとっては、それは長い時間に感じたかもしれない。けれども、ゴマ猫には化猫から死は与えられなかったのだ。
ゴマ猫は首を傾げた。けれども、気まぐれな猫の事。今、一瞬会っただけの化猫よりも、まずは餌を探す事の方がよほど大事で。ゴマ猫は路地裏を駆け、餌となるねずみを探しに去っていった。

さて、化猫である三毛猫は、どこへと消えたのかといえば、実は足を滑らせて、塀の下に落ちただけだった。
「……いたた……久しぶりにカッコつけて決め台詞を言った先が、この様かよ!? それに牙を剥くって……猫パンチだろ? むしろ、爪を剥いただろ!!」
自分ツッコミである。誰にも見られていない、けれども誰もいないからこそ、自分で自分をツッコまないと、恥ずかしくていたたまれないのだ。カッコよすぎる決め台詞も、塀から落下した事も、黒歴史となって彼女の記憶に刻まれたのだ。
「〝再び見える事を楽しみにしている、我が同胞よ〟ってね。本当……いつか同じ化猫になって、私と言葉を、交わしてよ……」
この雌の三毛猫は、遠い昔に化猫となった。そして、人の言葉を得ると同時に、猫の言葉を失った。そして、人の言葉を話す様になった三毛猫は、いや、人の言葉を話す〝彼女〟と同じ言葉を話せる人は、今やいない。
それも遠い昔、天災、戦争、飢饉、あらゆる災いが人をこの地球から滅ぼしたのだ。けれども、もはや交わす事の出来ない人の言葉を捨てても、彼女にはもう、猫の言葉を話す事も聞く事も出来ない。人の言葉を得た彼女にとっての猫の言葉は、ただ、にゃーという鳴き声に聞えるのみで。
そういう意味では、彼女はもはや猫ではなく、まして化猫でもなく、人でもなく。自身が何者であるのかわからないまま、ただ、彼女は言葉の通じる同胞である、化猫を求めるのだ。
けれども、人の滅びた世では、猫にとっての餌となる食べ物もまた消えたも同然で。人が作りし猫缶も、カリカリも、もう永遠に食べる事は出来ない。あんなに不味いと罵っていた安価なカリカリすら、今や懐かしき味であり。
そして、満足に食べられない猫は、ねずみなどを狩る事によって、命をかろうじて永らえているのだ。その過酷な日々は、猫には短命の呪いとなって降りかかる。長く生きられない猫は、もはや化猫になる事もないだろう。
けれども彼女は探すのだ、自身と同じ化猫を。そしてただ、語りたいのだ。同じく人の言葉を得た化猫と、人の言葉でもって会話すれば、自身の存在意義もまた見出せるのだろうと。
だから彼女は人の滅びた町をひたすらに旅する。いつか言葉の通じる化猫にめぐり合うかもしれないと、ひたすらに独り言をつぶやきながら、ひたすらに歩く。歩いて歩いて、その先にいるだろう同胞を信じて。
「それにしても、お腹減った……」
三毛の彼女のお腹が、グーと盛大に辺りに空腹を訴えた。それは彼女の悲しい境遇とは裏腹に、なんとも間抜けな音だった。
作品名:三毛で化な、彼女(ねこ) 作家名:しぃ