彼女
彼女は誰とでもすぐに仲良くなった。
みんなが彼女を取り囲んで、彼女も自分が話しかけることで嫌がる人がいないことを知っていて、にこにこと誰にでも無防備に話しかけていくから、また彼女はどんどん人に囲まれていった。どんどんどんどんどんどんどんどん。人は彼女を取り囲んだ。彼女はくるくる笑っていた。彼女の携帯に入っているアドレスは俺なんかじゃ追いつかないくらいたくさんだった。たくさん、たくさん。たくさんの人が登録されていて、でも、夜、ぽっつりと一人で立っている部屋の中、さみしい、と電話できる相手はいなかった。彼女は笑っていなくっちゃいけなかった。
安っぽいピンク。安っぽいキャラクター。安っぽいビーズ。安っぽい匂いのついた消しゴム。安っぽい歌。安っぽいバラエティー番組。
彼女はそういうものをすべて愛していて、ふわふわと、夢見がちで、汚いものは一切見なかった。
例えば、彼女の愛するそのキャラクターの大本のデザイナーはもう死去している。その著作権や利権を巡って親族とキャラクター企業が何億という終わりの見えない泥沼の裁判を繰り返していることや、著作権の延長の為に膨大な金を使っている事なんて彼女は知りやしない。ただそのネズミやアヒルが歌って踊って可愛い服を来て笑っていればそれで良かった。彼女はいつも見えるものしか知らない。
ピンク色のストロベリームースを吐き出す彼女の背中を見る。あんなにそっくりだったのに、あんなによく間違われたのに、あんなに同じだったのに、彼女はもう俺とはまるで違う。何もかもが違う。いいや、最初っから違ったんだ。
「吐くくらいなら止めたら良いのに。ケーキバイキングなんて」
「五月蝿い。アンタに迷惑かけてない」
吐寫物と一緒に吐き出されたような声は掠れていて、いつもの甘ったるさがなくて、まるで老婆のようだった。
彼女…俺の双子の姉は昼間あの華やかな薄っぺらい友人たちを引き連れてケーキバイキングに行っていた。きらきらとした彼女のブログに可愛い友達と可愛い店で可愛いケーキを食べている写真をアップしなくっちゃいけなかった。それからあさってはお洒落なジャズバーでデートをしなくっちゃいけない。それに可愛い服屋さんでのバイトにも行かなくっちゃいけないし、流行のデトックスにも行く。おしゃれな雑誌みたいな毎日を過ごさなくっちゃいけない、というのは彼女にとってはもはや絶対に守らなくっちゃいけない法律だった。馬鹿らしい、と思っていたのも最初だけで、今はもう哀れみばかりが込み上げる。
ねえさん、振り返ってみなよ。周りを見てみなよ。もう俺たち以外何もないんだよ。
彼女が強迫観念すら覚えるほどお洒落で可愛い生活を死守しようとしたのは、両親が離婚してからだ。彼女は普通の、お洒落で可愛い女の子でいなくっちゃいけなかった。だから離婚なんて難しいことは駄目だった。パーフェクトな家族が必要だった。それを完成させるには彼女の努力だけでは到底不可能で、それでも彼女はそこにしがみ付いている。俺達を引き取った父さんはきっと若いガールフレンドと一緒にいる。姉さんが流行りのブランドを買いあされる位、俺が大学でぶらぶらやっていられる位には金は振り込まれている。でも滅多に“家族”は揃わない。台所ではカップ麺やしなびた野菜や汚れた食器が重なりその上を小バエが飛んでいる。無秩序なスラム街の様な家。
かわいそうな姉さん。
ベッと便器に唾を吐いて口を拭った姉さんの背中にしがみ付く。
かわいそうな姉さん。流行のスカートを履かなくっちゃいけないから、痩せていなくっちゃいけない。だから吐き続ける姉さん。――――――かわいそうな、俺の半身。
振り返った姉さんの目は覚めていて、品定めするような冷たい目が無機物でも見るように上下する。長い睫毛が揺れる。冷めた目が笑う。
「あんた、あたしん事見下してるんでしょ。知ってるんだから。全部全部全部、あたし、知ってるんだから」
姉さんが美しい顔で嘲笑して、そのまま俺は姉さんの額にキスをした。