向こうの日
天井をぼんやり見つめ今から始まる一日、なにもないことに静かに絶望した。
お腹がすいた、何か食べよう。
インスタントのスープを作りながらふとキッチンに置いてある卓上のカレンダーを見て違和感を覚える。
忘れていた。
閃いてスープをかきこむと家を後にした。
これまでの日々において、意識してたくさんの経験をしてきたつもりでいる。今もまだ、なぜか焦っているし、平凡な生活では満たされない。
自転車を漕ぐ。少し肌寒い朝の空気が身に染みた。道行く人は皆軽い上着を着てさくさく歩いている。この特別な日を、街はいつもと変わらない。
信号を待っていると、小さな子どもがまるい目をしてこちらを見ている。その瞳に小さく手を振る笑顔がうつった。
きっかけはなんでもかまわない。思いついたときがきっかけなのだ。
自転車を漕いで今はもう遠いあの街に向かう。
時計は昼十二時を少し回ったところ、間に合うだろうか。
幼い頃から母と二人暮らしだったのだが、ある時を機に、壊れていった母に、精神をまいってしまった私は手紙を残して家を出て行った。
それからずっと、今でも母への怒りは付きまとっている。
何もできなかったあの頃の反動で、家を出てからの私は出来るだけ欲望を開放した。色んなものを見て、色んなものを聞き、色んなものを食べ、まだまだしたいことはたくさんある。
それでもどこかで心配だったのだ。一年に一度、母の誕生日が来ると公衆電話から母の低い声を聞いては何も言えず、切るのだった。
長い長い堤防沿いを加速する。時間を戻していくような、不思議な清々しさを感じる。
あれから四年の月日が経つ。延々と続くまっすぐな道に、これまでの日々を重ね合わせた。
途中のコンビニでお茶とおにぎりを買って休憩する。三時前、不思議とまだ疲れはない。四年前はまだまだだ。少し暑い。
私にとって人の魅力とは言葉でも形でもない。今まで誰に出会ってもその人しか纏わない空気を感じていた。それがその人の魅力なのだろう。だからこそ貶すという行為は許せない。貶される人にも貶す人にも、同じように魅力があることがもどかしい。
私は母と険悪になってからも、ふとした時に母に魅力を感じたものだ。
それでも私には母が理解できなかった。私たちは親子だということも忘れ、お互いを貶し合った。
見覚えのある建物、懐かしさが通り抜ける。少し疲れた。
家を出てからというもの、私は離れた場所にアパートを借り、近所の老人ホームで働いて生計を立てている。家を出てしまった関係で高校を退学したので、職を探すのは困難だったが、知り合いの紹介で今の職場に落ち着いた。
職場のおばさんたちはとても良心的でよく煮物なんかを分けてくれるのでありがたい。私はここに来て幸せだ。きっとこれでよかったのだ。
午後七時を回り、通りかかった小さなレストランで夕飯を済ませた。
思いのほか疲れていた。睡魔が襲う。
去年の冬、風の噂で母が引っ越したことを知った。どこに越したのかは分らない。知らなくていい、これが私たちの親子の形なのだとそう思えるようになっていた。
母もきっとこれでよかったといつか思うに違いない。もしくはもう思っているかもしれない。どちらにせよ、もっと昔の良き思い出に出会う瞬間が私は好きだ。だから、きっとこれでよかったのだ。
引っ越しの噂を聞いた時から、今日、この街に来ることを決めていた。
午後九時、小さなあの家にたどり着いた。あまりに早く着いたので驚いた。遠ざけたのは、まぎれもなく私だ。
茶色い外壁を見ながら、思い出の中であの狭いキッチンにいる。懐かしくて少し胸が苦しい。
今は誰も住んでいない。家の中はきっとまだ母の匂いがするのだろう。
感情は、次から次へ溢れて私を動けなくした。
この気持ちは、これからへ持って帰ろう。
色んなものを抱えてふらふらと帰路につく。
暗く静かに伸びる街道、車が数分に一度通るだろうか。
自転車と私は見えない道を加速する。
――午前零時
私は今日で二十歳になる。