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遼州戦記 播州愚連隊

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「単純に考えようや、どうせ胡州の首相は一人しか椅子が無い。そこに今烏丸頼盛言う人が座っとるが、それより実力のある西園寺基義言う人がそこに座りたいと思っとる。ならどうなる?」 
 明石は噛んで含めるように魚住に言った。そしてしばらく考えた後、魚住は明らかに沈痛な面持ちへとその表情を変えた。
「今は無理だな……と言うかどちらも動けないだろう。保科家春と言う御仁がいる。西園寺派でも醍醐さん陸軍の一派は前の大戦の休戦協定で助けられた恩がある。さらに問題なのは大河内家の被官連だ。大河内卿が療養中の今、事を起こしても足並みがそろわないことになりかねない」 
 別所の言葉にじっと耳を澄ます黒田。部屋の雰囲気が暗くなる。すでに明石達が政治に口を出せばろくなことにはならないと自覚していた。だが黙っていることができるほどおとなしくはなれないと思うと明石は禿げ頭を叩く。
「保科家春。面白そうな爺さんやのう。いつ喧嘩を始めるか分からん切れ者二人を黙らせる。大した御仁なんやな」 
 そう言って笑う明石を見て、不意に別所の顔がまじめになった。
「それなら会って見るか?」 
 突然の話に魚住が噴出す。しばらく咳き込み動けなくなる彼の背中を明石がさすった。
「なんでそうなる!枢密院議長だぞ!相手は。そんな急に……」 
「別に今すぐ会うなんて言ってないぞ。ただ、赤松の親父のコネを使えば会えないことも無いという話だ。まあじっくり部屋でも借りてとは行かないだろうがな」 
 そう言って別所は酒を口に含むようにして進めた。
「問題の本質を知っていそうな人間に会う。それええなあ。うん、実にええことや」 
 明石はひざを叩きながら頷く。その笑顔に触発されたように黒田も珍しくコップのそこに少しだけたらした酒を舐めた。そしてすぐに顔が赤くなる様は非常に滑稽で今度は明石が酒を噴出しそうになった。
「いつ頃会える?出来ればワシ等四人で会うのが一番なんやけど」 
「そう急くな。あの方もなかなかお忙しい方だ。明日で枢密院の通常会議は閉会だ。その後は陸軍関係の視察の予定が入っていたはずだから……その後は、どれも私的な勉強会か。保科さんらしいな」 
 胸のポケットから取り出した携帯端末をにらむ別所。
「おい、はじめからそれが狙いか?俺達を誘ってお偉いさんに意見する。まあ楽しみって言えば楽しみだけどな」 
 魚住の言葉を無視して端末のモニターをいじる別所。
「辞めとけ。昔からコイツはひねくれとった。いつだって勝負球はこちらの読みの裏をかいてくる」
 そう言う明石を情けない目で見つめる別所。だが、明石は自分の口に笑みが浮かんでいるのを自覚していた。
「そうだな、来週の金曜の午後は海軍省の視察だそうだ。そこで非公式な懇談会が催されると言う話だからそのときに良い席を取るように手配しとくか」 
 別所の手配の早さに舌を巻きながら見つめる明石。赤ら顔の黒田を見るとつい面白くなってそのグラスに酒を注いでしまった。
「それじゃあ、今日は飲むか!」 
 そう言って一升瓶に手を伸ばす別所を見て明石は立ち上がった。
「どうした?便所か?」 
 魚住の言葉に首を振る。
「つまみが欲しいなあ思うてな。ちと貴子さんに頼んでくるわ……!って」 
 部屋の戸を開けるとそこには少女が立っていた。手にした盆にはエイヒレと四つの酢の物の小鉢が入っている。それは赤松邸のマスコットである赤松直満だった。
「お嬢。気いきくやないか」 
「お母様が持っていけって」 
 赤松直満はにっこりと笑うと巨漢の明石に盆を渡した。
「有難うな!お嬢さん!」 
 魚住が叫ぶのを聞くと顔を赤らめて直満は廊下を走って消えていった。
「つまみもある。酒もある。じゃあ飲むしかないな」 
 そんな別所の言葉に三人は頷くとそれぞれ自分の小鉢と皿に手を伸ばした。



 動乱群像録 5


 胡州帝国海軍省の地下の会議室。主に爆撃などに備えてのシェルターの機能も兼ねているこの部屋に集まった若手の将校達の顔ぶれに明石は圧倒されていた。
 西園寺派でもその側近の赤松准将の直属の部下であると言うことで、明石達はこの『私的な』と冠されているがどう見ても政治的な色に染まりそうな会議の演壇の前、最前列に陣取ることが出来た。海軍では勢いの無い烏丸派は入り口のあたりで席にあぶれて、立ったままこの胡州の重鎮の言葉を聞こうと背伸びまでしていた。
「おう、ずいぶんと元気なのがいるじゃないか」 
 決して狭くは無い会議室に現れた白髪の老紳士は熱気で蒸し暑さすら感じる会議室を見渡すとその小柄な体に似合わない大声を響かせた。下座で拍手が起きると、それは次第に伝染して部屋を覆いつくした。
「お、福原寺の坊主がいるのか?どうした、今日は俺の通夜でもやるのか?」 
 明石の剃り上げられた頭を見て老紳士、保科家春一代公爵は高らかに独特の濁りがある声で笑う。周りのSPが明石をにらみつけているのを見て、明石は少しばかり緊張するのを感じていた。
「静粛にしたまえ!」 
 ざわめく若手の海軍将校達を前に一人の海軍准将の襟章が目に付く狐目の男が叫んだ。明石は周りの士官達を眺めてみた。明らかに明石の周りの西園寺派の士官達はその海軍准将、清原和人(きよはらかずと)参謀局次長を敵意の目で見ているのが分かった。
 保科家春の海軍での活動をすべて掌握していると言うこの高級将校の噂は明石も聞いていた。どちらかと言えば事務屋として定評のある清原准将は前線を支える指揮官の進路に進む将校には甚だ評判が悪かった。先の大戦で保科内閣による休戦条約締結までの物資管理を徹底して休戦まで戦線を維持できる補給計画の立案を行うなど、切れ者であることは誰もが認めたが、その才能を鼻にかけた人柄は海軍幹部からも疎まれるところがあった。
 席についてマイクを握ろうとする保科の前に置かれた水をコップに注ぎ差し出す清原。
「まるで、召使だな」 
 明石の隣に座っていた魚住がわざと壇上の保科と清原に聞こえるように叫ぶ。西園寺派の将校達が失笑を清原に与える。だが、まるで気にする風でもなく清原はそのままSP達の後ろに陣取って会議室に顔をそろえている若手の海軍将校達をにらみつけた。その切れ長の目ににらまれて、それまで笑っていた士官達が沈黙する。
「どうやら、この部屋には人を見た目で判断する人間がいるようだな。実に残念だ」 
 保科の第一声に後ろの立見席から拍手が起きる。前列に陣取る西園寺派の士官達がその拍手の方を振り返るのを見て保科は興味深げに台に立ててあったマイクを手に取り話を続けた。
「諸君の苦心については私も理解しているつもりだ。兵士の士気は下がるばかり、装備や装備は老朽化し、そして自分の給料も上がる見込みが無い。まあ、私も給金は今年も国庫に返上になりそうだがな」 
 その言葉に会議室の中央から後ろの士官達が拍手をする。大河内派と嵯峨派の士官も当然この議場には入場しているはずで、明石はこの状況を楽しむようにして壇上から見下ろしている小男がどういう持論を展開するのか確かめようとその大きな目玉で演台の上を見据えていた。
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直