遼州戦記 播州愚連隊
帝都奪還を狙う醍醐派の動きはすばやかった。篭城を続けていた近衛師団は郊外3キロまで近づいた醍醐の指揮する部隊に呼応するように攻勢に転じた。頑強に抵抗を続ける官派の部隊もあったが大半は宇宙での敗戦で戦意を喪失して投降し、戦闘は局地的なものにとどまっていた。
「閣下!」
近衛師団に銃声が響いてから二時間。突入部隊に同行していた醍醐はそのまま近衛師団に合流し、ハンガーで敷いた畳の上で茶をたてている西園寺基義首相に頭を下げた。そしてその正面に本来ここにいるはずの無い茶人の姿を見かけて驚愕を受けた。
「驚くこと無いんじゃないですか?急いで来たんですから。のんびりさせてくださいよ」
そう言って醍醐に茶碗を向けるのは主君である嵯峨惟基。現遼南帝国皇帝の姿だった。
「暇なんですか?御前は」
「ひどいこと言うねえ……忙しいですよ、俺は。体が一つじゃ足りないから今は同時に遼北での山岳民族隔離政策に対する抗議文を東都で読んでいるころですよ」
「影武者ですか」
着ているのは遼南軍大元帥の略章付きの軍服。恐らくは彼が個人的に保持していると言う法術対応アサルト・モジュール『カネミツ』を使って到着したのだろう。理由が分かると安心して醍醐は畳の縁に腰を下ろした。
「烏丸さんは抑えたのか?」
黙って茶を飲んでいた西園寺がつぶやく。
「首相府は制圧しましたが陸軍省と警視庁に反乱軍が立てこもっています。しばらくは時間がかかるかもしれませんね」
「そうか」
それだけ言うといつもの饒舌さを忘れられるほどに静かに西園寺は茶を啜った。
「庶民院の議員の半数が殺害されたそうだ。建て直しには時間がかかりそうだな」
「生き残った連中も今度の件で拘留されるでしょ……どうします?今後の対応」
「それは皇帝陛下の一存で決まるんじゃないですか?わが国も遼州帝国の剣と呼ばれた国ですから」
皮肉るように弟を見つめる西園寺。嵯峨は一本取られたと言うように頭を掻いた。
「そりゃあ建前でしょ。俺だってせいぜい聞こえのいい演説するくらいしかできませんよ」
「そういう割にはきっちり清原さんの艦隊の戦闘艦を沈めたそうじゃないか」
「やっぱりばれますかね」
そう言って舌を出す姿は醍醐から見てもかつての悪童のままの姿だった。
「それより兄の処遇ですが……」
「醍醐さん。今はそれより治安の回復が必要なんじゃないですか?今だって叛乱部隊が下町になだれ込んだりしたらめちゃくちゃになりますよ。そこら辺の指揮もきっちりしてもらわないと」
そう言うと嵯峨はのんびりとタバコを取り出して火をつけた。
「おい、新三(しんざ)。俺にもよこせ」
「兄さんは吸わないんじゃなかった……」
「たまにはそういう気分になるんだよ」
西園寺はそう言うと弟からタバコを一本受け取る。そしてそのままライターをかざす嵯峨から火を受け取る。
「どうです?醍醐さんも」
そう言った嵯峨の言葉に軽く首を振った。
「さてどうなることか……とりあえず烏丸さんが無事に見つかるといいんだけどね」
嵯峨の何気ない言葉にしばらく場が沈黙した。誇り高い貴族の烏丸頼盛がこの情勢で生きていることはあまり考えられないことだった。
「誰も彼も死にいくみたいだな」
「悪党ばかりが生き延びる。世の中なんてそんなもんでしょ」
つぶやく兄を見ながら嵯峨は平然とタバコをくゆらせていた。
動乱群像録 84
「烏丸はんは自決されたか……」
明石はのんびり自分用の通信端末の画面を開いてコーヒーを啜っていた。すでに残党部隊もほぼ投降し、アステロイドベルトは穏やかさを取り戻しつつあった。こうしてのんびりと自室でくつろぐのも明石には新鮮に覚えた。
その時扉をノックする音が響く。
「開いとるよー」
間抜けな明石の声を聞くと現れたのは別所だった。難しい顔をしながらベッドに座って端末を見ている明石に笑いかける。
「ほんまに笑顔の似合わんやっちゃな」
「余計なお世話だ」
そう言うと別所は明石の見ている画面を覗きこんだ。
「胡州本星も一件落着か」
「そないに簡単に行くと……」
「思っちゃいないよ」
別所は苦笑いを浮かべながら明石の執務机の椅子に腰掛ける。
「清原候は濃州で銃殺。安東大佐は部下の秋田さんに裏切られて自決。そして烏丸公も……」
別所の言葉に明石は諦めたように端末のスイッチを切った。死には慣れていた明石だった。人間魚雷を搭載した輸送艦で出撃を待つ日々にも次々と戦友は消えていった。その後、芸州で闇屋を始めたときもつまらない理由のトラブルや横領品の奪い合いで同業者があっさりと殺されるなんてこともよくある話だった。
そして今、軍人としてかつて戦うことを想定もしていなかった内戦を戦って見せた。
「こないにたくさん人が死んで……誰が得する言うんやろな。ほんま人死にはええ加減飽きたところや言うのに」
「これからも出てくるぜ……西園寺さんが天下を取っても特に変わることなんてないからな。すぐに民衆に飽きられてまた軍部が台頭するだろうな。結局人間なんてそんなもんだよ……悲しいけどな」
別所が即答するのに明石は驚いて目を向けた。自分などよりははるかに艦隊司令赤松忠満の覚えが高く色々と動き回っていると言う噂の別所の言葉だけに重みがあった。
「そら……面倒やな」
「なあに。面倒ごとを処理する為にこの世はあるのさ。面倒ごとがなくなったら人間の存在理由なんてなくなるんだ」
奇妙な詭弁を弄する別所に諦めたような表情で明石は剃りあげられた頭を掻いていた。
動乱群像録 85
「これを託されました」
正親町三条楓は目の前の安東恭子に彼女の兄、赤松忠満からの手紙を手渡した。沈黙する二人。そして恭子は静かに震える手で手紙を開いた。
たまに屋敷の外では銃声が響いていた。ほとんどの政府機関は西園寺派の兵士、通称『民派』が制圧していたがいまだ烏丸派の『官派』の部隊による抵抗が続いていた。近衛師団の基地から車両を借りてこの安東邸までの間。三回ほど銃撃戦に巻き込まれるのを恐れて大回りをしたことを覚えている。
「すみません……あの人が……貞盛さんが死んだと言うのは……」
途中まで読んだところで顔を上げた恭子の白い顔に楓はどきりとした。それはまるで生ける屍だった。元々あまり気丈では無いとは聞いていた。鬱屈したようにいつも下ばかり向いていて心配だと楓は父の嵯峨惟基から彼女については聞かされていた。
「秋田大佐の叛乱で追い詰められて自決したらしいです」
ごまかすことはできない。楓はそう決意して事実を告げた。その時に表情が崩れて泣き出す恭子を想像していたが目の前の恭子はただ口を一文字に結んで手紙に目を戻しただけだった。
母屋から離れた別宅。まるで籠の鳥のようだ。楓はそう思いながら座椅子にもたれかかり手紙を読む恭子を見つめていた。
「言い訳……こんなの欲しくありません」
小さいつぶやき。消え入るような言葉。楓は聞き返そうとしたがすでに彼女は手にした手紙を投げ捨てて口元に怪しげな笑みを浮かべていた。
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直