遼州戦記 播州愚連隊
「じゃあ何がしたいんだ?テロか?政変か?格好は良いが力で捻じ曲げた現実はいつか跳ね返ってくるものだよ」
明石がたたみ掛けると言葉を発した眼鏡の海軍技術将校は押し黙る。
「状況を把握する。若いのには難しいのかね……」
杯を干した醍醐はそう言うと前のめりになって明石達ににじり寄った。
「確かにもう内戦は避けられないな。辺境コロニーじゃ小競り合いも始まってる。陸軍省にも事件報告が山のようにある。斎藤君。君の濃州も越州の城達とやっているじゃないか」
醍醐の言葉に思わず視線を落とし頭を掻く斎藤を見て明石は改めて国の現状を思い返した。
すでにいくつかのコロニーでは中央に軍籍を返還して帰郷、私財を投じて自警団を結成する動きがあるという噂は聞いていた。
「お嬢様は少し状況を楽観しているのは事実ですけどね。ただ俺達も黙ってみているほど甘ちゃんじゃないですよ」
斎藤はそう言って楓が差し出す酒瓶に杯を差し出す。酒が静かに注がれる。辺境コロニーの情報は下士官クラスには秘匿されていた情報だった。場が小声でのささやきあいに包まれ、緊張感が同志達に広がる。
「どうやら時間のようだ……すまないな別所君。できるだけ多くのシンパを集めることが第一。情報の共有が第二の課題だ。残念ながら保科老人のもたらした平和も一時的なものだったのが分かった今、態度を明確にしていない連中を一人でも多く囲ったほうが今回の戦いに勝つことになる。頼んだよ」
そう言うと醍醐は立ち上がった。場にいる士官達は立ち上がり、去っていく醍醐の背中を見送った。
「内戦か……」
明石がつぶやくのを周りの将校達が見つめている。それぞれの目に決意と絶望が写っているのを見て明石は昔の自分を思い出した。
『世間に顔向けできないことを始めようというときの面やで、あれは。まあ人さんには顔向けできへんやろな、こんな物騒な話』
そう思うと明石は一番にどっかりと腰を下ろした。
「どうだい、まだ飲みますか?」
斎藤はその正面に座ると徳利を差し出す。明石もニヤリと笑って彼に杯を差し出した。
動乱群像録 15
清原和人は拳銃を手にしながらひたすら走り続けていた。
バラックの立ち並ぶ闇市。帝都でも少し郊外に行けば先の大戦の爆撃で更地になったところが数知れず広がっていた。そしてそこには破壊されて居住不能になったコロニーの住人達の難民キャンプばかりが目に付く。そんな貧しい街には用は無いのだが、基地へ向かう途中で武装した集団に囲まれ逃げ出し、このような場所へと追い詰められていた。視察に同行したSPや彼の従卒はすでに彼等テロリスト達の銃弾でこの世から立ち去っていた。
『波多野さんのことばかり考えいているからこうなるのかね』
つい自虐的な考えが回ってきて息を切らしながらも口元に笑みが浮かぶのを感じていた。
すでに事態は暴力の応酬へと向かっている。それは以前の正親町三条邸の会談の時にはすでに自覚していた話だった。事実、下町探訪を趣味としている西園寺基義は帝都の自宅から一歩も出ず、その邸宅の付近には私服の西園寺派の軍人や警察官が張り付いてハリネズミのように武装しているのは知っていた。
元から下級貴族の出、保科家春と言う酔狂な政治家に拾われなければ良くても少佐になれれば奇跡だったろう。そしてそれならばぎらぎらした視線で帽子を失い、ひざに転んだ時の泥がたっぷりとついた准将の制服を着たまま難民達から白い目で見られながら逃げ惑う今の自分は無かった。
『追え!逃がすな!国賊め!』
清原を襲った西園寺派の過激分子と思われる海軍の制服の士官達の声が遠くに響く。
『今……死ぬわけにはいかんのだ。今は……』
米屋のトタン屋根の脇を抜けて倉庫と呼ぶには粗末過ぎる建物の脇でようやく人目から離れることができて安心したように清原は柱を背に座り込んだ。
『探せ!時間が無いぞ!』
相変わらず市場の雑音に混じって響く襲撃者の激。清原は手にした銃の薬室に弾が入っていないことに気づいてスライドを引いて弾を装填した。
『もはや保科卿の死は時間の問題だ。こちらも波多野首相暗殺を見るように過激な分子の制御は不可能だ……どうなるんだこの国は……』
自分や彼の主の烏丸頼盛が始めたはずの西園寺派との政争は二人の思惑から外れた次元へと移ってしまった。そしてその争いはどちらかが斃れるまで続くことも、憲兵隊の到着を知らせるサイレンを聞いて声を潜めた西園寺シンパの襲撃者達を見るまでも無く分かっていたことだった。
「清原将軍!ご無事でしたか」
憲兵隊の下士官が小銃を手にしながら倉庫の隅の穴から身を乗り出して声をかけてきた。
「ああ、なんとかな」
そう言うと一代貴族とは言えいつもの貴族であると言う自覚が立ち上がる自分に生気を与えてくれるのを清原は感じていた。そして一息つくと周りを眺めながら立ち上がった。
額から流れる血。それをぬぐうと自分が難民達から冷たい目で見られていることを改めて実感した。そしてすぐに擦り剥いた膝から流れる血で汚れているズボンを払うといつもの自分を取り戻していた。
「没収だ!この区域での食品の売買は禁止されているはずだ!応援を呼べ!摘発するぞ」
大通りから救護に来た憲兵隊の隊長らしき男が手のサーベルを引き抜いて闇屋に群がる市民達を威圧している。彼の部下達は背に山のような食料を背負った帝都から来た市民らしき男女から荷物を没収していた。
「あれは何とかならんのか?彼等も食うために必死なんだ……それに……」
「いえ、例外は認められません。すべて没収し焼却処分にします!」
清原が肩を貸してくれた下士官に声をかけたがその返答は残酷なものだった。
『どうせ焼却処分といいつつ横流しをするのだろうな……だがそれでも秩序は守られなければならないんだ。汚れていたとしても……たとえその手が泥にまみれていてもこの国には強力な秩序が必要なんだ……』
次々と闇市の物品を応酬する憲兵隊の手際を見ながら清原はそう思って唇を強く噛んだ。
動乱群像録 16
「丸腰で歩けと?」
別所の言葉に黙って赤松は頷いた。赤松の私邸に集められた別所晋一などの腹心達は苦しそうにシンパの公務以外での銃刀の携帯を自主的にやめると言う言葉に耳を疑った。
「元はといえば波多野首相暗殺を行なった官派の連中が悪いんじゃないですか?なんだって急に……」
広間の下座から立ち上がって赤松の前にどっかりと腰を下ろした魚住の言葉に明石も頷いた。
「昨日、清原准将が襲われたんやて。犯人は海軍の将校や言うとった」
「やるなら首を取るところまで行くべきだな。中途半端だからこういうことになる」
魚住について上座に上がりこんできた黒田はそう言うと腰のベルトから拳銃の入ったホルスターに手を伸ばす。
「今は微妙な時期だ。波多野首相の後任は……さすがにもう西園寺卿も逃げられないだろうしな……」
赤松のそばに座っている別所と明石も仕方なく腰のベルトに手を伸ばす。それを見て第三艦隊を中心とする赤松恩顧の士官達も渋々腰のホルスターや軍刀に手を伸ばした。
「ですが……このまま済むと思いますか?」
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直